第10話 稽古の意味
少年は屋敷には戻らずに、庭の芝の上でぐったりとしている。十五分の休憩をもらったが、もう半分も無いだろう。そのくらい疲れており身体が動かないのだ。
「これ、ずっと続ける事なんて出来るのか?」
独り言を呟く。実際、こんな勢いで鍛錬をしていればいつかは体調が悪くなるだろう。
さらに言えば、この鍛練に必要な体力は少年には無い。
「続けることができれば、その分技術は飛躍的に上がる」
「うわっ!」
風のように真之は現れ少年に話しかけた。少年が驚いたのは、足音や気配を一切感じなかったからだ。
「びっくりしましたよ!」
「いつまでもそんな所に座ってるでない。稽古の続きを始めるぞ」
少年はゆっくりと立ち上がり、木刀を右手に握りしめた。
「次は何をやるんですか?」
「実戦の動きを取り入れるために、儂と一騎打ちだ」
「一騎打ちですか? 絶対に負けますよ!」
実際剣の腕前は相当なものだろう。世界の中で五本の指に入るような人物に勝てるはずがない。
「そんなことを言っていては、大切なものを守ることなどできぬぞ!」
大気が大きく揺れる。それは風が吹いたからなのか、真之の気迫によるものなのか、少年には分からない。
ただ一つ、少年は真之から怒りを感じた。それは言葉で言い表せることではない。なんとなく、そんな様な気がした。
「では、構えろ」
静かに真之は握っている木刀を構え、ただ真っ直ぐ少年を見据えている。少年も木刀を握りしめて構えた。風が二人を撫でる様に吹いている。
「かかってこい」
真之は微動だにせず、ただ一言そう言って目を閉じた。少年は困惑を浮かべつつ全身へと力を入れる。
「行きます!」
思いっきり地面を蹴って、着々と真之の間合いに近づく。間合いに入ったところで、教わった斜め斬りをするために、木刀を右上に大きく振り上げた。走る勢いも力に変え、両手に力を込め速く左下へ振り下ろす。
だが、真之は目を閉じているにもかかわらず、ひらりと剣撃を避けた。
まるで、見えているかの様に。思わず少年は攻撃の手を止めてしまう。
「どうした、今さっきの意気込みはなんだったのだ?」
「まだまだ行きます!」
もう一度真之に向かい木刀を振る。だが、今度は真之が持っている木刀で受け流される。
がむしゃらに少年は刀を振る。何度も、何度も。だが、真之の身に触れることはない。
「当たれ!」
精一杯力を込めて振る。だが、木刀は空を舞い遠くの芝に落ちた。
「くっ……」
「これで分かったか」
少年に近づきながら、真之は淡々と言った。
「どれだけ稽古をしようと、考えなしに刀を振ったところで通用するわけではない。相手の動きを見切り、駆け引きを使って、自分の力を最大限発揮することのできる戦い方を、瞬時に判断することが大切なのだ」
少年は気がついた。自分がどれだけ考えなしに刀を振っていたのか。実力は圧倒的に相手の方が上だということが、分かっていたのにも関わらず。
実際、剣や刀についてはまだまだ素人であるため何をしたらいいか、少年には分からないない。
だが、目の前には刀について詳しい人がいる。聞かない利点はないだろう。
「どうやって、自分の力を引き出せばいいんですか?」
「うむ。次の稽古に移るとしよう」
真之はそう言って、飛ばされた木刀を拾って少年に渡した。
「次は何ですか?」
「次は少し特殊な訓練をする。一旦座れ」
そう促されるまま、芝の上に座る少年。真之も一緒に座る。
「人間の三感覚と呼ばれるものを知っているか」
「本で読んだことがあります。確か、視覚、聴覚、嗅覚でしたよね」
「そうだ。人間は無意識に三感覚の全てを平均に保っている。だが、人間は三感覚を意識的に制御する事ができる」
「どういう事ですか?」
真之が言っている事の意味があまり理解できていない少年。
「聴覚であれば、より鮮明に音が聞こえるようになる」
「そんな事ができるんですか?」
「可能だ。だが、全ての感覚を高める事は不可能だ。一つを低下させ、一つを上昇させることしか出来ない」
つまり、一つの感覚を鈍らせることで、一つの感覚を鋭くする事が出来るということらしい。
「また、三感覚以外の感覚には適応されない。痛みを緩和することなどは不可能だ」
「どういう稽古をするんですか?」
「目を閉じて自分の周りに漂う音が、どんな音なのかを理解するのだ」
「どんな音か、ですか」
「深めればその音の感情を読み取る事、音の発生源の特定は容易いだろう」
少年は目を閉じて、耳を澄ませる。できるだけ何の音が響いているのか、どのような音なのか理解しようとする。
庭を駆け抜ける風の音。風に揺られる木の音。自分の心臓の鼓動。さまざまな音が漂っている。
五分程経ち、再び目を開ける。やけに眩しい日差しが照りつけている。
「この稽古を毎日三十分は続けるように。そうすればより音が鮮明に聴こえるはずだ」
「でも、さっき話してたのは一つの器官の能力を低下させないと出来ないって言う話じゃないんですか」
少年の言う通り、聴覚を高めるには視覚か嗅覚を低下させる事でしか出来ないはずだが。
「視覚を塞ぐことによって音が鮮明に聴こえるようになっている。今は感覚に慣れる事が優先だ」
「なるほど。じゃあ、視力が低下した状態で目を開けるとしっかりと見えないって事ですよね」
「ああ。だが、目を開けることによって他の能力が低下する。つまり、聴力や嗅覚を高めるには、目を閉じた状態の方が良いのだ」
目を閉じることを代償に、他二つの能力値を上げることが可能になるらしい。
「でも、聴力や嗅覚の場合はどうするんですか? いちいち耳を塞いだりするんですか?」
「それを解決するのが次の稽古だ」
それから日が落ちるまで、稽古は続いた。少年の体は疲れに押し潰されそうになっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます