第29話 ライクであり、ラブでもある、でもラブが勝つ

「ん……」


 私は目を覚ますと布団の中にいた。


「ここは昌芳くんのお家……よね」


 匂いで分かるし、それに一応そこまでの記憶はある……気はする。


 朝から身体が重かった。


 でも、昌芳くんとの約束を守れないなんて絶対に嫌だったし、熱も計ってみたらまだその時は低かったから、市販の薬を飲んでマスクと冷却シートを装備した私はそのまま家へと向かった。


 もし体調が悪化したらその時はすぐ謝って帰るつもり――昌芳くんに迷惑をかける訳には――と思っていたのに、そこから先の記憶が曖昧。


 取り敢えず家には辿り着いていたみたいだけど……やっぱり休むべきだった。


「昌芳くんに謝らないと……でも何か凄く良いことがあったような――」


 何というかこう……お姫様的な……。


 とても大事なことな筈なのに思い出せない――そう思っていると目の前の扉が小さく音を立ててゆっくりと開いた。


「昌芳くん――――! あぁ……図書室の」

「ごめんなさい豊中先輩、三国先輩じゃなくて」


 思わず声を上げてしまいましたが、部屋に入ってきたのは昌芳くんではなく図書室の女――名前は確か川西、そういえば今日はこの人が来るのも忘れていた。


 正直彼女とは一悶着あったのに殆ど話をしたことがない、それ程までにただの敵でしかない、それは彼女も分かっていそうなのに何故私の所に――


 そう思いながら見ていると、少しそわそわしたような、そんな表情を浮かべた彼女は自分の胸に手を当てて深呼吸をすると、こう言ってきた。


「豊中先輩、風邪の所申し訳ないのですが単刀直入に訊いてもいいでしょうか」

「……? 答えられる範囲でいいのなら」


「豊中先輩は――上尾藍先生なんですか?」


「どうしてそう思ったの?」


 私は敢えてイエスともノーとも言わずそう答えた。


 理由は、恐らく彼女は確信を持っていると思ったから。


 ただそこで『そうです私が上尾藍です』なんて間抜けなことは言えないし、何より私は自分が作家であることをひけらかしたいタチではない。


 だから相手に主張を譲ることで自分の発言に余裕を持たせることにした。


 彼女は山中とは違ってそこまでストレスのかかる相手でもないし。


「……そう思った理由は2つです。1つは三国先輩から上尾先生のサイン本を頂いたこと、そしてもう1つは――この名刺です」


 そう言って彼女が見せてきたのは、服部さんの名刺だった。


「上尾先生は一切が謎に包まれている方で、先生のファンであれば交流は勿論、それこそサインなんてどう足掻いても手にすることが出来ないのは有名な話です」

「なるほど」


「それなのに先輩は私が小説を勧めて1ヶ月も経たない内に貰ってきてしまいました」

「それは偶然知り合いがいたとも考えられるけど」


「そうかもしれません。ですが偶然にしては出来すぎています――だから私はこの時からもしかしたら上尾先生は北高の生徒さんなんじゃないかと思っていました」


 私は彼女の推理と思われるものを淡々と聞き続ける、特に反論はしない。


「それで、確信を得たというのがその名刺?」

「……高校生が普通に生活をしていて出版の方と出会えるなんてまずありません、だから先輩の交友を思い出した時に、豊中先輩しかいないと」


「あの山中って女とも貴方は面識があったと思うけど」

「あくまで推測ですが、つぐ――山中先輩はそういうことは自分で言っちゃうタイプな気がします、それに彼女のような性格なら上尾先生のような世界観は作らないかと」

「ふうん……」


 つまり2択に絞ってあとは勘で選んだと。


 ただ詰めは甘い、三国くんの交友が狭いことを私は勿論知っているけど、彼女がそこまで理解しているとは思えないし、何より親族を度外視したのもこれまた温い。


 ただ想像以上に鋭い洞察力は持っている――恐らく最近起きたことだけでそれが要因だと瞬時に判断した――なんて少し危惧してしまっていると。


「――そう、だからやっぱり上尾先生は豊中先輩なんです」


