第34話 良かったって、もう思ってます

「はい……そうです、やはりどうしてもズラすことが難しい状況で――はい、分かりました、お手数をおかけします、ありがとうございます」


 昌芳くんと、あの女の間で起こった観覧車の一件から数日。


 つまるところ修学旅行の前日の夜。


 私は学校の担任の先生と電話をしていました。


 内容は修学旅行を欠席するという旨、勿論普通なら行きたくないという理由だけでは到底認めて貰えるようなことではないのは分かっています。


 でも、私には高校生という立場にして作家という肩書がある。


 つまり私は『締め切りが重なりどうしても予定を合わせられない、なので修学旅行を欠席させて欲しい』という風に先生に伝えたのだった。


 無論服部さんには学校での兼ね合いがあれば前々から締め切りは考慮はして貰っていたけど――


 ただ学校側はそれを知らないし、担任教師も私の作家業に関しては柔軟な対応をしてくれていた人なので、滞りなく話は進んでいった。


「はい……いつも通り登校すればいいんですね、承知しました、では――」


 そして通話が終わり、私はスマートフォンを机に置くと椅子に腰掛けた。


「ふぅ……良かった――これで……」


 行く必要のない修学旅行に、行かなくて済む。


 一応欠席扱いにしない為に午前中だけ登校して課題はこなさないといけないらしいけど、行かないでいいのなら何の苦でもなかった。


「…………」


 ――私が修学旅行に行かない理由は主に3つある。


 1つは嘘ではなく本当に締め切りが迫っていること、私は寄稿予定の短編が実は未だに終わっていない状況が続いてしまっている。


 とはいえ、締め切りは最大で来週明けまでなら待って貰える状態なのも事実。


 でも最近の私のペースはかなり悪かったから、修学旅行の3日間で潰してしまったら本当に終わらない可能性はあり得えてしまっていた。


 2つ目は、単純に修学旅行に行く価値がないと思っていること。


 修学旅行は実質一人で関東に行くのと何も変わらない、何なら色々と制約がかかる訳だから不便度が増えると言ってもいい。


 だったら、一人で行けばいい話だし、実際に行ったこともあるから今更行く必要も皆無、取材と称する必要性も、現時点においては1つもない。


 有益性なんて何処にもありませんから。


「そして最後は――――」


       ◯


「――――あ、黒芽先輩、おはようございます」

「ま、昌芳……くん……?」


 私はビックリして思わずその場に立ち止まってしまっていた。


 何故なら、昌芳くんは私が修学旅行に行っていると思っている筈なのだから。


 いや違う……そういえば、あの時私は服部さんに修学旅行には行かないことを告げて、それは昌芳くんも聞いていた……。


 だとしても、本当に私が行かないと思って――誰もいない教室で待っているなんて、どうしてそんな……。


「お、おはようございます……あ、あの昌芳くん……」

「いやあ、学校はいつも通りやっているのに、3年生のフロアは閑散としているなんて、何だか不思議な気分ですね」


「そ、そうですね……今日は――その、修学りょ――」

「あ、黒芽先輩って普段は何処に座っているんですか?」


「へっ? え、えっと、その窓際の前から2列目の……」

「あー……結構前の方なんですね、いやー……この席は嫌だなぁ……上手く隠れて寝ていても先生に見つかって叩き起こされそうです」

「た、確かに……」


 いつもと変わらない昌芳くんが間違いなくそこにいる……でも、何だか彼は敢えて修学旅行に触れないように接してくれているような気がする。


 そもそも、修学旅行のことに関してはあれから一度も触れたりはしなかったし、触れられたりするも事もなかった。


 電話番号は知っているから定期的にやり取りはする――でもそのことを話題にしたら昌芳くんを困らせるだけだからと、するつもりもなかった。


 だからそれが少し後ろめたくて、修学旅行が終わるまではと、寂しい気持ちを抑えて、電話以外ではやり取りをしないようにしていたのに……。


「失礼します……よいしょっと」


 けどそんな私を余所に昌芳くんは私の座席の隣の席に腰を下ろすと、いつもの眠たそうな表情を黒板へと目を向ける。


 戸惑う気持ちはあったものの、それでも私はそっと昌芳くんの近くへと歩を進めると、自分の席に鞄を置いた。


「うーむ……やっぱり駄目ですね、こうなると次の席替えは前目のポジションにならないことを祈るばかりです」

「昌芳くんは本当に寝るのが好きなんですね」


「夢さえ見なければ好きですよ」

「……? どうしてですか?」


「起きた時にあまりいい気分になることがないんですよね、夢って奇妙な出来事が頻繁に起きますし、どちらかと言えば嫌な夢の方がよく見るので」


