第26話 春の夜長は彼女を潤す
「俺は疲れている……のか、それとも疲れていないのか、どっちだ」
夕食をテレビを見ながらぼーっと食べ終わった俺は、風呂に入り湯船に浸かり、オッサンのような声を上げた後、髪を乾かし脱衣所を出た。
普段なら両親も、蛍も帰って来ている時間帯なのではあるが、珍しく妹は部活の関係でおらず、父親は出張、母親は終電帰りという超絶フリータイム。
なので俺は冷蔵庫の扉を開けると買っておいたエナジードリンクを取り出し、プルタブを開けてぐぐっと一気に飲み干した。
しかし最早眠気に効いているのかすらも分からない、だが水分は欲していたのでじんわりと身体に染み込んでいく感覚はある、やはり風呂上がりに冷たい飲み物は格別に上手い。
「ふぅ……さて今日も本を読んで、ゲームでもしますか……」
と言いたい所だったが、どうもそんな気にはなれなかった。
何故なら今、俺には3つの直面している問題がある。
1つは俺のせいで蛍が提案してしまった一件に関して――ただこれに関してはもしかしたら思いの外穏便に済ませられる可能性が出てきている。
とはいえ、あの時は誰もが冷静な状況で会話が出来ていなかったしな……と思いながら俺は洗って乾かしていた食器を棚へと戻した。
「そして2つ目は――山中との約束」
ただこれは正確には問題ではない、俺が休日に女の子と遊ぶこと自体は前代未聞ではあるが、複雑な物事が介在していないのは間違いないだろう。
まあ俺は現地で何をすればいいのかという悩みはあるが……それは山中からの予定を聞いてからでもいいだろう、連絡先は交換しているのだ。
「となると……やはり一番の問題は……」
俺は自室の椅子に座ると殆ど残っていないエナジードリンクを机の上に置き息を吐く。
そして今日のことを思い返す――上尾先生として、彼女の担当編集さんでもある服部さんとの会話の中で黒芽先輩が放った言葉。
『私、修学旅行は行きませんので』
……恐らく、黒芽先輩は本当に修学旅行に興味はないと思う。
大体俺だって修学旅行はソロプレイ確定の身、東京散策で秋葉原には寄りたい気持ちはあるが、それ以外はまるで楽しめやしないだろう。
だから行かない気持ちは理解出来るし、何より俺には『高校生活最初で最後ですよ! 行った方がいいですって!』なんて言葉も持ち合わせてはいない。
「それに、無責任な言葉は嫌いだしな――」
なにより黒目先輩はプロの作家、時間があまり無いのも言うまでもない話。
でも――彼女は修学旅行というキーワードに微かに手を震わせていた。
つまり修学旅行へ行く気はない。が、修学旅行に行かなかった彼女は、何か大きな未練を残す可能性が考えられる。
「そうだとしたら……黒芽先輩は――」
俺は黒芽先輩から十分過ぎる程に貰っている。
ならば、こういう時こそ彼女になにか出来る人間でなければ俺はただのヒモだ。
「とはいえ……確か平日に2泊3日の修学旅行だもんな……、仮に一緒に行くのは物理的にも、金銭的にも不可能だし――うん……?」
ずっと考え事をしていたせいで気づくのが遅れてしまったが、僅かにスマートフォンが震えている音がしていることに気づく。
そういや俺、家に帰ってから取り出すの忘れてたな――と、学校指定の鞄から自分のスマホを取り出し電源を付けた――
すると。
「……ん? んん……? んんん!?」
か……かれこれ一時間くらいか……? そこには俺の人生において一度も経験したことのない、信じられない量の通知がスマホの画面に無限に羅列していた。
それらは全て黒芽先輩からで、中には番号を使ったダイレクトメールで『昌芳くん今電話大丈夫ですか?』『昌芳くんお忙しかったでしょうか?』といった類の内容も結構な頻度で送られていた。
うん……これは幾ら何でもね、ちょっと怖い。
とはいえ、この電話を返さない訳にもいかないので、俺は一度深呼吸をして気持ちを整えると、そっと通話ボタンをタップした。
『豊中黒芽です、昌芳くん……ですか?』
