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車で約一時間ほど。電車では三十分前後かかる場所に、紅谷さんの実家がある。車のナビで住所を設定し、目的地点に到達したところで、「紅谷」という表札を見つけた。



「ここが紅谷さんの実家…」



インターホンを鳴らす。が、応答がない。玄関口から見える庭には人影がなく、ちらっと見える窓も施錠してあるように見える。駐車場にも車がなく、もしかしたら留守かなと思い、一度昼食を摂ってから出直そうと考えた。


再び車に乗り込み、スマートフォンで近くの飲食店を探した。この沈静な住宅街に着くまでに、これと言って簡単に食べられるようなチェーン店らしき店は見当たらず、個人経営のようなお店ばかりだった。


不安をよそに飲食店を探すと、近くに「久二達」という、店内で飲食のできるお弁当屋さんがヒットした。とりあえず、そこに向かおうと車を走らせた。


車で十数分と経たず、久二達に到着した。老舗のような佇まいの店だが、駐車場も入れやすくとても入りやすい雰囲気であることに安心した。早速入店して、ネットのメニューで気になった「十穀米美膳」を注文する。カウンターの後ろでは、調理をしている女性がたくさんいて、たくさんのお弁当の具材を作っているようだった。


店内のポスターを見てみると、やはり宅配もしているお店のようだ。老舗だけあって地方にも愛され続けているのだろう。素敵なお店だ。


そして、店内お召し上がり用のお弁当をいただく。イートインスペースに座り、弁当の蓋を開ける。すると、十穀米に加え、フキと山芋とこんにゃくの煮物、焼き魚、そしてデザートには想像以上のフルーツ各種が入っているなど、どの具材も満足のいくラインナップばかり。



「これは当たりだな」



これ以上美しくなってどうする、なんて冗談を言いながら、一口頬張ると、味も予想をはるかに上回る美味が広がった。しつこくなく、薄くなく、本当にちょうどいい。この繊細な味は、長年勤めてきた店にしか出せない味だ。とても良い出会いをしたと、感動した。


あと一口で食べ終わりそうだと余韻に浸りながら完食をしようとすると、突然先ほど会計を済ませたカウンターから騒々しい声がしてきた。



「あの娘がっ!」

「あの子は関係ないっ!帰ってくれ!」



なんだなんだ?と野次馬本能丸出しで駆け寄ってみると、そこには言い争いをしている従業員のおばさんと、スーツを着た女性がいた。罵声が飛び交っている。ほかのお客もその様子を見て不穏な空気を醸し出す。


これは間に入った方がよさそうだ。



「ちょっとちょっと。何やってんですか」



二人の間に入ろうと手のひらを両方に向けて静止した。双方に怒りが収まらない様子だったが、ふと、女性の顔を見るとそこには懐かしい同僚の顔があった。



「……清美?」

「……えっ?…恵美…子?」



そこにいたのは、同年代として名古屋の本社で一緒に働いていた木下清美がいた。今は東京の営業所に行ってるんじゃなかったのか、どうしてここにいるのだろう。



「久しぶり…」

「あっ…久しぶり…」

「清美…どうしてここに…というかなんで」



すると、清美はばつが悪そうにその場を走り去った。私は、その後を追いかけることができず、かつての同期の背中を呆然と眺めるだけだった。



「あんた…あの女の知り合い?」



背中を向けていた従業員のおばさんが私に不機嫌そうに話しかけてきた。



「あっ…ええ…。私もここで会えるなんて驚きました。今東京にいるはず…というかなんかあったんですか?」

「いやいや、ただの身内のもめごと。それよりも、止めてくれてありがとうね」



おばさんは険しい顔から一転、穏やかな表情になった。



「いえ、とんでもない。…あ、お弁当ご馳走様でした。心が揺さぶられるほど、おいしかったです」

「んまあ!嬉しいこといってくれるじゃないのよ」



豪快に笑うマダム。



「そういやあ、ここら辺では見ない顔だね」

「はい。ここに来たのは初めてで」

「仕事で?」

「あー…本当は仕事中なんですけどね。実は人を探してまして」

「この辺の人だったら良く知ってるわよ。喧嘩を止めてくれたお礼。良かったら教えて頂戴」

「あ…はい。あの、紅谷敦子さんという方をご存じですか?このあたりにご実家があるとお聞きしまして」

「えっ?」



おばさんの表情が険しくなった。直感で、もしかしたら清美が言っていた「あの女」は、紅谷さんだったのではないかと思ってしまった。



「あっ!知らないならいいんです!ただ今元気かなと思って。昔、すごくお世話になった人で、突然連絡が取れなくなってしまったものでしたから…元気にしてるとわかればいいんですけど…」

「…あの、アツに何か御用ですか?」



厨房から出てきたエプロン姿の女性が私に尋ねてきた。今、アツって言った?



「…敦子さんのことご存じなんですか?」

「…りっちゃん、この方さっきあの女の仲裁に入ってくれた人だから、本当にアッちゃんのことを心配してきてくれているのかも」

「そうね…悦ちゃん。あっ!ご挨拶が遅れて申し訳ありません。私、敦子の母です」

「えっ?!紅谷さんのお母さん?!」

「ええ」



こんな偶然が会ってよいのだろうかと、弁当の奇跡、いや弁当の幸運。味だけではなく運も引き寄せるとは。



「そうですか…敦子さんはお元気ですか?」

「ええ。実家に戻ってきて、最初は元気がなかったのですが、仕事を辞めてから一年ほど経ってようやく前に進もうと就職活動をして、今はようやく仕事が見つかって、元気に働いていますよ」

「一年も…」

「…あの、差し出がましい様ですが」



紅谷さんのお母さんが、私に尋ねてきた。




「知っている範囲で結構ですので、アツが…会社で何があったのかを教えてくれませんか?」





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