第三十五話『死の超越者』




 二対一だったのが直ぐに一騎討ちへと様変わりする。


 アーゲットは何も言えない。気に掛ける余裕が無い。

 ザクザクと歩み寄るワドゥーに対してのみ集中を極める。


 そして無遠慮に入った制空権、ワドゥーは小手調べとばかりに、ゆっくりと黒剣を振り上げる。



「!!」



 アーゲットも即座に対応した。身体強化をした上で生身の剣を盾の様に翳す。


 ミハエル少佐の時もそうだったが、使い方次第だが、もうL2で精製した武器はあの黒剣の前では無い物と同義。

 寧ろ魔法造では無い普通の長剣の方が相手には向いている。



 瞬間、とんでもない剛力によってアーゲットが使った剣は両断され、威力の余波に両方の肩も嫌な音と共に外れる。



「ぐあっ!?!…ぐ…ッ!!!」



『魔法使い殺し』の秘剣は健在だ。

 触れた瞬間に身体強化の魔法が消えたのをアーゲットは感じた。

 身体強化が残っていれば、今のは肩迄は外れなかった筈だから。


 即座にまた脚に強化を掛け直して、後方に跳躍して逃げる。

 外れた肩も直ぐ様、嵌め直した。但し接合の痛みに喘ぐ事となる。



「────」



 退避しながら、声に成らず絶句していた。


 腕力は先のミハエル少佐と比べると大人と子供。いやそれ以上。


 一合、交えて全て察した。


 速力、先程で分かった。人間じゃない。

 腕力、先程で分かった。人間じゃない。


 先ずワドゥーとはまともに打ち合えない。


 先ずワドゥーの射程内にすら入ってはいけない。


 目を朱く光らせて、追撃を拒む様に、自らの部下達の亡骸が持つ剣を『フェイズ』で掴んで、何本も投擲する。


 ワドゥーはそれを弾く…のでは無く、剣を剣にて斬って行く…化物だ。真正しく。


 全身に身体強化を掛けた。しかし次の一手が見えて来ない。

 この化物相手に何をどうして通用するのか。


 兜と鎧の隙間に見える肉の部分、首の肉…あそこに当てれば死ぬ、とは思っている。


 問題はそこに、どうやって、剣を差し込むか。


 考えてる間も、化物は又想定外の行動でアーゲットを揺さぶる。


 剣を鞘に直し、走ってきた。



「は…?」



 走って来た、と思っていた。

 そこから二段程加速して、呆っと言う間にアーゲットの前に来る。



「なっっっ…!?」



 先程も目に追えぬ程に加速して、兵長のウィルグが斬り捨てられた。


 この時、アーゲットには確かに『死』が頭の中に過ぎった。


 実際は頭より腹だ。あの鎧の塊に水月を思い切り蹴り飛ばされた。



「ぐォっ…オッッッエエエエエエエ…………!!!!!!!!!!」



 蹴り一発でとんでもない距離迄、吹き飛ばされた。


 観戦している火国兵の群に突っ込んだが、誰もアーゲットの首を取らずに、寧ろ巻き込まれるのを恐れてサッと引いていく。


 そして当のアーゲットは悶絶しながら胃の中の内容物を吐いた。赤も多く交じる。

 内臓ごと吐いてしまう勢いだった。胃が破けている。『ガード』で必死に治癒する。


 今のはそれこそワドゥーにしては珍しく軽く戯れたつもりだろう。


 だがその遊びに優しく撫でられただけで、水国最優の魔法使い三塔は著しいダメージを受けた。


 そしてワドゥーはまたゆっくりと走り始める。



「ぐ…そ…………化物がァァァ!!!!」



 一瞬、アーゲットは逃げる火国兵達をちらりと見る。

 そして再び迫る黒騎士に、自棄を起こしたのか、瞬時にL2で土剣を造り、無謀にもこれを待ち構える。


 見ている者、水国兵ですら、もう隊長の勝機を感じなかった。

 それぐらいの隔りを、短い間に察した。


 ワドゥーは今度は遊び無い。アーゲットの首を刎ねる為に駆ける。

 先程の焼き増し。また人外の速度を出して差し迫る。



「あまり此を離れると僕も困るんだよ」



 一転取り乱しが嘘の様に、言う平らな声。


 アーゲットは射程圏ギリギリ迄迫らせてから、身体強化で大きく跳躍して、向かって来たワドゥーをも越す。

 適当に作った土剣は見掛け。早々に手放した。撃ち合うつもり等更々無い。惨め無様にも逃げる。


 ワドゥーもこれにて終いと思ったのか再び黒剣を抜いていた。その剣は急遽狙いが空に逃れた為に宙を斬る。

 だが変わらない。終いと思った事は変わらない。逃げるなら、進行方向が只変わるだけ。


 追い付く迄、駆けて駆けて駆けて、そして首を狩り取る。



「…まあ待てって急ぐな。少し話し合おう」



 アーゲットの話に聞く耳は持たない。走り出したら止まらない。

 斬ると決めたら右手に意中の生首をぶら下げる迄、終わらない。


 この時既に、アーゲットの眼は朱く光る。



「仕方ない奴だ、妹からの貰い物だが遠慮無く使わせてもらおうか。

 ノア中尉…だったか、僕は当然ワドゥーにも使うぞ?『卑怯』を」



 アーゲットとワドゥーの距離は最早近い。


 ワドゥーの射程距離に入り掛けている。


 アーゲットが『フェイズ』を行使するつもりでも発動迄に斬撃に間に合いはしない。


 先程やったジャンプによる緊急回避も、二度は通用しないだろう。

 身体強化したアーゲットと、ワドゥー、それでも走力はワドゥーが勝る。逃げた所で逃げ延びる事は無い。


 その只中、急遽差し込む白煙が両雄の視界を遮った。



「僕の妹、シャルル=フォーカス特製の白煙玉だ、良く出来ているだろう?