ワンコールもしない内に飛び込んできた黒芽先輩の声に一瞬面を喰らうが――彼女の少し不安げとも取れる声に俺はすぐさま冷静さを取り戻した。
「はい、そうですよ、黒芽先輩すいません電話に気づかなくて」
『い、いえ私の方こそ……あの、今は忙しくありませんか?』
「全然大丈夫ですよ、何かあったんですか?」
『その……今日のことを謝らせて頂きたいと思って……』
「? いや、俺は何も迷惑をかけられたなんて思っていませんけど」
『ですが……家に帰ってから冷静に考えてみて、私は放課後からずっと昌芳くんを疲れさせていただけなのではと思ってしまって――』
「疲れていると言いますか……眠いのはいつものことですし、寧ろ黒芽先輩のお陰で普段ではあり得ない経験も出来たので、俺は楽しかったですよ」
『それでも……私の勝手な都合ではあったので……』
「でも俺も黒芽先輩を知りたかった訳ですから、そういう一面を見れたことは素直に嬉しかったです、だからなにも気にしなくてですよ」
『昌芳くん……ありがとうございます……』
実際その通りであったので俺は思ったことをそのまま伝える。
そのお陰……かどうかは分からないが、黒芽先輩から出てくる声色は心做しか最初ほど不安は消えたように思えた。
「ところで黒芽先輩、明日……ですが問題なさそうですか?」
『それは勿論です、休日も昌芳くんに会えるなんてこの上ない幸せなんですから』
「それなら良かったです……俺もこの件に関しては黒芽先輩に迷惑をかけていたので」
『そんな、昌芳くんにかけられたことが迷惑に思ったことなんて一度もないです、寧ろ昌芳くんにかけられるなら何でもかけられたいです』
もの凄く引っかかる言い方ではあるが、敢えて突っ込みを入れるのは止めておくことにする。
「そういうことでしたら――明日は是非宜しくお願いします、黒芽先輩も色々忙しいとは思うので、あまり無理はしないで下さいね」
『お気遣い、凄く嬉しいです……昌芳くん……あの――その……』
「……?」
一応、先輩から会話を打ち切るまで電話は切らないつもりではいたのだが、黒芽先輩は何か言いたげな声を少し出す。
ただ――最終的に努めて明るい声で、こう言うのだった。
『こんな夜に、昌芳くんとお話出来て幸せでした――夜はあまり好きでは無かったんですけど、今日は少し好きになれそうです』
「……黒芽先輩」
『は、はい、どうしましたか、昌芳くん?』
「その、いつでも連絡してくれて構いませんし、もし取れなくてもちゃんと折返しします、何なら俺から電話しますので――……もっと好きな時間が増えるようになればいいですね」
『……! そうですね……私は昌芳くんと一緒でしたら、どんなことでも楽しいですから』
そんな会話があった後、二言三言交わした電話は、予想より早く終わり告げるのだった。
そしてそれと同時に――俺は小さな決意固めていた。
黒芽先輩の不安とか未練を、少なくとも修学旅行までは、出来る限り抱かせないよう自分の出来ることをしてみようと。
多分、それが今俺に出来る最大限だから。
「…………お」
そう思った所でスマホがピコンと音を立てたので目を通すと、そこには山中からのメッセージの通知があり、日曜日の約束について書かれたものがあった。
電話といい、メッセージといい、こんなことを同じ学校の人とやる日が来るとはと、奇妙な感慨深さを覚えつつ返事を打とうとしたが、はたと手が止まる。
「俺、親族以外でこういう返信したことなかったな……」
しかも相手は山中、黒芽先輩とは違ったリア充的な部分がある。
ううむ……どうしたものかと迷った末、俺はブサカワな猫がオーケーをしているスタンプ(蛍が気に入っているもの)を送ることにした。
『なにそのスタンプwかわいいねー(おけまる)』
なるほど、どうやら猫は性別問わず万国共通で通用するものらしい。
サンキューネコ、フォーエバーネッコ。
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