ニューインシデント


「今更だけど」

「ん」

「何故俺は君と話しているんだろう。記憶を消さなかったのはなんで?」

「今更だな本当に……うーん、気まぐれ」

「気まぐれかぁ」

「選ばれたとでも思った?」

「いや、理由が分からなきゃ不気味だろ、後でどうなるか分からないしね。分からないのは怖い」


 いつものように予鈴が鳴った。談話はこの音で自然に解散となり、また明日、の会話すらなく、二人は屋上を後にする。雑誌を傍らに煙草をふかしている奴と、軽口を言い合う仲になり、永城の中では「天使と会話している」という気分は消えつつあったが、時折その吸殻を食べたり、雑誌の両ページを両目のそれぞれで(それはさながら歌舞伎役者の様に)読んだり、予鈴の音が鳴って、屋上から飛び降りたりするその度、確かな非現実的な現実に引き戻されていた。


その現実もそこそこ分かってきた。どうやら、ナタクは厳密に言えば天使でも堕天使でもなく、そしてもちろん、人間でもない。では何かと言うと、神だか、世界だかの不具合で生まれた存在らしく、この世界の均衡が保たれている中、唯一彼だけがイレギュラーらしい。本人曰く、天使が持ちえない能力はその成り立ちが原因のようで、その癖翼があるのは解らない、やっぱり天使なのかもしれない、と茶化す。ただの天使なら――というのも贅沢だが――まだこちらも解せるというものだ。その実、天使の姿をした、”何か”ともあれば、こんなに退屈しないことがあるだろうか。手に入れうる全ての知識をかき集めても参考にすらならないレベルの存在だ。退屈しないことは結構で、理解しきれないのもまた、結構だったが、言動の端々を思い返してみれば、何か不穏な気配すらする。罪は犯して然るべきだとか、この世界は正しくないだとか、話の殆どは空白だらけなのに主張はといえば、どこか毅然としているように思える。


「ねぇ」

「え?」

「遊馬君」


 不意の声に永城は困惑した。と、同時に時計に目をやればもう時刻は三時を回り、皆が皆席を立ち始めていることに気づいた。視点を元に戻す。前の席の女子が話しかけてきていた。しかし、彼には誰なのか思い出すほどのリソースを他人に割いてきていない。


「何」

「昼休み、どこに行ってるの? 散歩にしては長いよね」

「どこだっていいだろ。一人になりたいんだ」

「ふーん」


 女子は興味を無くしたようだったが、少し策を練ってる様に宙を見ていた。


「じゃあ先生に相談しようかな。遊馬君が昼、何やってるのか」

「先生に相談? なんで?」

「君午後になるとほら、匂い、するからさ。何やってるかわかるよ。四組の須藤とかとつるんでるの?」


 そう言って彼女はジェスチャーをした。反射的に制服の匂いを嗅ぐ……慣れてしまっていたが、確かにわずかに残り香がする。盲点だった。この高校は私立らしく校則が厳しい。部活で実績を上げているならまだしも、永城ごときでは風紀を乱す行いは退学すら見える。退学ともなればナタクにも会えなくなる。それは永城にとっては死に近いものだった。


「……そうだと言ったら?」

「別にどうもしないけど。そんな嫌な奴に見える?」

「まさか。先生にはどうか秘密で頼むよ。須藤にも迷惑かけたくないからさ」


 バレないのであれば、須藤とやらとつるんでいるということでも構わない。その算段だったが、裏目だった。


「須藤はインターハイ出るから今はそんなことしてないはずだよ」


 息を浅く吸い込み、鋭く吐き出し、そして額に手をあてた。面倒くさいなんてものではない。雑音みたいなモノがなぜ、このタイミングで俺の視界に入ってくるんだ。理解出来ない。


「何が目的なの……? 放っておけばいいだろ、俺のことなんか。匂いが気になるならなんかつける<>からさ」

「うーん、暇だから? で、本当のところは何やってるの?」

「だから散歩して一服してるだけだって。君なら黙っておいてくれるんだろ?」

「どこで?」

「……屋上」

「じゃあ今から行こうよ。私もやってみたい」


 何言ってるんだこいつは。あんな体に悪いものをわざわざ、と言いかけても当事者が言えるわけもない。かといって、屋上と言ってしまったからには行くしかない。バッグを持って立ち上がり、また浅く息を吸い込んだ。


