第11話 理想の世界にいる現実の人

 夢なら早く覚めてくれと懇願し続けたが、そろそろ現実を見ないといけないらしい。


 俺は頬を力一杯引っ張ると痛みがあるかの感覚を確かめた。


「痛過ぎる……」


 まあ、夢の中だと痛みはないなんて迷信どっから始まったんだって話ではあるのだが、夢の中でも痛みって普通にあるよな。


 何なら夢の中の記憶ってのは断片的だし、体感時間も非常に短く感じるもの、そういう意味ではここまで長いのは俺も経験したことがない。


 つまり……この美少女二人に挟まれ下校しているのも現実である……と。


「三国くんどうしたの? もしかしてお眠なのかな?」


「昌芳くん自傷行為は止めて下さい……つねるのであれば私をつねって構いませんから」


 右手には山中棗やまなかなつめが並んで歩き、そして左手では豊中黒芽とよなかくろめ先輩が、俺がつねった左頬を全力で擦りながら右腕で俺の左腕を絡ませてくる。


 そんなに擦ったら熱いでございますよ黒芽先輩、あと何かは言わないけど主に当たってますのでもう少し距離を……。


「ああ……擦って剥がれた昌芳くんの皮膚が私の手に……舐めますね」

「それは勘弁して下さい……」

「そんな……昌芳くんのDNAを取り込ませて下さい、昌芳くんの遺伝子情報が体内に入り栄養になることで実質的にいつでも昌芳くんを身体の中に感じられると思うんです」

「言ってることが怖すぎますって……」

「三国くんが嫌がってることは先輩の理念に反すると思いますけどー」

「ファッションアバズレの話は聞いていません」

「は? 愛と欲を履き違えてる人に言われたくないんですけど」

「誰か助けてくれ……」


 だがそんな言葉を口にしても同じく下校している生徒の皆様は遠巻きに俺達の姿を見るのみ、何なら眉を顰めてひそひそ話までしている。


 まあ、そりゃ女の子二人に挟まれて下校してる男なんてどう考えても異常だからな、俺でもおかしいんじゃねえのこいつって気持ちになるもの。


 だが現実は決してほのぼのとしたものではない、殺伐の二文字である。


「ところで昌芳くんを満足させるには何をしてもいいんですか、女」

「公序良俗を守っていれば何でもいいですよ、変態」

「場所は?」

「駅前のペリオで。制限時間は互いに1時間、それまでに噴水広場に戻ってこれなければはその時点で負け、ペリオ以外の施設を使用した場合も負けです」

「では勝った方は」

「今後一切三国くんに近づかない……と言いたいですが、三国くんの意思に反する真似は私もしたくないので、それこそ二人きりで何をしても良い権利でどうでしょう」

「マウストゥマウスは入りますか?」

「マウストゥマウスも入ります」

「…………ん?」


 あれ、山中の奴、一瞬良いことを言ったような気がしたけど、最後の方おかしくなかったか? 黒芽先輩に毒されてない?


 しかし間に割って入る隙もなく淡々と進められていくルール決めに全くついて行くことの出来ない俺は『俺の為に争わないで!』と言いたい気分。


 だがこれが現実なら俺は本当に彼女達にここまで言わせるようなことは何もしていない。


 壮大なドッキリというのであればまだ分かるが、その気配もないことを考えると俺はもう少しちゃんと彼女達を理解する必要がありそうだ。


 とは言うものの……学校で誰とも関わりを持たず寝てばかりいた俺としてはいかんせん何をどう訊けばいいのか分からない。


 ストレートに訊いてしまっていいものなのだろうか……と考え込んでいると。


「三国くん着いたよ」


 山中の声で我に返り前を向くと、いつの間にかペリオに着いていた。


 因みにペリオとは駅前にある商業施設である、歯周病のことではない。


 一応この辺りでは一番大きな施設だが、かれこれ30年程前に建てられた物なのでそんなに綺麗なものではなく、加えて大部分が食品売場と婦人服という圧倒的微妙具合。


 ただ1階だけは飲食店や本屋、CDショップ等があり――大したものではないが何もない片田舎だと学生は授業終わりに立ち寄ることも多かったりする。


「先手は豊中先輩で構いませんよ、私はその辺で時間を潰していますので」

「どちらであろうと私は昌芳くんの為に全てを尽くすまでです――それでは行きましょうか」

「じゃあ、三国くんまた後でね~」


 俺に対してはいつものカラっとした笑顔を見せた山中はそう言って手を振ると、くるりと背を向けその場から去ってく。


「…………」


 さて……ついに始まってしまった訳だが、俺は一体何をされてしまうのだろうと恐々としながら黒芽先輩の顔を見ると――何故か彼女は固まっていた。


「あの……黒芽先輩……?」

「……えっ! あっ、だ、大丈夫ですよ! 全然、私が必ず昌芳くんを満足させてあげますから」

「は、はあ……」

「大丈夫……大丈夫なんです……うう……」


 正直な所ペリオを抜け出して何処かに連れて行かれるんじゃないかと思っていたのが、黒芽先輩はオロオロするばかりで何も行動を起こそうとしない。


 どうしたのだろう……? と思っていると、先程まで山中に見せていた猟奇的な顔からは想像もつかないぐらいシュンとした顔で、こう言うのだった。


「あの……色々考えたんです、何処に行って何をしたら昌芳くんが喜んでくれるのかと……って、で、でも考えれば考えるほどなにも思い浮かばなくて……私……学校ではいつも一人なので、こういう経験をしたことがなくて……」


「え――ですが先輩はあんなに人の心を打つ小説を書けるじゃないですか」

「理想と現実が一致しないことくらい分かっています、理想は理想だからこそ好きに描けるのであって、現実も同じようになんて到底――」

「そんなことは、無いと思いますけどね」

「昌芳くん……?」


 俺は無意識の内に自然とそう答えていた。


「だって少なくとも俺は黒芽先輩の――いや、上尾先生の作品の住人達に憧れましたし、きっと現実でも彼らのような人間でありたいと思った人はいると思いますよ」

「そ、それは……」

「勿論先輩の言う通り現実は甘くはないかもしません。ならせめて、今だけはあまり考え過ぎずに黒芽先輩の理想通りに過ごしてみませんか? 俺はそれで良いと思います」


 ありふれた、普遍的だけどかけがえのない世界を愛する、それが上尾先生の醍醐味でもありますし――と言いかけた所で突如黒芽先輩が俺に抱きついてきた。


「へっ!? あ、あの! 黒芽先輩! これは流石に――」

「……やっぱり、貴方は理想の住人なんですね――」

「え――く、黒芽先輩……?」


 黒芽先輩の行動に戸惑ってしまってしまい言葉を見つけられずにいると、少ししてから彼女はすっと俺から離れる。


 そして、多分初めてだと思うのだが――


 彼女は俺に、とても優しい笑顔を見せてくれたのであった。


「あ――――」


「昌芳くん、一緒に本屋さんに行きませんか? そこで貴方とお話がしたいです、恐らく、それが今私の出来る一番の理想だと思いますから」


「黒芽先輩……いいですよ、行きましょうか」


 俺は自然さを装ってそう答えたが、心臓はバクバクと鳴りっぱなしだった。


 優劣など付けるつもりはないが、それでも黒芽先輩に軍配が上がりそうになるくらいには。

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