5




佐藤さんと、木下主任だった。




佐藤さんと一緒に入ってきた木下主任を見て、心臓が止まりそうになった。


木下主任は、私を見ている。



怖い。怖い。怖い。



「やあ、待っていたよ。一緒に来るということは、やはり君が紅谷さんのことを教えたんだね」



坂崎さんは笑顔で二人を迎えた。佐藤さんは無表情で坂崎さんに「お待たせして申し訳ありません」と伝えた。



どうして?待っていたってどうして?



佐藤さんは坂崎さんに向けた視線を私に向けた。その視線はどこか、昨日会った佐藤さんとは全く違う。そして、いつも二人で遊んでいたころのやさしい視線とは違っていた。



怖い。怖い。怖い。



すると、木下主任が私の方に向かって歩いてきた。早々と、私の腰を下ろしているソファに向かって歩いてくる。目を見開き、無表情をこちらに見せ、歩いてくる。



怖い。助けて。怖い。



咄嗟に両腕を顔で覆った。




「ぎゃああああああ」



すると、私の腕ごと、木下主任が抱きしめてくれた。



「………」

「………」



強く、強く、抱きしめてくれた。



「……ごめんね。辛かったね。頑張ったね」

「きの…したさ……」



身体の震えが止まらない。でも、私を強く抱きしめてくれる人は、







あの時、私がずっと待っていた


デスクの前でずっと寂しく待っていた


木下さん。






抱きしめてくれた腕をゆっくりとほどいてくれた。木下さんの顔を初めて見た。その時の顔が、あの時の木下さんだった。



涙が、止まらなかった。



「全部、恵美子から聞いたわ…」



顔を覆うようにして交差させていた腕をゆっくりと握り、私の顔をゆっくりと腕を広げてみようとする。私の顔は涙であふれ出ていたけど、それでも見てほしいと思ったのは、自分のみっともない顔よりも、私が木下さんのやさしい顔を見つめていたかったから。



「坂崎さん」



私の腕から手を放し、木下さんは坂崎さんに視線を配る。



「私の元部下が、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」

「……」

「そして、この醜態は私の責任でもあります」



木下さんは、スーツの裏ポケットから封筒を取り出した。その封筒を坂崎さんに渡した。



「辞めさせていただきます」

「木下さんっ」

「……」



退職願を坂崎さんの前に置く。



「どうして……」

「紅谷ちゃんに迷惑かけちゃった…それに、あなたのお母さんにまで…。私は謝っても謝り切れないことをしたの」

「…でもっ」

「勝手に疑って、勝手に怒って自暴自棄になって、酒に逃げて休職して……本当に情けない。よくよく考えれば、わかってたことなのに。全部、自分の責任なのに、それを…紅谷ちゃんの所為にしちゃった……」

「恵美子…」

「申し訳ない…っ」



木下さんは、私に向けて土下座をした。私は嫌だった。こんな先輩を見たくてこんなことをしたわけじゃない。



「やめてっ…くださいっ…」

「でもっ……」



涙が止まらない。私はこんなことを求めていたわけじゃない。こんな風に先輩になってもらいたくてなったわけじゃない。



すると、ドアが急に乱暴に開いた。唐突に中に入ってきたのは、山之内部長と風間さんだった。



「木下?!」

「木下主任?!」



土下座までする光景を目の当たりにした二人は驚いていた。それを必死に止める私を見て察したのか、すぐに山之内部長が身体を起こす。木下主任は状態を起こしながらも、嗚咽交じりに泣きじゃくっていた。



「紅谷……」

「部長……私」

「いや…いいんだ。全部風間と…黒田、滝沢からも聞いている」

「……」



久しく会っていない山之内部長は、以前よりやつれた様子だった。






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