「ごめん、名前が思い出せなくて」

「うん、だよね。須藤でいいよ」

「……ああ? じゃあ俺がつるんでたって、カマをかけられた須藤は」

「私の双子の兄貴」

「なるほど……ね」


 正午の時より風が吹いていた。開けた戸が勢いよく開き、閉めるのにも力が必要だった。ここまでの足取りは重かった。突然背景だったクラスメイトが、好奇心だとかの理由で牙をむいて、こちらに侵入してきたのだからたまらない。とっとと適当に話をつけて解散する。


「私はじめて屋上なんて来たかも。風強いなー」

「中庭があるのに来る意味なんてないしね……あぁ、そうだ。煙草、ちょうど切らしてるんだった。また今度だね」

「なんか嘘くさいなあ。君嘘ばかりつくから、どうせどこかに隠してたりするんでしょ」

「学校にあんな危険物隠しておけるタマじゃないよ。それに、楽しみはとっておいた方がいいだろ?」


 適当な嘘と、適当な好奇心を刺激する会話で話を繋いでいた時だった。その話の適当さに納得していない少女、須藤はフェンスの方に歩きながら話していたが、振り向き、返答するその瞬間、表情を変え、出かけていた返答の内容を変えた。


「すごい、何、あれ」


 永城の背後、階段室の上を見て言ったその言葉に、まさかと永城は距離を取り、同じ場所を見た。放課後にいるとは聞いてないぞと、そう思って見た彼だったが、目に映ったのはいつものナタクではなかった。期待していた、見慣れた黒髪と金色の瞳、着崩しているのに下し立ての様な制服は無くなり、人型の輪郭こそ分かるものの、淡い青色の単色で塗りつぶされた、シルエットの様な姿になっていた。巨大な翼は中央の球体を包むように畳まれている。翼であれがナタクだろうと推し量ることが出来たが、よく見れば両の手は消失していて、その翼が手の様に思える出で立ちになっている。微かな輝きのせいか、表面をヤスリで磨いたように輪郭はぼやけ、微動だにしないので、しばらく見ていると彫刻にすら見えてくる。


 初対面のナタクから分かった、人間性の片鱗。その一片すら感じないほどの異様さに、二人の会話はぴたりと止んだ。目を離すこともできずその動向を見る他無かった。だが永城は先んじて、情報の整理に努めた。改めて現れた、純然たる超自然に心境をフラットにする。放課後にわざわざここにいて姿が違うのは、記憶を消さないことにした俺にさえ、見せたくないということだ。つまり、今見ていることが彼にとって見られて良い事ではない。とすると、後ろめたく……不穏なこと……いやそもそもアレは本当にナタクなのか――。


 尽きない疑問に比例するように、輝きは心拍の様な強弱のテンポを速めていた。球体の中央から淡く発せられていたため、変化に気づくのが遅れたが、気づいたその時、永城の不安を更に煽り、行動へと移させた。


「行こう」

「……す、ごいね。幽霊? 違うかな」

「いいから、行こう」


 須藤は声をかけられたせいか、茶化す余裕が出来たようだった。歩き始めても二人の視線は外れることは無い。仮にアレがナタクだとして、一人ならまだしも、関係の無い人まで巻き込んではこちらまで記憶を消されかねなかった。その為には、何も起こさずこの場から立ち去るしかない。すり足で、音を立てずに去る……幸い彼女も何を察したのか、なんの説明も無しに静かについてきてくれた。風で押される戸を音をたてないよう、力を入れて閉める。


「ふぅ……危なかった。あれは、この学校の生霊みたいなものでね。たまに見るけど、気づかれるとあまり良くないことが起こるんだ」

「どういうこと? 他にもいるの?」

「中庭とか、談話室にもたまにいるけど、屋上のは一番タチが悪い。自殺も少なからずあったみたいだし、あの場所に滞留する信念は良いもんじゃない。だから帰ろう」

「……せめて一枚撮らせて!」

「後のことは保証しないよ? クラスメイトに自殺者が出るのはあまり心象がよくないし、やめてほしいんだけど」


 納得したがは定かではないが、口八丁手八丁で丸め込み、終いには定義も見解も分からないが危ないのは間違いないということで、今は立ち去るべきだというところまでたどり着き、なんとか須藤を帰路につかせることに成功した。正門と裏門で帰り道が違うということで、最後の下り階段と棟渡りの廊下で、口外はしないよう言って二人は別れたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

慈悲のエラーコード 三十日 駿 @Nemshi_FN

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