「それは……分からないでもないですね」

「だったら――最近は起きている時の方が楽しいのであまり寝たくないです、まあ寝ないとその楽しみすら薄れてしまうので結局寝るんですけど」


「ふふっ……何だか矛盾してますね」

「ええ、全くです」


 何だか妙に優しい時間が流れた気がして、私は自然と笑いが溢れた。


 それと同時に、私もようやく自分の席に座る。


 いつもなら同級生で溢れかえっている筈の空間に、今は私と昌芳くんが二人だけ、それも隣同士の席で座っている。


 それが私の心を擽って、今すぐにでも昌芳くんに触れたくなったけど、その不思議な空間が、どうしてか私をいつものようにさせてくれなかった。


 その代わりに――こんな言葉が自然と漏れてくる。


「……私、昌芳くんと同じ年齢で生まれたかったです」

「それは――何でですか?」


「だって――もしかしたら一緒に授業を受けられたかもしれないから……」

「でもそれですと、俺は黒芽先輩を知ることはなかったかもしれませんよ」


「そんなことはありません、何故ならきっと昌芳くんは変わらず屋上で寝ている筈ですから、だから私はまた屋上に行って昌芳くんと出会う筈です」

「成る程……確かにそのスタイルは変わってなさそうです」


 そしてまた、私は寝ている昌芳くんを好きになる。


 でも、いつものようにそれは口に出来なかった、何でだろう。


「じゃあ――その黒芽さんは、変わらず小説を書いていますか?」

「勿論書いています――ただ描く物語は変わっていくと思います」


「……? どうして変わるんですか?」

「昌芳くんと色んな経験をするからです、普段の学校生活から、体育祭、文化祭、校外学習と――知識ではなく、自ら得た経験が文章に反映されるんです」


「それは……ただでさえ素晴らしい上尾先生の作品がとんでもないことになりそうですね」

「そうなんです、だから私は修学旅行も――――」


 行きたかった、本当は。


 でもそこに昌芳くんがいないのなら意味なんてない、昌芳くんと修学旅行に行くという、その時間を味わってみたかった。


 でも――それはどう足掻いても出来ることはない、私と昌芳くんの間にはどうにもならない年齢という壁があるから。


 たった1歳しか離れていないのに……大人になれば、年齢差なんて何の意味も持たなくなるのに……。


 それが悔しくて思わず俯いてしまう。私の言っていることは愚かで、どうにもならないことだってことくらい、分かっているのに――


「黒芽先輩」

「昌芳くん……?」


「俺は、黒芽先輩が行きたくなかったのなら、それでいいと思うんです」

「…………でも」


「行って楽しくないのであれば、そんな思い出必要ないじゃないですか、だから俺は黒芽先輩の意思を尊重しますよ」


 昌芳くんはまるでそれの何が悪いのか、と言わんばかりの穏やかな表情で黒板を見つめながらそんなことを言う。


 それはくっと胸が締め付けられるくらい嬉しい言葉……でも、そうじゃなくて私はただどうしようもない我儘を――


「――だから、修学旅行なんて行かなくて良かったと思えるくらい、楽しいことをすればいいんです」


「……え?」

「俺に出来るか分からないですけど……黒芽先輩が後悔しないよう出来ることは何でもするつもりなので、いつでも連絡して下さい」


 なので大丈夫ですから、と、彼は笑顔で言うのだった。


「昌芳……く……」


 それは、今まで味わったことのないくらい私の胸を熱く掻き立てる。


 こんなの……好きになるなという方が無理です。これがとんでもなく壮大な詐欺の入り口だったとしても、それでもいいと思えるくらいに。


 でも、何か言おうとしたら、それこそ涙が出てきそうで私は言えずにいてしまっていると、無情にも予鈴のチャイムが鳴ってしまうのでした。


「あ――ごめんなさい先輩、そろそろ教室に戻りますね。俺も授業が終わったら連絡しますので、何処か行きたい所があれば、何でも言って下さい」

「は、はい……」

「それではまた」


 そうして昌芳くんは軽く一礼すると、代理の教師が来ていないか恐る恐る確認してから、その場を後にしてしまいました。


「…………」


 もう……どんな言葉を持ってしても昌芳くんを表現する言葉が見つからない。


 それくらいどうにかなりそうで、いつの間にか呼吸も少し乱れてしまっている。


 ただ……彼はあの時からずっと私のことを考えてくれていた。


 だからこれだけは素直に口にすべきだと思い、私はそれを小さく呟いた。


「昌芳くん……ありがとう……大好きです」




 それから、私は教師が来てからもずっと顔が綻んでいた気がするけど、そんな羞恥どうでも良くなるくらい、幸せで満ち溢れていました。

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