第12話 黒芽先輩はめんどくさい
私は理想と現実の世界は決して交わらないと思っていました。
だからこそ私は小説という世界に現実ではあり得ない事象を組み込み、そこに現実では見たこともない優しい世界を作り上げた。
勿論展開によっては読んでいて辛くなるような試練を導入してしまうけど、それを優しさで包み込み、必ず乗り越える展開を用意する。
故にそれは小説の中で一番大切にしていることで、多感で揺らぎやすい少年少女の心から紡がれる優しさを常に思い描いてきた。
でも現実はとてもシビアで愚かさが蔓延している、目先の偽りの幸せを求め他人を蹴落とし、他者を阻害することで安寧を手にれようとする。
だから私は現実を捨て理想に思いを馳せた――でも理想は所詮理想の世界。
そう思っていたのに――彼は現実世界の理想の人だった。
だったらもう、私は彼の為に生きることしか考える必要はない。
「あ、今日は新刊の発売日だったんですね、新しい作品がちらほらと」
「そうみたいですね――あ、この作者さんは知っていますよ」
「お会いしたことがあるんですか?」
「いえ、私は他の作家さんとは交流を持ったことがないので、ただタイトルとあらすじに興味を惹かれて買ったら面白かったですよ」
「なるほど、やっぱり黒芽先輩は毎日沢山本を読んでいるでしょうから詳しいんですね」
「人並みよりは読んでいると思います、でもそんなに沢山は読んでないですよ、評判で本は買わないですし、表紙で気になった作品だけ買う感じです」
「あー……自分は評判でしか買わないのでちょっと恥ずかしいですね」
「昌芳くん欲しい本はありますか? 何でしたらここにある本全部買ってあげます」
「え?」
昌芳くんが何の忌憚なく話してくれるのでついつい私も言葉が弾んでしまう。
まだ、話すようになって1週間も経っていないのかもしれない。
でも過ごす時間が増えていく内に、彼への好意が臨界点すら突破しそうになる。
ああ……昌芳くんの為なら何でもしてあげたい……もっと求めて欲しい……もう貴方さえいれば何もいらない……だから側にずっといさせて下さい――
「……黒芽先輩?」
「ひゃっ! ど、どうしたの昌芳くん?」
「? いや、何かこう――新刊が沢山並んでいるとワクワクしますよね」
「そ、そうですね、何だか宝石箱が並んでいるような、そんな気分になりますね」
「やっぱりそうですね、俺ももう少しかわに――新作の発掘とかした方がいいのかなぁ……」
「…………ん?」
え、ちょっと待って、今何か言いかけようとして誤魔化さなかった?
かわに……? かわにって何? かわに……? え? 昌芳くん、ねえねえ昌芳くんかわにって何? 昌芳くんかわにを私に教えて?
昌芳くんから唐突に放たれた謎の言葉に、私の頭の中はぐるぐるとその言葉で埋め尽くされ始める、かわに? なにそれ私そんな言葉知らない。
いけない……折角昌芳くんと一緒に穏やかな優しい時間を過ごせているのに……そんな疑問に邪魔されたくない……!
「あ、あの……昌芳くん、かわにって――――……?」
堪らず並んだ新刊をじっと見据える昌芳くんに対し質問をしようとしたのですが――ふと背後から鋭い視線を感じて私は即座に振り向く。
「…………?」
でも振り向いた先には私達など見向きもせず本を物色している人ばかりで、それらしき怪しげな視線は何処にも見受けられない。
「誰…………?」
一瞬あの山中って女かと思ったけど、あの女はこんな間接的じゃなく、面と向かって私に攻撃を仕掛ける筈……。
それにあの女の視線はもっと熱を帯びていて……でもこれはもっと冷たく凍った視線な気がした。
「まだ昌芳くんを誑かそうとする女がいる……?」
「黒芽先輩、どうかしましたか?」
「えっ、い、いや何でもないです、それよりも買う本は決まりましたか?」
「黒芽先輩がオススメの本を買おうかなと、逆に黒芽先輩は何か買ったりするんですか?」
「いえ私は特に――あ、その本は私が買いますね」
「いやいや! 本当に大丈夫ですって、気持ちだけで十分嬉しいですから」
「そう言ってくれるのは舞い上がりそうなくらい私も嬉しいです……、でもやっぱり私に買わせて下さい、私も少しは昌芳くんに恩返しがしたいです」
「いやでも……何といいますか、個人的には自分で買いたい……んですよね」
「……? 自分で買うなら買って貰う方が良いのではないのですか?」
本を片手に持ちながら唸る昌芳くんに、私は不思議な気持ちになりそう尋ねる。
すると彼は少し困ったような表情でこう言うのでした。
「勿論それはあります。でもなんて言えばいいんですかね……その作者を思うならちゃんと自分のお金で買って読んだ方が楽しみが倍増するのかな……と」
「…………」
……多分、昌芳くんはとても良いことを言ったのだと思う。
だから私も昌芳くんの言うことはとても理解出来るし、実際自分で買った方がワクワク感は大きい感情を抱いたことはある。
でも……私は、自分で勧めておきながら、少しその作者に嫉妬してしまっていた。
きっと昌芳くんのことだから私の作品だってそういう風に扱ってくれているのだと思うし、そこに大きな違いはない筈です。
ただ――他にそれを向けられているのはどうしてか複雑な気分になる。
けどそれを口にするのは流石に良くない、それは分かっているから、何とかしてその本は私が買うように仕向けさせよう――そう思考を巡らせていると。
「…………待って」
私は視線の先に、見覚えのある人間を捉えていた。
でもその姿は一瞬で消えてしまった為、もしかしたら思い出せないかと思ったけど、今時珍しいあのおさげの髪型は、ぐりぐりと私の脳を刺激し、そして記憶を掘り起こさせた。
……彼女がそこにいるのは特段おかしなことではない、どころか彼女という存在を考えればそれは至って自然なこと。
それでも私は、彼女が別の意図を持ってこの書店に来ている気がしてならなかった。
「図書室にいた……あの女……」
まさか、昌芳くんのことを……?
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