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「そう…だったんですか」

「…はい。私が確認できていることはここまでです」

「…」



久二達で偶然にも出会ってしまった紅谷さんのお母さんと、紅谷さんが会社で何があったのかを話す。お母さんは私をご自宅に招き入れてくれて、おいしい紅茶を淹れてくださった。



「…私がもっと早くに気づいていれば、敦子さんが辞めなくてよかったのかもしれない。そう思うと申し訳ない気持ちでいっぱいです」

「…」

「本当にすみません…」

「そんな、佐藤さんが謝ることじゃないですよ。私も独り立ちした娘が心配で、何度も足を運ぼうとしましたが、何度も断られたんです。それで、ようやく五年目になって、気になることがあったので連絡をせずに一人暮らしのアパートに出向いたら…」

「気になること…ですか」

「ええ」



お母さんの視線が机に向かう。一瞬話して良いものかと躊躇う様子だったが、すぐに視線を私に向けた。



「電話を、折り返してくれなかったんです」

「電話?」

「ええ。何か用事があるときに私から電話をして、それで出なかったらその日のうちに必ず折り返してくれていたんです。それが、ある日電話をしたときに、その時も出なかったのですが、その連絡の折り返しが三日後にようやくきて」

「三日も…」

「そうなんです。それで、疲れているのかなと思ったら、電話口で口数は少ないし、声は低いし…まるで別人と話しているようでした」

「そう…だったんですか」

「それで気になって、連絡をしてもどうせ断られるかなと思って、それでアポなし?って言うんでしょうか。突撃訪問をしてみたら、それはそれはという感じで…」

「…」

「その様子を見て、ただ事ではないと思っていました。でも、聞けなくて。それで実家に戻って少しずつ話せるようになってから会社のことを聞こうとしたら「やめちゃった」と言ってくれて。そこでようやく、娘から退職したことを聞くことができました」

「…そうなんですね」



お母さんは、大切な娘が絶望の淵におちている姿を目の当たりにしたんだ。心情は計り知れない。



「それで…わたしも少し気になったのですが、あの…私の同期であった」

「あ!…ああ。あの方のことですか」

「あれは、いったい何なのかを教えていただけませんか?私も知っている人である手前、同じ会社の同期であるので見逃せないこと…といいますか」

「私が働いている場所が…久二達の、仲良くしてもらっている人と関係がありまして。ここの息子さんが一年ほど前に離婚して地元に戻ってきたんです。それで、半年ほどはああいうことは一切なかったのですが」

「きっかけがあるのですか?」

「ええ」



お母さんは、言葉を選ぶように少しずつ話し始めた。



「うちの娘と息子さんが幼馴染で、同じぐらいの時期に地元に戻ってきたので私と悦っちゃん…あ、さっきいた女の人です。私たちがせっかくだからと二人を会わせて。そこから二人で仲良く遊ぶ機会も増えていきました。しばらくして、アツ子の就活の息抜きがてら四人で水族館に遊びに行ったことがあったんです。どうも、そこでうちの娘と息子さんが一緒にいるところを見られていたみたいで」


「偶然…ということでしょうか」

「そうみたいですね…その後たまたまお店で働いていたときに、一人の女性が来店してきて、そこでさっき会った女性が私にテナントのお弁当を投げつけてきて」

「え…お怪我は?!」

「幸いよけることができたので大丈夫でした。私も身に覚えのない人でしたので恐怖を感じました。その後罵声を浴びせてきたのでその声にすぐ悦ちゃんがお店の裏から出てきて」

「そこで、知ったんですね」

「そうです。あの女性に「泥棒女の親」とか「裏切り者のの一族」と言われた時には、宗教の布教活動の方かなとも思いましたけど、悦ちゃんが追い払ってくれたおかげで事なきを得ました。幸い、うちの娘を良く思っている従業員の方やお客の方ばかりでしたので、あの女性の方が近所で怪しまれていますね」

「そ…そうなんですか」

「ええ。今は慣れっこです」

「今は?」

「毎日毎日、飽きずに来ますよ。「復縁しろ」「別れろ」って」

「そんな状況なんですか?警察は?」

「いえ、私が通報しないでと言っています」

「なんでですか?お母さんに危害が」

「通報したら、近所伝いで敦子の耳に入ります。ですから、悦ちゃんにも了承を得て、あそこだけで留めてもらえるようにしてもらっているのです」

「でも…」

「敦子が、もう目を曇らせている姿を見たくないんです」



お母さんの目に、涙がこぼれた。



「私が、敦子を支えてあげられなかったことを、未だに悔やんでいます。もっと早く…もっと近くで見守ってあげられたら、あんなことを経験する必要はなかった」

「…ですが…」

「贖罪、に近いですが、私が少しでも敦子を守ってあげなければと思ったんです。それに、敦子が会社で何があったのかも、本人から聞けずじまいでした。なので、下手に通報してしまって、あの女性を苦しめてしまったら、アツも…ユウちゃんも幸せになれないかな…と」

「そんな…このことは」

「もちろん、誰にも言っていません」



お母さんは目頭を押さえた。



「あの子は今、とても幸せです。ですから、もうあの頃と同じ経験だけはさせたくない」

「…」



心臓を抉られる衝撃を受ける。


私の信念、そして紅谷さんの想いは、今違う方向に向いているのかもしれない。


私は、このまま自分が思う紅谷さんを助ける方法を取り続けていいのだろうか。




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