第13話 川西凜華はあわてんぼう

 それは全く予期していないことでした。


 あくまで今日は新刊の発売日であるということ、そして地元にある本屋さんでよく利用していたのがここであったというだけだったのです。


 だから、新刊の置いてあるエリアに先輩と、以前図書室に先輩を探しに来ていた女の人を見つけた時――私は声をあげそうになりました。


 図書室に限らず、書店においても基本私語は厳禁……だと思います。なので私は喉元まで出かかった声を何とか口で抑えてると本棚の陰に隠れました。


「せ、先輩……何をしているのでしょう……」


 お二人が新刊の前にいるので――というのもありますが、今となっては当初の目的を忘れてその様子を食い入るように見つめます。


「先輩はあの女の人から逃げていたんじゃ……」


 そう思うと、心做しかまたモヤモヤとした感情が生まれ始めます。


 もしかして、あのお二人は本当は付き合って……? い、いえ、ですが先輩の眠りを妨げる程の人とお付き合いなんて流石に――


「でも先輩は優しい人ですから……」


 それにあの人は奇妙な雰囲気こそ感じますが、とても美人です……あんな人に言い寄られたら先輩だって断れないかも……。


「で、ですがまだ決まった訳じゃありません……!」


 恋仲という意味であるというならもっとそれ相応のことをしている姿を見てからです! それこそ手を繋いだり、き、キスとか……。


「でも……何だか羨ましいですね……」


 私も先輩と書店に行って、色んな本のお話をしてみたいです……そしてお互いに好きな本や作家さんをオススメし合ったりして――


「!」


 そんな思いをついつい巡らせてしまっていると、突如殺気のような、鋭い視線を感じて私は慌てて身を隠します。


 その正体は先輩の隣にいる女の人で、じろりと周囲を見渡すとややあって先輩に声を掛けられたのか振り向いていた顔を元に戻しました。


「――――あ、危なかったです……」


 や、やっぱりあの方は危険な気がします……。


 もしかしたら先輩は優し過ぎるが故にあの方に無理やり振り回されているのかもしれません……だとしたら先輩が睡眠不足で死んでしまいます……。


「先輩の安眠は私が守ると決めたのですから……!」


 でもあの先輩に直接言うのは少し怖いです……それにまずは本当に付き合っている証拠がないことを見つけてからでないと……。


「あ、あの小説……私も丁度読んでいるのでお話が出来そう――ではなくて!」


 あまり長居をしていると勘の鋭いあの方に今度こそ気づかれてしまうかもしれません。


 そう考えた私は先輩に気づかれないよう書店を抜け出すと、死角に入った所でこっそりと二人のあとを付けることにしました。


「並んで歩いてはいますが……手は繋いではいませんね」


 どころか先輩の右手には手提げ袋が握られているので、始めから手を繋ぐ意図は感じられないようにすら思います。


 そう思うと胸のつかえが下りましたが、それでも二人の距離は妙に近いように思えます。


「というより、あの方が一方的に距離を詰めているのでしょうか」


 そうなるとやはり彼女が先輩に好意を向けていて、それに対して先輩がどうしたらいいのか迷っていると考えたほうが自然な気がします。


「時間はあまり無いのかもしれません……」


 焦る気持ちを抑えながら目を離さず追いかけていると――少し奥ばった場所に来た所で二人が別々の所へと入って行きました。


「! もしかして今先輩は一人……ではないのでしょうか」


 そうであればこの機を逃してはいけません……!


 でも……直接行って何を言えばいいのでしょう、『あの方とはお付き合いを止めたほうがいい?』それはあまりにも横暴な気がします。


 それならいっそ私が――いやいやそんな! お付き合いなんて……で、ですが――


 しかしそんなことを考えている内にいつ二人が戻ってくるか分かったものではありません……そうです! 奇遇を装って挨拶だけでも!


「え、ええい、ままよ!」


 私はこの日、一つ大事なことを学びました。


 引っ込み思案な私が後先考えずに行動すると、何も良い事はないのだと。


       ◯


「せ、先輩! おいっすです! きゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!?!!?」


「おいっす……? 川西? ――ってええええええええええええええええええ!?」


 書店デート(?)らしきものが終わった俺は、トイレを済ませておこうと当然のように小便器で尿を致していたのだが――突如乱入してきた川西に小便を見られて悲鳴を上げられていた。


「な、何してるんですかっ先輩!」

「それはこっちの台詞なんですけど!?」


 男ってのは小便中に後ろに立たれたり、横に並ばれたりすると緊張で尿が止まる生き物なのだが、どうやら女子に見られ悲鳴を上げられると尿意は死に、膀胱まで帰っていくらしい。


 あまりにも特異過ぎる状況にパニックすら通り越して冷静になった俺は、川西には見えないようそっとしまい込みチャックを上げ、彼女と対面した。


「落ち着け川西よ、ここは男子トイレだ、そして俺のやっていることはこの場において至極普通なことで何の罪にも問われない……問われないよな?」

「は――えっ、へええっ! だ、男子トイレ……ですか?」


「そうだ、だからどちらかと言えばおかしいのは俺ではないんだよ」

「あ、あわわ……道理で……ど、どうしましょう……」


「いいか、まずはここから出るのが先決だ。何食わぬ顔で『間違えちゃった、てへっ』くらいの余裕を持って出ていくんだぞ、でないとヤバい事になる」

「で、ですが……私……どうしても先輩に――」

「分かった、その話は出てから聞こう、取り敢えず俺、手洗うからな?」


 まあ出ていったら行ったで黒芽先輩に何を言われるか分かったもんじゃないが……凄いなこれ、ラブコメかよ。


 ただ今すぐに出ればまだ黒芽先輩は戻ってきていないかもしれない……駄目なら駄目でその時だと、ハンカチで手を拭くと同時に腹を括った。


「まず俺が『トイレしましたが何か?』って顔で出るからな、そしたら10秒くらいしてから同じように出ていくんだ、俺は駐車場に繋がる階段付近で待ってるから、いいな?」

「は、はい……」


 どうにも納得をしてなさそうな顔をしながら返事をする川西だが、刻一刻を争う状況でそれに触れる暇はない、俺は川西に目で合図をすると颯爽と男子トイレを出た。


「よし……! まだ黒芽先輩はいない……! これなら……!」


「あれ、三国くんじゃん、もしかしてあいつ――豊中先輩も今トイレなの?」


「な――……や、山中……」

「せ、先輩! や、やっぱり私あの――」


「あっ」


 不思議なものだ、人生ってのはどれだけ一世一代の決心を胸に抱いたとしても、終わる時ってのは本当に呆気なく終わる。


 頭痛が痛い、そんなおかしな言葉がこの上なく似合う状況の中、急速に目が死んでいった山中は、それでも可能な限りの譲歩をしてくれたのだろう。


 抑揚のない声でこう言うのだった。


「……わお、変態じゃん」

「だよね」

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