 急に得心したといった言葉を私に向けてきた。


「……どういう意味?」


「だってすぐに『それなら三国くんの可能性は?』って私に訊かないじゃないですか」


「!」

「今の流れであれば続けざまに訊きいてもおかしくない筈です、でも豊中先輩はそれ以上何も言わず考えるような素振りを見せました」

「…………」

「きっとそれを口にしたら先輩に迷惑がかかると思ったんですよね? 豊中先輩は三国先輩を想っている筈ですから、それは仕方ないと思いますが」


 まさか、私を罠に嵌めた? 最初からそのつもりで?


 この女……もしかしたら危険かもしれない。


 それくらいのことを感じさせる程度の言葉を、彼女は平然と言っている。


「――でしたら、私がその上尾藍だとして……貴方は何がいいたいんですか?」

「……私は、上尾先生は好きです、他の方にはない独自の世界観を持っていて、読んだ人の心を魅了する、とても素晴らしい方だと思っています」


「『は』、ね……」

「それを違う人に伝えても意味がないので……なので上尾先生にお会い出来たことに私は感謝と、そしてこれからも応援し続けたいと、それを伝えに来ました、でも――」


 彼女はそう前置きすると、私に向かってこう言いうのだった。


「私も、三国先輩が好きなので」


 精一杯の笑顔の裏に隠された宣戦布告に、彼女の決意が垣間見える。


 成る程……貴方も理想の世界の住人に魅了されてしまったのね。


 ならば――と言葉を口にしようとした時、部屋の扉がコンと鳴った。


『うおーい、悪いんだがドアを開けてくれるか? 両手が塞がってて』

「え――あ、先輩、ちょっと待って下さい、今開けますね」


「川西さん」

「はい」


 私は、昌芳くんが部屋に入ってくる前に一言だけ伝えておくことにした。


「私は全てを投げ売ってでも彼の側にいたいけど、貴方はどうなの?」

「私は――先輩の為に出来ることをするだけです、何故なら受け入れるかどうかは私が決めることじゃなく、先輩が決めることですから」

「……そんなペースでいいの、敵は更に増えるかもしれないのに」


「でも私達が好きな先輩って、先んじていれば良いって話でもないですよね」


「…………」

「だから自分のペースでいいと思うんです、先輩は誰か一人を選ぶことはあっても、誰一人として蔑ろにはしないと思いますから――先輩お待たせしました」


「お、悪いな――――あ、黒芽先輩、起きてたんですね、気分は良くなりましたか?」


「先輩、私替えの冷却シートと氷嚢を持ってきますね」

「あ、そういえば忘れてたな……ごめん川西、多分1階の畳の部屋に救急箱があると思うから、あと氷嚢は冷蔵庫の一番下に入ってる」

「分かりました! では少し失礼します――」


 そうして、昌芳くんにはいつもの表情を見せ、入れ替わるように外へと出ていったのだった。


「……はぁ」

「黒芽先輩……? どうかしましたか? やっぱりまだ体調が――」


「えっ! い、いえ、違うの、お陰で大分楽になったし、勿論強いて言えば昌芳くんの布団で休みたかった気持ちはありますけど……」

「勿論、強いて言い過ぎですね」


「……その、ごめんなさい、私の我儘で迷惑かけたのにこんな――」

「ああいえ、気にしなくていいですよ、それに風邪を押してでも来てくれて嬉しくないと思う人はいませんし――い、一応フルーツ切ったんですけど、食べます?」


「昌芳くんの素手で触ったフルーツなら食べます」

「その補足情報いらなくないですか」


 川西凜華は、とても油断ならない存在になりそうです。


 ――何なら既に一歩先を進まれている可能性だってあるかもしれない――


 でも――やっぱりだからと言って、一切譲るつもりなんてない。


「――昌芳くん」

「なんですか、黒芽先輩」

「私は何があっても、昌芳くんの為にいますからね」


 だって、昌芳くんと一緒にいるとこんなにも心が満たされてしまうのだから。

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