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そして今。

 

私は実家に戻り、一か月ほど経ってようやく落ち着いた時間を過ごそうとしている。

 

実家は田舎とは言い難いが郊外とも言い難い場所にある。近所の家同士が数キロ離れているわけでもなく、近所の周りが新興住宅となっているわけでもない。ベッドタウンと呼ぶにしては、周辺の住宅は年数の経つ一軒家ばかりで、小さいころから知っている近所のおじさんおばさんも、年齢を少し重ねた風貌に多少変わっていたとしても「久しぶりだな」「大きくなったわね」と、温かさに何一つ変化が見られなかった。「旧ベッドタウン」と呼ぶにふさわしい場所なのかな。

 

そしてただの一軒家、といったら父が悲しむので脳内に留めておくとする。

 

父はまだ現役で働いているサラリーマン。御年五十八歳。もうすぐ定年。母は同じ年齢で主婦をしている。時々近所のお友達に頼まれてお弁当作りのパートや、農家の仕分けの手伝いに行っている。

 

私は実家に戻ってきて、何をしたらよいかがわからずに途方に暮れていた。将来の夢もなく、目標もなく、やりたいことも何一つなかった。

 

アパートで引きこもっていた時には、ソーシャルゲームに熱中していた。それが今やりたいかといえば、実際のところわからない。一応実家にパソコンを持ってきたはいいものの、起動しようとするとまたもとに戻るかもしれないという恐怖を感じ、引っ越してからは立ち上げてすらいなかった。

 


「アツ、ちょっと来てくれ!」

 


実家の敷地で家庭菜園をしている父が、庭から私を呼んだ。多分、収穫した野菜を入れる籠が欲しいのだろう。

 

敷地につながる納戸の近くにある籠を持ち、トマトの苗に顔を埋めている父のもとに向かった。

 

「ほら!これこれ」と、私に収穫した中玉トマトを三個手渡した。トマトを籠に入れ、そのまま収穫を続ける父の近くで次の収穫物を入れれるようにと籠を持ち、待機。

 


「今年はよく採れるなあ。追肥のタイミングが良かったかもしれん」

「そうなんだ」

「おうよ。勉強したからな。去年は不作だったしな」

「そうなんだ、よかったじゃん」

「おう」

 


今年は本当に豊作のようで、トマトのほかにも茄子、キュウリ、ミニトマト、西瓜ピーマン、大葉、オクラが籠の中にどんどん入る。どれも身が大きく、栄養が凝縮していておいしそう。

 

収穫が終わった父が畑から出てきてニッと笑う。



「んじゃ、水やりだけ頼むわ」

「うん、トマトは気を付けるんだよね」

「そうだ。あんまり水をあげすぎると腐っちまう」

「うん、わかったよ」

 


実家に戻ってきた私に、父は「俺が仕事の間野菜の守番を頼む」と言ってくれた。実家に戻ってきた際、父は私の顔を見てそういった。

 

私が宙ぶらりんにならないための、父の些細な気遣いがとてもありがたかった。

 

籠を両手で持ち、抱える籠に広がる父の最高傑作に心が少しずつ癒された。

 

そして二人で家の中に入り、収穫した野菜を母と一緒にサラダとして朝の食卓に並べる。実家の朝ご飯は「米派」なのだが、私が帰ってきたことによって「パン食可」としてくれた。

 

だから、今日の朝食は近所のパン屋さんで購入した食パンと、出来立てのサラダ。そして玉ねぎとベーコンを入れたコンソメスープ。

 


「いただきます」

 


今日も、一日が始まる。小さいころから味わってきた“当たり前の一日”。そして“あたりまえの朝”が、大人になった今の私にはありがたく感じる。引きこもっていたころの私は、こうした生活がもう送れないものだと勝手に思い込んでいたから。

 


平穏な一日が、今日も過ごせますように。






 

「じゃあ、夕方には戻るわね」

 

と、お昼ごろに近所のお弁当屋さんのお手伝いに行った母が帰宅して早々「事件よ!」と叫んで帰ってきた。あまりの大声に、夕飯の味噌汁を作っていた私は、手に持つお玉を床にひっくり返すほどおどろいた。

 

 実家に戻ってきて二か月が経とうとしている。少しずつ自活能力が取り戻せてきていたため、家事全般を担っていた。掃除をしたり、洗濯をしたり、料理を作ったりと主婦業をしていた。そのほかにも父に教えてもらい、野菜の水やりだけではなく剪定をしたり、収穫をすることもできるようになった。今日は父の畑で収穫した野菜を使って天ぷらを作る予定である。


 

「お母さん、どうしたのそんな慌てちゃって」

「たたたたたいへんなななのよよよ」


 

口をパクパクして慌てる母。私に何かを伝えたい様子。とりあえず汗が止まらない母に、母が好きなカモミールティーを淹れて落ち着かせようとした。ちょうどポットのお湯も沸いている。


 

「とりあえずお茶飲んでから話そう」

「そそそそうねっ!」


 

と、ポットで蒸している茶葉が待ちきれなかったのか、それとも相当喉が渇いていたのか、母は急いで蒸しきれていないカモミールを近くの和柄の湯飲みに入れた。そして一気に飲もうとするが「あちち」と慌てすぎて口がお湯の熱さに負ける。

 


「ちょっとちょっと・・・」

「あっつ!っ・・・ぱあああ」



何とか一口を落ち着て口に含むことができたようだ。そして母は一口を飲み込んだ後にとんでもないことを言い出した。

 



「アツ、・・・結婚する気ない?」

「え・・・はあ?」





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