 睡眠粉なんてのもあるんだが、何かお前に効く気がしないな。だがこうやって視界を奪われたらどうだ───?」



 スゥーっとアーゲットの姿も白煙の内に、陽炎へと消える。


 迅速に動き、今し方居た場所をワドゥーは斜めに裂いた…が感触は無い。


 火国最強を嘗めてはいけない。視界は見えずともそこに人が居る事は見分けがつく。


 X005隊アーゲット隊長を嘗めてはいけない。そこも十分承知の彼は、ちゃんと『用意』した。



「今からお前に『フェイズ』を掛ける、これが僕の最後の挑戦であり攻撃になるだろう。

 無論お前は『フェイズ』に捕まる前に僕をこの白煙から探し出して殺す。それぐらい訳無いだろう。だから『用意』した。

 片方は火国兵、さっき僕がドサクサで捕まえた一人だ。もう片方は勿論、僕」



 捕まえた火国兵は『フェイズ』で逃げられない様にと拘束している。


 ワドゥーは黙っている。聞くと言うよりは、既に感覚を頼りに、探している。


 確かにこの場に、人が生きて其処に居る気配がする。二人分。


 判別は出来ない。が、なんて事は無い。

 どっちも斬ればいい話だ。仲間殺しなんて彼はどうでもいい。


 ただワドゥーは『フェイズ』と言う魔法を侮っている。いや正確には───

 斬った片方が違えば、間違いなくそれは掛かる。だからこそアーゲットは此の場を作った。



「改めて、僕と勝負だ。二つの内『当たり』は一つ。お前がそれを斬り殺せばアーゲット=フォーカスは死ぬ。

『ハズレ』を引けばその間にお前は僕の『フェイズ』に掛かる」



 作り上げた。一合。だが正真正銘、対等に戦える場所を。


 明らかに差があった二人の距離が此でゼロへ変わる。



「確率は五十%、この五十%を今より奪い合おう。

 心して選べワドゥー、僕を相手に五十%は大分低い」



 ───乾坤一擲───


 対してワドゥー。特に思考もする事無く一番近かった方の気配を斬る。



「ぎッッ!?…ッ………」



 感触はあった。但しそれは己の内にあるアーゲットの情報と体重が一致しない。


 引いたのは、『ハズレ』



「な? 意外と外れるだろう五十%───

  師は五十%の駆け引き『も』好きらしいが僕からしたらとんでもないね、恐ろしくて勝負に行けない。今も足はガクガクしてるよ」



 白煙は、そろそろ晴れる。


 現るは瞳を朱に染め発光させるアーゲット、そしてワドゥー


 互いに割と近い距離だ。ワドゥーならもう数歩で一刀両断の領域に入る。



「凄いな…お前ッッ……、魔力に余力を残して来たが…これは此で全部使うなぁ………」



 だが、ワドゥーは今を一歩たりとも動けはしない。


 両足だけじゃない、アーゲットは黒剣握る右腕肩の根本迄も掌握している。


 ワドゥーは特に現状に焦る様な挙動無く、動く左手で動けぬ右手から黒剣を抜こうと試みる。

 だが、際どい所で届かない。右手側がもう少し寄せなければ渡しは難しい。

 それに自分の剛力に依って握られている右手は皮肉にも生半可な力では引き剥がせない。

 

 アーゲットは大きく息を吸う。眼光は朱く染まっているが、その眼球は微々に揺らいでいる。

『フェイズ』の手練、魔法使い三塔アーゲット=フォーカスをして、ワドゥーの身を止めるのは如何にも苦しい。


