第9話 鍛錬


『極東の地』と聞いて少年は一度本の中で読んだことがあると思い出した。

 この町とは全く違う文化が発達していること。老爺の名前も違和感があるのは仕方がないだろう。


「では、その刀というものは極東の地で作られた物なんですね」


「ああ、その通りだ」


 白髪の老爺──真之は少年を見据えている。


「君のその首飾りは……」


「これですか? 自分で作ったんですよ」


 白く光るペンダントを首にかけるのをやめ、手の上に乗せた。


「これは、魔鉱石と呼ばれる物だな。希少な鉱物だと聞く」


「らしいですね。僕にとってはお守りみたいな物です」


「とりあえず、座って話をしようじゃないか」


 宮廷魔法師はそう言って、二人を座るように促した。


「さっきの話ですけど、後継者ってどういうことですか?」


 先ほど話題に上がっていた、後継者の話はさっぱりついていけなかった。自分に関わる大事なことなのではないかと少年は気にしていた。


「真之はこの世界の中で五本の指に数えられるほど強い剣士だったんだ。今は現役を退いて自分の後継者を探しに各地を回っている」


「と、言うことは」


「君は彼の後継者に相応しい人材というわけだ」


 少年はとても驚いた。目の前にいる老爺が世界で五本の指に数えられていたこと。

 一番驚いたのは自分がその後継者にふさわしいということだ。


「どうだ、彼に稽古をつけてもらっては」


「剣術を教えてやろう」


「剣術ですか! 是非お願いします!」


 前のめりになって、目を輝かせる少年。嬉しさから手に乗った白く光るペンダントを強く握りしめる。


「お前の名は?」


「そういえば、私も聞いたことがないな」


 宮廷魔法師も少年の名前のことは聞いていない。これまでその必要がなかったからだろう。


「僕の名……」


 少年は深く考え込んでしまった。自分の名前が思い出せないのだ。確かに覚えていたはずなのに。どうしてだろうか。


「どうした?」


 真之が深く考え込んでいることに疑問を持った。


「いえ、自分に名前はあったのかなと思いまして」


「もしかして、名前をつけてもらっていないのか?」


 宮廷魔法師は驚いた様子で少年を見る。


「覚えていないということは、そういう事ですかね」


「なんと」


「まず、あなたの名前も教えてもらってないですよ」


 少年は宮廷魔法師の方へ目線を向ける。


「ああ、そうだったな。私はエクムント・アストリアというんだ」


「何度聞いても、慣れんなその名は」


「こっちだって同じだ」


 恐らく少年も同じ気持ちだろう。

 真之は椅子から立ち上がり、椅子の横に立てかけてある刀と呼ばれる剣を取った。


「早速、稽古を始めるぞ」


「分かりました!」


「少し庭を借りるぞ」


 宮廷魔法師は少し苦笑いをして、


「程々にしてくれよ」


 とだけ言った。真之が部屋から出るのに続いて少年も部屋を出た。


「さっきの、刀を持たせたのはなんだったんですか?」


「後継者に相応しい者かどうか見極めるための判断材料だ」


「あれだけで分かるんですか?」


「鍛錬を積めば何となくわかるようになるものだ」


 庭に出ると真之は芝生の上に座った。


「お前も座れ」


「は、はい」


 少年も同じく芝生の上に座った。何をするのか全く分からない。


「まず、色々と質問をするがいいか?」


「はい。大丈夫です」


「お前は剣を握ったことはあるか」


「はい。五歳から剣を使っています」


 五歳から剣を握る人などあまりいないだろう。だが、真之は少しも驚かなかった。


「そうか。では、剣術を教えてもらったことは」


「それはないです。でも、体術だけは教わったことがあります」


「体術か。どのような体術だ?」


「主に本来の身体の能力を伸ばす為の訓練ですね。どんな地形でも素早く動けるようにしたり、衝撃を和らげる練習をしたりしました」


「なるほど。では最後に一つ」


 庭に涼しい風が吹く。草木を揺らし、真之と少年の髪を揺らす。


「生物を殺める覚悟はあるか」


「……」


 真之は真剣な眼差しで少年を見据える。老爺からはとてつもない威圧感が放たれていた。


「時に、護るべきものがあるとしよう。そのものの為に覚悟を持って戦えるか」


「僕は……」


 そんな事一度も考えたことなど無かった。まだ十歳の少年には答えは見えない。


