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代休後の月曜日、出勤するといつものデスクに木下主任がいなかった。今日は休みなのかなと思った。すると、毎週月曜日の朝礼で、主任が転勤をすることになったという報告を受けた。報告をしたのは坂崎さんで、その様子を山之内部長は睨むようにして見ていた。

 

突然の辞令に人事部だけでなく、同じ階の経理部や総務部も、ざわついていた。

 

「なんで?」「辞令って突然来るもんじゃないよね」「何かやらかした?」など、小声の憶測が飛び交っている。

 

人事部に視線がちらちらと注がれる。私はその視線を外し、下方を見ながら少しだけうつむき立ち尽くしていた。

 

朝礼が終わり、デスクに向かった。今日は休み明けということもあり、やることが二日分ほど溜まっている。

 


「紅谷、ちょっといいか」

 


山之内部長が声をかけてきた。とりかかろうとした書類の山を、付箋やクリップで分かりやすくまとめてデスクに置き、部長に呼ばれるがまま応接室に入っていく。

 


「この前は迷惑かけたな」

「いえ。ですが主任は…」

「ああ。…あの時に辞令を受けた。というか、どちらかというと処罰に近い」

「一体何があったんですか?」

「言えない」

「え…」

「すまん」

「部長!」

「……察してくれ」

 


山之内部長は、膝から倒れて泣き崩れた。私には、その場を止める手立てがなかった。

 


“事実上の処罰”で東京に行った主任。だが、周りは半信半疑になりながらも、「東京に行った」という事実が、処罰としては妥当ではないじゃないかと思い始める。

 


「紅谷さん、もしかして何か知ってるんじゃないですか?ほら、主任と仲良かったじゃないですか」

 


隣のデスクに座る滝沢さんが話しかけてきた。彼女は入社二年目になる後輩。

 


「…さあ。私もよく知らないの」

「うっそだぁ~!絶対隠してるじゃないですかぁ。後ででいいのでこっそり教えてくださいよ」

「知らないのよ、本当に」

「え~、本当に知らないんですか?じゃあ別に仲良くなかったってことなんですかね?」

 


と、嫌みを言ってくる彼女が、私はどうも好きになれなかった。本人はわざと言ってきているのか、それとも無意識に言っているのかはわからないが、聞いているこっちは良い気がしない。

 


「滝沢、それよりも部長に頼まれてた仕事あっただろ」

 


同僚の黒田君が、私の向かい側にあるデスクから注意をする。

 


「はぁい」

 


黒田君が私にアイコンタクトをしてくる。滝沢さんが席を立ったタイミングで「ありがとう」と小さくお礼を言った。

 


さて、溜まっている仕事を終わらせなくては。まずは研修の報告書をまとめないと。

 


「ちょっと!人事部の人!どうなってんの?!」

 


バタバタと足音を立て、カウンター越しで大声で叫ぶ、慌てた様子で営業部の人。その様子を見て黒田君が席を立ち「どうしましたか?」と尋ねる。

 


「どうしたもこうしたも…これ」

「え?」

 


何やら営業部の人と黒沢君が、数枚ある書類の束を一枚ずつめくりながら確認している。黒田君の様子を見る限り、ただ事ではないようである。

 

「紅谷、ちょっと」と、黒田君に呼ばれ、私も席を立った。「これ見てくれ」と、手渡された書類を確認すると、営業部に配属される予定の新入社員の退職届であることがわかった。

 


「これ、どういうことですか?」

「私だって聞きたいわよ…。朝一番に、いきなり全員から渡されて、理由を教えてくれって言ったら、“人事部の書類手続きが営業部だけ遅いのって会社としてどうなのか?”って」

「書類手続き?入社書類関係の手続きや申請は、すでに各担当で手続きを終えているはずですが」

「うちだけみたいよ、保険証とか諸々貰ってないの。…そんなことってある?」

「紅谷、営業部の人事担当者って誰だっけ?」

「えっと……」

 


人事部は部長合わせて五人。木下主任・黒田君・滝沢さん・そして私。人事部は少人数制で、他の部署の人事手続きを各部署ごとで配分して、担当しているのが業務のスタイルとなっている。

つまり、変更各種・入退社まで部署担当が責任を持ってやる。反対に担当者がいることで、担当の部署は誰に相談したりすれば良いかが明確となり、手続きもスムーズになる…はずだったのだが。

