第11話 暖かい冬の日



 それから夜は深まり少年はエクムントの執務室にいた。


「彼の稽古はどうだった?」


「この顔を見てくださいよ…」


「大変だったろうに」


 あからさまに少年は疲れた顔をしている。今にも倒れてもおかしくないだろう。あれだけの量をこなしたのだから。


「彼も後継者が見つかって、安心しているんだろう。それと同時に、自分が持っている能力の全てを教えられるかどうか、焦っている部分もあるんだろう」


「本当に僕が後継者なんですかね……」


「彼がそう言ったんだ。そうに違いないさ」


 エクムントは片手にインクのついた万年筆を持ち、すらすらと羊皮紙の上で躍らせるように動かしている。


「真之さんは何処に?」


「今は浴場にいるはずだ」


「随分と遅い時間に入るんですね」


「まぁ、彼にはやらなければならないことも多いはずだ」


 何かを隠しているように呟くエクムント。


「そうですか」


 少年は一言だけ呟き、深くは追及しなかった。


「ちなみにエクムントさんは剣術とか使えるんですか?」


「多少はできるが…魔法の方が得意だな」


「まぁ、宮廷魔法師ですからね」


 魔法が得意というより、魔法にとても長けていると言った方が、宮廷魔法師に相応しいだろう。

 実際、エクムントの魔法の腕は国の魔法師団と戦っても良い勝負だと、執事から聞いたことがある。


「明日も稽古をつけてもらうのか?」


「真之さんが『継続が力になる』って言うのでやれるだけやろうと思います」


「何の為に稽古をつけてもらってるんだ?」


「昔、父親と母親に少しだけ教えてもらった剣術に似ているので、これも何かの縁かなと思いまして」


「……本当にそれだけか?」


 エクムントは少し沈黙した後にそう言った。


「自分の身は自分で守れるように、大切な人を守れるように。父親との約束なんです」


 少年の瞳は決意に満ちている。真っ直ぐ前を見据えている。


「それなら、きっと君の両親は喜んでいるだろう」


「そうだと良いですね」


 淡い月の光が差し込む夜。少年は朧月を眺めながら両親を想ったのだった。




「もっとだ、もっと。人の血肉を喰らわなければ!」


 一人の男──何かが叫んでいる。薄暗い部屋の中で狂気を高めているように。


「早くあの方に認めてもらわなければ!」


 同じ夜、怒りに狂ったものが部屋の地面を見ていた。





 稽古が始まってから約一ヶ月。いつものように庭での鍛錬が続いている。ここ一ヶ月の鍛錬は木刀を振ること、三感の制御の練習、実戦形式を繰り返していた。


「違う、もっと速く!」


 木刀を片手に少年の剣撃をいとも簡単に止めている真之。何度も何度も剣を振る。


「今日はこれで最後だ。最後の一撃まで気を緩めるな」


 日が落ち始めている。夕陽が橙色に空を地上を照らす。


「いきます!」


 少年はそう言って、今までで一番速く間合いに入り剣を振った。だが、真之に軽々しく止められている。

 少年は悔しそうにその場に寝転んだ。


「今日もダメか」


 真之もその場に座り、夕陽を眺める。


「今までで一番速く鋭い剣撃だった。この速さなら次の段階へ進んでも良い」


 真之は小さく呟いた。まるで独り言を言っているように。


「本当ですか!?」


 体を飛び跳ねるように起こして、その場に座り込む。


「明日からは、もっと厳しくなるぞ」


「わかりました!」


 少し肌寒い風が庭に吹いていた。


「そろそろ戻るぞ。しっかりと食事をして体を休めるんだ」


「はい!」


 いつもと同じ会話をして、少年は屋敷に戻った。





「今日、寒くないですか?」


「確かにそうだな。雪が降っているからだろう」


 庭には降り積もった雪。空からも落ちてくる雪。一面が雪景色だった。


「さて、今日も稽古があるなら、しっかり食事を取った方がいいぞ!」


「その前にちょっと、衣装変えてきます。このままだと稽古に支障が出る気がするので」


「分かった、先に行っているよ」


 そう言って廊下でエクムントと分かれて、自分の部屋に戻る少年。


