3

 

「たまにはいいな。いつもご飯食べに行ってるのとわけが違う」

「そうだね…本当にすごかった」

 


ユウちゃんと先ほどまでの余韻に浸る。私たち二人は、頭から下までずぶ濡れの状態だった。

 

入場ゲートの入り口に各種イベント時間が記載されていた時間を見た母と悦子おばさんは、「イルカシャワー浴びに行くわよっ」と意気込み、早々とイルカショーの席を取りに行った。のんびりと二人で後を追い会場に着くと、二人は満面の笑みで最前列の席を取っていた。

 

その時二人で顔を見合わせて同じことを思った。あの席は水を浴びる危険がかなり高い。なぜなら、イルカショーの謳い文句で「ヒレで大胆にイルカシャワー!」とか書いてあったから。如何にもというイベントで、あの二人は水を浴びたいがために中央の最前列に席を陣取っているのだ。

 

案の定、店員さんが立ち売りしていたカッパを購入して着用していても、浴びる水の量は相当なものだった。

 

結果、激しくずぶ濡れになる。

 


「でも、楽しかった」

「うん、あれはすごい」

 


目の前で私たちの母はキャーキャーと楽しんでいる。どちらが親なのかわからないほど。

 


「綿パンできてよかった」

「そうだな、俺もTシャツできてよかった」

「すぐ着替えられるし」

「そうだね」

「でも、このシャツはちょっと…」

 


母たちがキャーキャー言っている理由はもう一つ。偶然にも、特に水を激しく浴びた席が、私とユウちゃんの席だった。母たちは「物足りない!」と不貞腐れる程、奇跡的に水を浴びていなかった。

 

「水が上から入り込んじゃったのね!」「待ってなさい!」と、イルカショーが終わってから張り切って売店に行った母たちが購入し、持ってきたのは水族館専用のオリジナルTシャツ。

 

しかも、お揃いだった。

 


「恥ずかしい」

「俺もだ」

「いいじゃない!似合うわよ」

 


母たちは「ペアルックね!」とはしゃぐのであった。

 

水族館の名前の入ったロゴ、大きなイルカとアシカの写真付きワンポイント。水族館には申し訳ないが、私服を買いに行くときにこのようなデザインの服は絶対に選ばない。

 

しかし、濡れたままの服で出歩くのを考えればと、私たちは「まあいっか」と開き直り、四人で館内の魚や動物たちを見に行った。




 

館内の地図が書かれているパンフレットを見て、進路を決めて道順を進んだ。時折覗き込み「ここにクラゲいるのかな?」と、ユウちゃんが近くに顔を寄せてくるたびにドキッとした。

 


「すごいな」


 

目の前にはイワシの大群がいる。今“イワシトルネード”という限定イベントを観覧している。音楽に合わせ、大量のイワシが上下左右に泳ぎ、魚影が光で綺麗に照らされる。

 

生きた芸術、と言ってもいいぐらい。


 

「圧巻だね」

「このイベントも人気らしいからな」

 


本当に綺麗。

 


「ちょっと落ち着いた?」

「え?」

「元気出たかなって」

「もちろん、気晴らしどころじゃないよ。本当に楽しい」

「ならよかった」

 


ありがとう、ユウちゃん。



 


「あっ」

「うん?どうした?」

「ここもあるんだ」

 

イワシトルネードを鑑賞した後に、様々な魚や動物を鑑賞した。ふと、どんな魚なのかなと説明書きを見ようと掲示されている名前を見ようとすると、名前の横に職員さんが手書きで記入したと思われる説明文が載っていた。

 

どれも面白おかしく書いてあり、笑いを誘う。


「すごい、こんな面白い文章を思いつくなんて」

「俺もさっきから読んでるけど、ほんと面白いな。今の水族館ってこんなことしてるんだ」

「なかなかかけないよね」

「そうだな、普通「この魚塩焼きして食べるとおいしいと思います」なんて書かないよ」

 

こうした文章を読み続けるのが好きだった。仕事がつらくなった時「まとめサイト」を読んで笑ったり、ブログで同じ気持ちの人が書いている記事を閲覧したりと、幾度となく活字に励まされてきたのを思い出す。

 

「こういうの、素敵だよね」

 

じっと見つめている私に、ユウちゃんは「じゃあさ」と言う。

 

「これ、仕事にするってのはどう?」

「え?仕事?」

「アッちゃん、昔から文章作るの得意だったじゃん。ほら、読書感想文。よく同級生の読書感想文の作り方とか教えてあげてたじゃん」

「それは小さい頃の話だよ」

「でも、活字読読むの好きでしょ?」

「それは……好き」

「なら、もし今回の面接がうまくいかなかったとしたら在宅業ってのもありなんじゃないかなって思って」

「在宅業務?」

「そう」

 


ユウちゃんは、続けてこういった。



「ライターって仕事、向いてそうな気がする」

 


在宅業務という選択肢は私の中になかった。“ライター”という仕事を聞いて、興味が湧いた。大好きな活字を作る仕事。今まで経験したことがない仕事。

 


私は、できるのだろうか。でも、やってみたいという気持ちはあった。










「あれ、紅谷じゃね?」

 

その声は、淡水魚のエリアで、二人で魚を見る背後から聞こえた。二人は、その声に気づいていない。

 

楽しい時間を過ごす二人、これから頑張ろうとする二人に、身勝手な人間は何を思うだろうか。

 

その“幸せそうな”二人を見て、何をするのだろうか。

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