「刀を握るとはそういう事だ。お前にはその覚悟はあるのか」


 ふと、少年は思い出した。


 ──護るべきものの為に剣を振るんだ。


 少年が剣を貰ったときに言われた言葉だ。大好きな父親と母親との約束。少年はその言葉を忘れずに今までを過ごしてきた。


「覚悟はあります。大好きな両親との約束でもあるので」


「よろしい。よく言った」


 真之は少し笑みを浮かべ、少年に一本の刀を渡した。


「これは?」


「修行用の木刀というものだ」


 少年は木刀の柄を握る。軽そうに見えるが、実際はついさっき持った刀と変わらないほど重いらしい。


「それにしても重いんですね」


「軽く作ったところで、実戦ではそんな技術は役に立たない」


 確かにその通りだと少年は思う。魔法に関してもそうだったからだ。


「まずは自分の額の辺りから一直線に振り下ろしてみろ」


「こうですか?」


 少年は力一杯剣を振る。風が切れる音が伝わってくる。首に下げている白く光るペンダントが跳ねて、胸のあたりにぶつかる。


「勢いを少しも殺すな。力強くそして速く振り下ろせ!」


「これなら!」


「まだまだだ!」


 五十回、百回と何回も何回も木刀を振り下ろす。少年の額には汗が滴っている。吹く風がとても爽やかで気持ちが良かった。庭を照らす太陽も今はいらないように思えた。

 三百回ほど素振りを終えると老爺は、少年の素振りを止めた。


「よし、様になったな」


「僕の素振りはどうですか?」


 少年は少し息を整えながら聞いた。


「様にはなったが、またまだと言ったところだ。もっと力強く素早く振り下ろす事を心がけるんだ」


「これを毎日やるんですか?」


「そうだ」


「いつか腕が取れそうですね」


「そんな事では腕の一本も取らせんぞ」


 老爺が少し笑いながらそう言った。


「よし、次だ」


「え、まだ何かあるんですか?」


「何を言ってるんだ。刀は真上から振り下ろすだけではないぞ」


「後何通りくらいあるんですか?」


「基本は後二つだ。状況に応じてどんな角度からでも物を斬ることが必要になる」


 少年は少し息を整え、腕の疲労感を和らげる為に腕を回す。心臓の鼓動はいつもより速くなっているのを感じる。


「二つ目は真横から斬る鍛錬だ。さっきとは違い片手で刀を握れ」


「片手で斬るんですか。相当疲れますねこれは」


「そうだ、だからこそ稽古の意味がある」


 少年は言われた通りに片手で木刀を握りしめ左の腹部の横辺りから素早く木刀を振る。


「もっとだ。より素早く、より強く!」


 少年は自分の力を振り絞り、力強くそして素早く木刀を振る。汗が額に滲む。握りしめている手はとても痛い。


「もっとだ!」


 さっきよりも多く回数を重ね、五百を超えたところで真之は少年に止めるように促した。


「その木刀の重さにも慣れてきただろう?」


「言われてみればそうですね」


 呼吸を整えつつ額に滲む汗を拭う。


「よし、次で最後だ」


「最後はなんですか?」


「斜め斬りだ。両手で刀を斜めに振り下ろすのだ」


「じゃあやりますよ」


 木刀を握っている手は赤色に染まっている。力を入れて連続で振っていれば当然だろう。

 少年は顔の右側辺りから、左の腰の辺りまで木刀を振る。


「もっと、もっとだ!」


 腕が取れそうで、腕の筋肉はとっくに悲鳴を上げている。三百を超え、少し休憩を挟む。


「よし、次は逆側からだ」


「逆側ですか?」


「そうだ。片方を習得したなら、逆側もやるべきだ」


「分かりました」


 もうとっくに疲れているはずの体は、疲労感を感じなくなっている。


「そうだ。もっと素早くだ!」


 三百を超え、休憩を挟む。息は切れており、全身に汗をかいていた。


「一つ、憶えておくと良い」


「なんですか?」


「刀を強く振りたいなら両手を使え。今のお前の力には限度がある。真横から斬る場合も同じように、両手を使って斬れるように鍛錬をすると良い」


「なるほど」


「よし、休憩を挟む。十五分後にまたここで待っている」


 そう言って真之は屋敷に戻っていった。少年は庭の芝に寝転んで風を浴びた。涼しい風は体へのご褒美だ。

 寝転びながら、ただ一つ言いたいことは…。


「あの人鬼かよ」


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