 衣装を変え、食事場へと足を運んで席につく。いつもの様にエクムントと真之と三人で食べる。


「今日はどうするんだ?」


「無論、外に出て稽古だ」


「危ない気がするんですが」


「雪という環境でも、動ける様にするのが目的だ」


「……昨日より厳しい稽古なんですよね」


「そうだ。今日が丁度良い」


「まぁ、程々にやれよ」


 食事が終わり少年は、町へ出かける為に支度をして屋敷を出る。


「じゃあ、行ってきます」


「行ってらしゃいませ、お坊ちゃん」


 執事に見送られながら、町へ向かっていく。雪が降っているせいかいつもより暗く感じてしまう。ペンダントもいつもより輝いていたのもそう思わせる要因の一つだろう。

 少年は毎日のように町へ出かける。日課となってしまっているのだ。

 大通りに出るとやはり人は多い。人を掻い潜りながら、細い道へと向かう。いつもの場所へ向かうのだ。


「氷が張ってるな」


 少年は、橋の上から水が流れているのを覗き込む。氷が張ってしまって水は流れていないが。


「おはようございます」


 氷を眺めていると隣から女性──幼い女の子の声が聞こえる。


「おはようございます。今日は寒いですね」


 少年はその声の正体を知っている。あの時ぶつかった少女だと。


「はい、雪も降っているので寒いです」


 毎日、町へ出かける理由は少女に会う為なのだ。あの日から、町へ出かけると必ず声をかけてくれている。


「今日も治癒魔法の練習をするんですか?」


「はい、お願いします」


 あの時治癒魔法を見せてから、彼女は教えて欲しいと頼み込んでいたのだ。少年は最初の頃は断っていたが、押し切られて教えることにしたのだ。


「手大丈夫ですか? 前よりもひどくなってません?」


「全然平気です。色々やってたら結果的にこうなっちゃったんです」


「心配です」


 少女は少年の目を見てそう言った。


「じゃあ、手の痛みを和らげる練習をしましょう」


「良いんですか?」


 少女は不安そうな声でそう言った。


「別に良いですよ。練習ですし」


 そう言って少年は手を少女に向けて差し出した。


「し、失礼します」


 少し頬を赤らめながら手に優しく触れる少女。


「じゃあ、いつもと同じ様にやってください」


「は、はい」


 少女は目を閉じて、少年の手に自分の手をかざす。


「ど、どうですか?」


「うーん、さっきと変わってない気がします。しっかりと心臓の鼓動を聞いてくださいね」


 少年が少女の手を優しく掴んで自分の心臓に当てる。


「これで分かりますか?」


 突然の事で少女は声が出ない。頬を真っ赤に染めて俯いている。


「どうしました?」


「い、いえ」


 少年はそのまま少女の手を当て続けている。


「そろそろ、できそうな気がします」


「では、よろしくお願いします」


 少女は再び少年の手に治癒魔法をかけようとする。頰はまだ少し赤く染まっている。

 ゆっくりとゆっくりと癒えていくのが少年には分かった。

 赤く荒れている手が元の手へと戻っている。


「で、できました!」


「すごいですね。これで自信がついたんじゃないですか?」


「は、はい! ありがとうございます!」


 嬉しそうに微笑む少女。少年も微笑み返す。

 次の瞬間、少女から力が奪われたように倒れそうになる。それを見ていた少年は少女の体を受け止め支える。


「大丈夫ですか!?」


「はい…少し頑張りすぎたかもしれません……」


 少年が額に手を置くが、彼女に熱はない。魔力の行使が原因であろう。


「どこか休める場所に移動しましょう。動けますか?」


「体に力が入りません…」


「分かりました」


 そう言うと少年は少女をおぶり、橋から降りて休める場所へと向かう。


「ち、近い……」


 聞こえないような小さな声で少女が呟く。顔を真っ赤に染め、目を閉じている。

 眩しいような日差しが二人を照りつける。雲から太陽が顔を出していた。

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