第7話 心の羽化

 カラオケボックスに似合わない静寂の中、静かに涙を流す女性がたたずんでいる。そして、この中だけ時間がゆっくりと流れているようだ。


 彼女の涙を見てしまってから、声を掛けづらい状況が続く。それは、彼女が自分で涙をぬぐうまでのほんのちょっとの間だったが、永遠にも感じられる瞬間だった。


『あ、ごめん。ちょっと涙腺が緩んじゃった』


 涙を流していた彼女の姿を綺麗だ、と思っていた自分が、今は何故泣いたのだろうがと頭をフル回転させている。


 本当は、慰めるとかするのが正しい行動なのかもしれないが、経験の無い俺には原因の推察だけで手一杯だった。


『あ、いや、大丈夫?』


 間抜けな言葉しか掛けられない自分を呪いたい。


『ありがとう…』


 そんな俺に、ありかとうなんて…


『ラルカちゃん』


 えっ!?えー!何、今のお礼は俺にじゃなくて、ラルカに。何でお礼するの?訳が判らない。


 そんな彼女は、両手を胸の前で組んで祈りを捧げるような感じで気持ちを込めているようだ。


『織田さん…』


 今度は俺?


『私はあなたの事が気になっていました。女ですから、男の方の視線は感じられます。何時ものあの場所は、あなたを見つけてから私の特等席に成っていたんです』


 余りの衝撃に間抜けな顔をしないようにするだけて手一杯に成ってしまった。


『もし、わたしが場所を変えたら、あなたも変えてくれるかしら、でもそのままだったら、等と思いに耽っていた時間でもありました』


 俺と同じような事を考えていたんだ。


『わたしひとつだけまだ言っていないことがあるんです。枕元に現れたイケメンはあなたに似ていたっていうことを』


『え!』


『あなたそっくりと言うよりは、かなり美化されてはいましたけど』


 そこは、はっきりと言わなくても…


『運命っていう言葉は、重くて身苦しいけれど、あなたとの絆は信じられそうな気がします』


『僕もつぐみさんとなら、…』


『殿、よかったのー。後は子作りだけじゃな』


 蝉だ、やっぱり蝉だ。折角の雰囲気が台無しに成ってしまった。蝉的にはこの後一気になだれ込むのだろうが、そんな訳にもいかないのが、人なのであってここは控えていて欲しい。


『あのラルカ、色々とありがとう。ふたりの気持ちは繋がったから、絆はもう必要ないよ。って言っても切れるものじゃないんだよね』


『その通りじゃ、絆は生きてる間は繋がっておるが、わしらは人間ほど長く生きんからよくわからん』


 そんな無責任な、と言い掛けたが切っ掛けを作ってくれたのは彼女なのだから、大目に見よう。


『つぐみさん、俺…』


『そうじゃった!』


 今度は何だ?


『つぐみとやら、主が助けた蝉についてもっと話してくりゃれ』


『話すと言っても、彼ににていた位で』


『違うわい、蝉の格好の話じゃ。羽の筋とか何か特徴が有ったじゃろ』


『特徴、特徴と言えば、羽にこんな感じの青っぽい筋が両側に付いてました』


といって、空中に稲妻のような模様を描いた。それを見たラルカは、


『主、その蝉の羽化した場所に案内せい』


 そして、ふたりはフリータイムも、ましてやフリードリンクも味わうことなく、カラオケボックスを後にするのだった。


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