第4話 図書室の救世主

 私はあまり人とお話をするのが得意ではありません。


 小学校の頃からずっとそんな感じで、友達もいるのかどうか分からないくらいの人数しかいなかったので、大体いつも本を読んで過ごしています。


 そんな私が一番落ち着くことの出来る場所が図書室です。


 学年の委員を決める際偶然空いていた図書委員の席を見つけた時、普段自己主張が苦手な私は瞬時に手を上げて立候補をしていました。


 ただ、委員会に所属するというのは生徒からするととても面倒なことで、中でも図書室を運営しないといけない図書委員は、不人気に加えて出席率も非常に悪いもので――


 自由参加ということやなあなあな運営も相まって、気づけば先生から直々に委員長となるように言われてしまっていました。


 でも大好きな本に囲まれて、カウンターで本を読みながら貸し出し返却の対応をしたり、本棚の整理、掃除などをしている時間はとても幸せです。


「…………あ、三国みくに先輩」


 基本的に私は昼休みと放課後の時間に図書室にいるのですが、最近本を読む以外にも楽しみが増えました。


 それが三国先輩、図書室に定期的に来てくれる数少ない訪問者です。


「あれ……? 三国先輩、顔色があんまり……」


 三国先輩はいつも眠そうな顔をしていて、実際図書室に来ても本を数ページだけめくってそのまま寝落ちしていることが多いです。


 でも、今日は特に体調が悪そうです、私は普段先輩が眠りについてからそっと近くに寄るのですが、心配になった私はカウンターから立ち上がると本を抱えたまま歩み寄りました。


「……ん? おお川西か、ういっす……」

「ういっす先輩、2日ぶりに来て下さるなんて早いですね」


 男の人とは喋ることが殆どないので、少し胸がとくんとくんと鳴っているような気がしますが、先輩とは不思議とお喋りが出来ます。


 それは多分――――先輩とお話をすると楽しいからです。


「んー……新作の話をするって約束だったからな」

「そ、そうでしたね、あ……ありがとうございます……」


 私は先輩と本を通してもっとお話がしたいという欲望はありますが、先輩は図書室で寝てしまうのを悪いと思ってか、週に1回しか来てくれません。


 なので以前私が大好きな上尾藍先生の新作を話題にして、いつでも来て下さい……なんて、らしくないアピールをしていたのですが――


 自分のしてしまったことに、今更ながら少し恥ずかしくなってきました……。


「でも……少し体調が悪そうです、大丈夫ですか……?」

「い、いやこれは眠いだけだから……それに、渡したいものもあるし」

「渡したいもの……?」


 覚束ない足取りと共にそう言った先輩の後ろをついて行くと、先輩はいつもの定位置の席に座ったので、私も先輩と対面する形で席につく。


 先輩が私に渡したいもの……? なんでしょう……?


「それにしても図書室の静けさはヤバいな……一瞬で眠気が……」

「先に睡眠を取って頂いてからでも構いませんよ」

「いや、そういう訳には……今日は寝るつもりで来た訳じゃないし――」


 図書室が静かなのは本来当たり前のことではあります、それに室内のいたる所に『私語厳禁』と書かれた張り紙も張ってあるので。


 それでも――少し前までここは無法地帯でした。


 この図書室には有名な先生の漫画が生徒の要望でいくつか置いてあるのですが、それをきっかけに少し図書室に足を運んでくれる生徒が増えてくれました。


 ただ、その分本を読みに来る……というよりは遊びに来る生徒も増えてしまって――注意出来ない私が悪いのですが、それもあって図書室は図書室では無くなってしまいました。


 どうすればいいんだろうと悩み、先生もまともに取り合ってくれず、自分の不甲斐なさに情けなさを覚えてしまっていた、そんなある日。


 それを救ってくれたのが三国先輩だったんです。


「そうそう、新作読んだけど滅茶苦茶面白かったよ、ヒロインが悩み苦しむシーンは読んでて胸にくるものがあったけど……それでも主人公が彼女の前では決して弱音を吐かず楽しい思い出を作り上げていく展開は堪らなかったな」

「で、ですよね! 何度彼女から楽しい思い出が消えても、ずっとそれを繰り返す、特に終盤は本当に――」

「分かる分かる、流石に俺も終盤は涙が溢れそうになったな、全く以て上尾先生は――……うん、スゴイヒトダ」

「え?」


 今となってはこうして三国先輩とお喋り(本を通してか、先輩を起こす時だけですが……)出来るのですが、最初はとても声なんて掛けられませんでした。


 それは先輩が私を救ってくれたことに関係しているのですが――実は先輩のお顔はほんのちょっとだけ怖いです。


 いえ、目つきが悪い、と言うべきなのでしょうか、ちょっと近寄り難い雰囲気があります。


 それに加えて、実は先輩にはあまり良くない噂もいくつかありました。


 反社的な人達と付き合いがあるとか、中学は喧嘩に明け暮れていたとか、女の子を取っ替え引っ替えしているとか、素行の悪さを注意した先生を血祭りにあげて、校舎壁の時計に磔にしたとか……。


 私の高校は市内有数の進学校でもあるので、こういった存在に縁のない生徒は皆恐れ慄き、図書室の件に関しても、先輩が一瞥しただけで私語をしていた生徒達は逃げてしまいました。


 でも――私は先輩がそんな人だとは思っていません。


「ああそうそう……それでなんだけど、これも川西渡そうと思って」

「……? ありがとう……ございます……でもこれ、上尾藍先生の既刊……ですよね? あの、私持っていますけど……」

「まあまあ、中身を見たら分かるから」

「? は、はい……」


 三国先輩がそう促すので私は最初のページを開く。


「え……こ、これって――!」


 すると――そこにあったのは上尾藍先生の直筆サインでした。


 私は私語厳禁なのに思わず驚嘆の声を上げてしまいます。


「ど、どうして先輩がサイン本を……? 上尾先生って凄く謎に包まれている人で、サインとかそういう類のサービスは一切しないで有名なのに……」

「うーん……ちょっと説明しづらいんだけど……ま、他の人に上げても良いって言われてるからさ、貰ってくれると嬉しい」

「す、凄く嬉しい……ですけど、いいんですか本当に……?」

「大丈夫大丈夫……結果的に死ぬほどサイン本貰ったから……」

「え、ええ……?」

「まあ、いつもの御礼って奴だよ、図書室に来ては寝てばっかりの俺に何も言わないで……いてくれる……んだから……」

「あ、先輩――」


 疲れた表情のままそう答えていた先輩は、瞼の重みに耐えきれなくなったのか、それを言い切る前に突如かくんと首が落ちて眠りについてしまいました。


「……ありがとうございます。やっぱり、先輩は悪い人じゃないですね」


 ちょっと寝不足気味なせいで顔が怖く見えるだけで、それがちょっと悪い方向に噂が広まっただけで、本当はとても優しくて良い人なんです。


 じゃないと、こんな私と話してくれたり、気を使ってくれたりしませんから。


 それに――


「……本が好きな人に悪い人はいないと、偉い人が言っていましたし」


 そう呟き、安らかな寝顔で眠る先輩を眺めていると――いつの間にか先輩の頭に自分の手が伸びそうになっているのに気づき、はっとして引っ込める。


 でも――もう一つ、無意識に溢れた言葉を、私は抑えることが出来なかった。


「先輩……私、もっと先輩と一緒にいたいです」

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