それは夜よりも
旧棟3階端の物置として使われている部屋に入る時は、必ず照明をつける前に換気扇のスイッチを入れなければならない、そうだ。換気扇をつけておかないと明るくならないからだと聞いたが配線の問題だろうか。まぁ換気も大事だからねと上司は流していたが、そう頻繁には使わない部屋とはいえ修理したほうが良いのではないかと思う。思っていた。
あれは先週のこと。会議に使う部屋が急遽旧棟の会議室に変更になりプロジェクターをセッティングし直したのだが、コードの長さが足りなかった。延長コードなら確か件の物置にあったと思う、と先輩に聞きその部屋に向かったのだ。
やや黒ずんだ古く重たい扉を押し開いてぱちり、と照明を点けたところで、ああ換気扇が先だったなと思い出しスイッチを探した。手元が暗くてスイッチがどこにあるか分からない。
……暗い?
たった今つけた筈の照明を見上げる。確かに照明は点いていた。天井に埋め込まれた電球は硬質な白い光を放っている。
周囲15 cmほどの範囲だけに。
蝋燭の弱々しい光でもあるまいに、光源から離れると不自然に減衰する光。見上げる頭に疑問符が飛び交う中ふと入ってきた扉を見た。人ひとり無理なく入れるくらいに開かれた扉から光が射し込む、はずなのに。
扉から10 cmもすれば光は届かず、完全な闇に閉ざされていた。自分の指先さえ呑み込まれている。まるで、この部屋が黒い液体にでも満たされている様だ。
密度の高い、暗闇に。
思わず扉側の壁に後退る。途端横目にちらつく赤い光にびくついたが、ともすれば見落としてしまいそうな換気扇のスイッチだった。突き指でもしそうな勢いで押し込むと、ざぁ、と霧が晴れていくように部屋全体が明るくなった。今まで見えなかった部屋の様子が目に映る。壁際に置かれた棚や床に段ボール箱が積まれた、少し埃っぽいだけで何の変哲もない部屋だ。奥の壁の右隅に取り付けられた換気扇がカラカラと小さな軽い音を立てている。今はもう部屋の四隅を照らす明かりの下、ぐるりと見渡すと目当ての延長コードが入った箱を左手の棚に見つけた。僅か三歩も歩けば手が届くその棚は、先程まではその輪郭さえも見てとれなかったものだ。
――ここを満たしていたのは、
ぶるりと頭を一度振って箱を抱え、足早に部屋を後にした。勿論、換気扇は照明の後に消して。
あの後。会議室まで運んだ延長コードを解きほぐしながら先輩にそれとなく訊ねてみたが、几帳面な性格の彼は換気扇をつけ忘れたことはないようだった。あの部屋確かにとても暗いよね、照明が点くのも遅いし。そう言われてしまっては、その荒唐無稽さも手伝って、自分の見たものが信じられなくなった。
――明るさに目が慣れなかっただけかもしれない。そう、きっとそういうことだ。
そう理由をつけてみれば、知らず強張っていた肩の力がゆるゆると抜ける。
漏れ出た安堵のため息は、幽かに黒ずんでいた。
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