『フェイズ』に依る拘束を解く方法、簡単な一つがある。

 自力脱出だ。拘束に掛かった者が強ければ強い程、『フェイズ』は切れ易い。



「………お前を………『フェイズ』で捕まえた奴は今まで…何人…居ただろうな………

 尊敬、するよ………たかが両足と手一本…自由奪う位で…此迄抵抗されちゃあ………術者は大慌てだ………」



 ワドゥーの抵抗が強い。破ろうとする心得があるのかどうかは分からないが。


 この抵抗力、アーゲットが少しでも気を抜くと直ぐに引き千切られてしまう程に。

 気を張る…どころか魔力を常に注ぎ入れ続けなければ。


 だがアーゲットとて、この機を逃しはしない。

 それこそ、この身滅びる迄、この『フェイズ』は解かない。



 この機こそ、五十%で掴み取った。

 この機こそ、待っていた。

 この機こそ、X005隊に勝利がある。


 この機しか、ワドゥーを殺すチャンスは無い。



「何か……言えよ………デカブツ………嘲笑ってるのか?………なら大層嘲笑ってくれ………

 僕はこの通り、お前を其の場に縛り付ける事に百%の魔力行使を………してる…………

 この状態を維持しつつ………剣でも握ってお前に近寄って首を刎ねる? …到底、無理な話だ………」



 物言わぬワドゥー、代わりにアーゲットが代弁するかの様に喋る。


 本来は今、喋る事もキツかろうが、彼の唇は止まらない。

 しかもそこから紡ぐ言葉は、己にとって不利な情報。


 本来なら言わぬ方が良い。

 事実ならば、この結果として、無意味だ。


 アーゲットの策が全て、此に集約されていたとするならば、肝心な決め手が不足している。


 本来ならこの形にもっていく事すら無意味。

 このまま時間が経てば、アーゲットは勝手に自滅する。


 改めて言うが、己にとって不利な情報だ。


 それを、敵に言う事は、つまり



 勝利を確信しているからに他成らない。



「僕は…無理だ………、お前を止めるのに………精一杯………だから、譲る」



 ワドゥーの右腕が微々に震える。


 ワドゥーの抵抗とアーゲット決死の『フェイズ』の鬩ぎ合い。

 圧倒的魔力消耗量で、アーゲットの方が先に根を上げつつある。


 それでも喋りたかった。

 束の間、喋っておきたかった。X005隊長の最後の我侭。


 それに時間を稼ぐ必要もあった。

 どうやらそれは終えた様だ。



「お前を殺すのは…お前に殺された者が相応しい………亡骸に連れて行って貰え、地獄へな!


 いい加減起きろ!!!


 お前が殺したがった宿敵だろうが!!!」



 最早、口からも『フェイズ』に依る悶絶の余波で血を流しながら、

 一際大きく目を見開き、今一番の大声で叫ぶアーゲット=フォーカス。


 右側の眼鏡の中のガラスが罅割れる。


 応えるは死人。骸が一人。



「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!」



 場に急遽、第三者が現れた。


 いや、違う。初めから居た。当事者。


 立ち上がる男に、持ち上げる大得物に、見ている火国兵達が驚愕する。


 馬鹿な、あいつは死んだのでは?