 

担当の振り分け表を確認する。総務部・経理部・広報部は黒田君。私は企画部、業務管理部、安全衛生部。木下主任は、秘書部、営業部一課、そして滝沢さんが営業部二課、庶務・受付部になる。

 


「すみません、営業の何課になりますか?」

「二課よ!」

 


二課の担当者は、滝沢さんだった。


滝沢さんは、今席を外してここにはいない。


タイミングが悪く、山之内部長も席を外している。


トラブルを解決するためには、黒田君と私が動くしか方法がなかった。


「すぐに確認します。紅谷、お前は営業二課の新入社員のフォローに回ってくれ。俺は、部長に報告してから、この件を滝沢に確認してくる」

「わかった」



私はその後、営業二課に配属となる予定であった新入社員に謝罪をし、訴えを起こした新入社員一人ひとりに聞き取り調査をした。


気がついたのは入社して一ヶ月経った時。ほかの新入社員が一か月と経たずに各種手続書類や保険証などが届いているのに、なぜ自分たちだけがないのだろうと、入社当初は不思議に思っていたのだという。

 

しかし、研修が終わったあたりで他の部署に配属予定だとう同期から、「遅くないか?一度確認した方がいい」と打診されたこともあり、上司に確認してもらうとすでに手続きはできているという報告を受けたという。上司も「研修が終わっても来なかったら確認してみるわ~」と、適当に扱われた為、このまま入社して良いものかと不安になってきたという。早期に退職した方が賢明じゃないかと営業二課の新入社員同士で意見が一致し、一緒に退職をするということになったと言うのが、今回の一連の流れになるとのことだった。

 

私は再度、人事部の不手際だったことを謝罪した。代わりに私が担当となることで解決した。退職届は下げてもらったが、営業二課の上司たちとは一緒に仕事ができないと言う希望が全員から聞き取れた為、社内の異動届を各部部長に印字してもらい、受理してもらえるように通す約束で残留してもらうこととなった。

 


「紅谷さんが話を聞いてくれて、本当によかった」

 


研修の時に思ったのが、新入社員の子のほとんどは、真剣な眼差しでこちらを見る一方で、不安を抱えているようにも見て取れた。私も始めはこんな感じだったのだろうか。入社して三か月目の研修会。現場でみんなは何を見て、何を感じたのだろうか。

 

そう感じた私の疑問を「よかった」という声でなんとなくわかった気がした。慣れない環境で不安だった心境を、“信頼できそうな誰かに”頼れる場所が欲しかったのだろう。

 


「何か困ったことがあれば、いつでも遊びに来てね」



そういうと、目に涙を浮かべる子もいた。慣れない環境で頑張るみんなを、懸命に応援したいと思った。

 

そして、聞き取り調査が終わり、急ぎ部署に戻る。ためている仕事が片付かないことに焦りを感じながら、どの手順で仕事を終わらせようかと、頭の中で仕事の優先順位を考えていた。

 

とりあえず、手持ちにある異動届を山之内部長に了承をもらい、各部署に回覧して許可を得ることが先決だった。

 

「あ~」オフィスに戻ると、十五時を回っていた。聴き取り調査が長かったかと、時間の観念がないほど集中していた自分に驚きながら、かなり遅いがお弁当を食べることにした。


 

「あー…仕事…」


 

食べながらも仕事のことが頭から離れない。それもそうだ。今食べている場所がデスクで、その左横には簡易バケットに入った書類が束になって入っているからだ。景観が、仕事のことから離させてくれないのだ。

 

そこで気づく。黒田君と滝沢さんが席にいない。そして山之内部長もいない。

 

独りぼっちのご飯は、少しだけさみしい気がした。目の前には木下主任がいた。「紅谷!今日ご飯行こ!」と、デスクを覗きながら私に予定を聞いてくることが、つい数日前では当たり前のことだったのに。

 

右手で箸を持ち、ご飯をつまみ口に運ぶ。そして橋を持った手の甲で、涙を拭いた。



「紅谷」

 


急に右横から声がして、慌てて視線を向けると、そこには山之内部長が立っていた。


山之内部長の後ろには、笑みを浮かべる滝沢さんと、無表情の黒田君が立っていた。

 

私は、山之内部長の言葉で会社の“私”をすべて失うこととなった。

 



「お前が、全部やったんだな」




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