5
気が付いたら、病院のベッドにいた。
目が覚めたときには、私の視界の両脇の右側に父と母、そして左側にはユウちゃんと悦子おばさん、雄二郎おじさんがいた。みんな、そんな泣きそうな顔しないでよ。
また、倒れてしまった。
私はまた、迷惑をかけてしまった。
「アツ姉大丈夫っすか?!」
朱志香ちゃんがお見舞いに来てくれた。私が倒れて病院に運ばれたと母が会社に連絡をしてくれたおかげで、従業員のみんながこぞってお見舞いに駆けつけるという事態に発展した。日中入れ代わり立ち代わりな状態。アトリエ・kyoujiで働いている時と同じ状況が、病室で起きている。途中で朱志香ちゃんが駆けつけてくれたとき、「全員かいさあああん」と号令を出し、朱志香ちゃん以外の皆さんはその場を後にした。
「病院ではおしずかにいいいいいい」という白衣の天使に叫ばれるという珍しい光景を目の当たりにするほど人が多く集まってくれた。朱志香ちゃんは、「すいやせんでしたああ」と叫び、また怒られている。
「倒れたって聞いた時には本当に驚いた。今は妻と一緒に店に樹里が留守番をしているが、樹里も「アツ姉ええええ!いくうううう」って泣いて聞かなくて困ったもんだ」
「……すみません、ご迷惑をおかけしてしまいました」
「いやいや、むしろ完全に治してからにしろ。兼業の仕事無理してるとかじゃないのか?」
「いえ、むしろ両方をうまく両立してたので、私としては気晴らしになったのですが……」
「そっすよ!無理が立ったんす!」
「無理が“祟った”な」
「朱志香ちゃん、無理立たせちゃ紅谷さんが死んじゃうよ、ははっ」
「佐藤、てめえ」
「はい、ごめんなさい」
朱志香ちゃんと話し始めてすぐ、社長と佐藤さんも仕事終わりに駆けつけてくれた。本当に心配をかけてしまった。
「で、診断は下りたのか?」
「はい、まだ詳しくはわかっていないのですが、過度のストレスが原因で神経がどーたらこーたらって」
「……は?」
「すみません…私も病院の先生の話をよく聞いてなくて」
「…ぶ」
三人が一斉に笑い出した。「どーたらこーたらって」と、大笑いをした。その様子を、廊下から鬼の形相で監視する白衣の天使。みんなが気づき、息を殺した。
「……と、特に大きな病気ではなかったってことだな」
「はい、ご心配おかけしました」
「それならよかった。だが、無理は禁物じゃないぞ、無理は禁止だからな」
「そうそう、紅谷さんなんでもできちゃうから、いっつも一人で頑張ってるんだもん」
「そうっすよ、たまにはうちらたよってくださいよ!」
「そうそう。…まあ、社長や幸路さんならともかく…ねえ」
「あん?」
「はい、ごめんなさい」
コンビニで黒田君にあったとき、またあの時に戻ると思った。だから怖くなって逃げだしてしまった。黒田君の話を聞ける状況には到底なれなかった。
逃げたい。
逃げる。
そして、引きこもる。
こうして私が、またもとに戻ってしまう…のだと。
「紅谷……」
「ごめん…なさい…」
涙が抑えきれない。
「ねえええええさああああああんんんんっっつうえっっっ」
「うわっ!俺の膝に吐かないでよっ」
こんな素敵な場所を失いたくない。こんな素敵な人たちと離れたくない。
「私、もっと強くなり…ばすっ」
「そこは強くなり“ます”だろ…」
社長も男泣きをしていた。
「……アッちゃん」
この惨状を目の当たりにしたユウちゃん。私の着替えが入ったトートバックと、差し入れてくれたゼリーを持ち、困惑した表情を見せた。
三人は一斉にユウちゃんをみた。ユウちゃんはぎょっとした顔つきで驚く、というか恐怖を覚えた顔をした。
「…あんた」
「あ……こんばんは。アッちゃ、敦子さんの幼馴」
社長が立ち上がり、ユウちゃんの肩を力強く叩いた。
「紅谷を…よろしくな、紅谷。いい奥さんに…なれるぞ、お前ならなれる!」
「え…はっ?」
社長は、「邪魔したな!お前らいくぞ!」と、昭和の英雄が港町を去るように、そしてスクリーンの“終”が見えてきそうな雰囲気を醸し出しながら病室を去っていった。
「兄さん!初めましてですね!朱志香っていいます!いつも姉さんにお世話になってます!」
「え……あ、どうもこちらこそ。敦子がお世話に」
「佐藤!おいいくぞ!邪魔しちゃいけねえ!」
「俺……今日一番で泣きそう……敦子さんにこんな素敵な彼氏さんがいたなんて……」
「……はっ?」
「…くっ!佐藤…泣くな!男だろ!飲みに行くぞ!」
「敦子さああああん」
佐藤さんは、朱志香ちゃんに首根っこをつかまれ、本当にアニメと同じように引きずられて病室を去った。
……嵐。
呆然とその場が過ぎ去り、ポカンとしていた私の横に立つユウちゃんに視線を向けた。
ユウちゃんは、口に手を当てていた。耳が少しだけ赤かった。
「なんか……ごめんね」
「いや……」
沈黙が続いた。ユウちゃんはパイプ椅子に腰かけた。座って尚、沈黙が続く。
「……」
「……」
ユウちゃんは、口に手を当てたままだった。しかし「あっ!」と、声を出した。
「これ……律おばさんに頼まれて、もももってきた」
「ああ…ありがとう」
私は「それかよ!」と思ってしまった。
つい前日のことが嘘のよう。ずしんとした胸の重みが、さっきまでの嵐で流され、ユウちゃんという存在でやさしく温めてくれた。
「まだ、面会時間……あるから、ゼリー、一緒に食べよ」
「おっおうそうだな」
ゼリーを取りだし、スプーンを開けて一緒に食べた。フルーツゼリーには、桃・ミカン・リンゴ・サクランボが入っていて、透明のゼラチンに包まれている。食欲のわかない私でも、やさしく胃の中に入ってきてとても食べやすい。
ユウちゃんが、私のゼリーの中にサクランボを入れてくれた。「あげる」と言うユウちゃん。まだ、耳がほんのり赤い。
「ありがとう」
ユウちゃんは、照れながら満面の笑顔を見せてくれた。
とりあえずライターの仕事は一週間お休みをいただくことができた。納品していたライターの記事は一週間分を校閲に回さないだけになるため、連載でそこまで迷惑になることはないという。
「健康第一よ~!ごめんねお見舞い行けなくって……」
ヨッシーさんが電話先で心配してくれている。
「いえ、こちらこそご迷惑を…」
「そんなことないわよ!とりあえず完璧に治してからね!あと、このタイミングで悪いんだけど、ちょっと仕事で新規の案件をお願いしたいことがあるの。元気になってからでいいから、一度打ち合わせできないかしら」
「えっ?!新規の案件?!嬉しいです!ぜひ!」
「ありがとう!じゃあとりあえず一週間しっかり休んで、その後予定合いそうなときに連絡をちょうだい」
新規の案件ってなんだろう、と思いながらも、頑張ってライターの仕事を続けてよかったと、高揚感が止まらなかった。
そして
「ダメよ!一週間は安静に!家事禁止!」
「いや、それは無理」
「なんでよう!」
「まあまあ、母さん」
母が三十過ぎた娘に、倒れてから過保護になってしまったことが、何よりも大変だった。
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