 ワドゥーに愚かにも挑んで、斬られ、直ぐに死んだのでは?


 満身創痍、アーゲット隊長が、止め譲るは、


 此の決戦の場で、

 事も無さげにワドゥーに横に斬って捨てられた、

 X005隊ウィルグ兵長。


 骸が、死して動く



「ガ───ぐ──────」



 当のウィルグ兵長は亡霊の様にフラフラと立ち上がっている。

 腹からは未だに止めどなく鮮血が零れ落ちるが、それでも幽鬼として立っている。


 そして徐に己の兵装の中に手を入れ、それを周囲に見せる様に高く放り投げた。



「………特注の鉄板だ。その上からでもヤバイ程の喰らって、ちと寝てたがな………

 ワドゥー、テメェの弱点は本命以外は適当に斬って行くその雑さだ。

 そりゃ腹掻っ捌かれて死なない奴は居ないだろうが、お前は特に雑だよ。鉄板斬っても分からない位じゃな」



 地に落ちた鉄板は物の見事に横に割れ切っていた。


 危うい策だ。だがX001隊、007隊と渡り、ワドゥーを多く見てきたウィルグだからこそ些細、見逃さない。


 危うい策だ。本当にあと数センチ刃が喰い込めば、臓腑が零れ落ちていた。

 カロッサと言う薬を腹に仕込み、無理やりでも止血を施す。



「お前みたいな化物相手に全うに斬り結ぶ訓練なんてすると思うか?

 俺がずぅぅぅっっっとやってたのは、お前に如何に上手く斬られて死人になって潜むかだよ」



 言いながら、しっかりと歩は進んでいく。


 全ては偽演。しかし怒りは本物だった。だが行動は全て作戦に依るものだ。


 元よりこの形と成る様に、ワドゥーには沢山斬らせたかった。


 言えぬアーゲット隊長の内実だが、フリシア副長を含めた別働2000は全てその囮。

 カリムと言う兵だけはそれを承知して引き受けた。


 斬って斬って斬って斬って斬って、そして斬る事に飽きる程に。


 そして感覚を鈍らせたかった。元々鈍かったその感覚を更に。


 鉄板を人間の皮膚の手応えと見間違う等、本来はあろう筈が無い。その辺の子細は不明だ。

 だがその不明によって此度の勝因を得る。


 あの時、ワドゥーの出鱈目な速度での横斬り、兵長は何とか目で追えていた。

 そして鉄板と皮膚と肉、臓腑出るギリギリのラインを訓練で極めたそのタイミングの分だけ、微かに身を引き、まま斬らせた。


 が、予想以上の斬り様のそれでウィルグ兵長が気を失ったのはアクシデントだが、

 結果的にそれも含め偽死を本物へと昇華させた。

 

 アーゲットは上手くこの状況と成る時、直ぐ側で動ける兵が欲しかった。

 仮に離れて待機させても、此迄駆け付ければ火国兵だって黙って見てはいない。

 両陣入り乱れた乱戦になれば、折角整えたワドゥー討ち取りのチャンスは有耶無耶となる。



「………早く…………しろ……………あと二十秒………保たんぞ………」



 幾らウィルグ兵長が百人力とは言え、敵は度の過ぎる一騎当千の稀。その前には有象無象百も承知。

 魔法使いの様な身体強化も出来ない彼は、ワドゥー戦では寧ろ邪魔。止めに於いてのみ必要。そう判断した。


 全ては、三塔最古参、そして唯一の男性にて『人操の魔女』を師に持つアーゲット=フォーカスが描く絵空事の様な綱渡り。


 一つでも噛み合わなければ成立しない。到達しない。その大博打は師譲り。


 そのアーゲットの前をウィルグ兵長は通り過ぎる。彼はもう喉も枯れている。

 掠れた声は近くで無ければなんて言ってるのかすら分からない。



「ああ。火国兵共が駆け付ける前に、しっかりと貰っとくぜ。大将首。…だからそれまでちゃんと止めとけ」



 答えとばかりにハルバードを振り上げる。


 ウィルグ兵長も、死ななかったとは言え、『死ななかった』だけで腹部重傷に変わり無い。時間無いのは一緒だ。


 視界、目先には水国の宿敵。


 今し方自らを死の淵に迄、追いやった恐怖の権現。死神。


 だが、この黒き騎士の死神、今は動けない。


 あの高速移動、今の封じられた足では不可能だ。


 あの凄まじい剣速、今はブルブルと腕事黒剣が震えるのみだ。



「覚悟はいいな? たりめぇだ…覚悟しろ」



 ワドゥーの眼前にウィルグが来る。


 兜があって、その様は伺い知れない。

 せめて恐怖に引き攣ってる顔を拝みたかったが、そこまで悪趣味でも無い、兜を脱がせるのは止めておいた。


 ワドゥーと言う存在は顔から素性、最後まで謎のままで此で終わる。


 それでいいとウィルグ兵長は思いながら、背後に手を回す。


 こいつが居なくなれば、情勢はきっと変わる。

 火国が強気に攻める理由がこのワドゥーにあるのなら、戦が終わる可能性すらある。


 ハルバードがクルクルと背後を回る。



「テメェが今まで殺してきた水国の怨みだ!!!!!受け取れ馬鹿野郎!!!!!」



 烈火の如く、凪ぎは正に閃光。


 先ずは抵抗してきた左腕を、容赦無く斬り飛ばす。

 本日初のワドゥーに与えた大ダメージ。しかしそれだけで終わらない。


 次の矛先は兜の隙間、首の筋、

 挿し込んで、穿って、貫き通す。



「ガ───ヒュ───」



 成った。確かなこの手応えは瞞しでは無い。


 水国の仇敵、火国最強のワドゥーの命を自らが断った。

 その脳内麻薬は計り知れない。ウィルグ兵長は目頭に込み上げて来るものを抑え切れない。



「やれやれ…ホント妙な奴だった。だがこれで死んでいった同朋達に手向けが出来るか…」



 そして終結を見届け、アーゲットも漸く『フェイズ』を解いて、大きく息を吐いた。


 体内エーテルは余力あるが魔力はもう空に近い。都合五十秒、ワドゥーの部位を三箇所止めただけで

『フェイズ』特化魔法使い三塔の魔力をほぼ全て持って行かれた。


 もう今日、魔法を使うのは無理だ。全てあの瞬間に置いてきた。



「カリム…フリシアちゃん…死んだX005隊のみんな、見てるか? この畜生の首はお前達に捧げるよ…」



 もう少し力を入れたら、首骨を貫通出来そうだ。


 目に溜まった雫のまま、ウィルグ兵長が最後の力を込める。


 途端、妙な浮遊感に襲われた。



「おっ…?」



 不思議だった。興奮し過ぎて、感覚が錯覚でも起こしているのだろうか。


 不思議だった。自分は、何故か空を見ている。


 背中から地面に叩き付けられて呼吸が止まる。対空時間はかなりあった。

 当たり前だ五十と距離を空を舞ったんだから。


 それでもウィルグ兵長は、まだ不思議な錯覚と思い込んでいた。

 衝撃で傷口が拡げ兼ねない、それでも尚、現状を呑み込めはしない。


 沢山のエクスクラメーションに掻き回されながら、大の字で晴天の空を見上げる。

 一つも、言葉にも成らなかった。



「………化物…化物と蔑んでいたが………」



 近くに居た、アーゲットだけが、その一部始終を、実相を見ていた。


 彼はウィルグ兵長と違って脳内麻薬も出ていない、夢見心地だった訳でも無い。


 だから最初の『おかしい』には直ぐ気付いた。そのまま流れる様に自分の兵長が止めを刺したので、杞憂と思っていた。


 首の中程まで挿し込まれた刃、残りを一気に押し込もうと大得物に力入れるウィルグ兵長。

 その兵長の力、するりとハルバードを握る柄から剥がれる程の怪力で、ワドゥーが首を縦に振った。


 おかしいと思ったのは、直ぐだ。

 そして、ウィルグ兵長が背になっていたので分からなかったが、

 その彼が上空に消えてくれたのでアーゲットからはワドゥーが良く見える。



「何だ…お前…本当に、人間じゃなかったんだな………」



 斬られた腕も、ハルバード挿し込まれた首も、出血が無い。

 いや、血の一滴すら、存在していない。


 代わりにワドゥーの首から漏れ出るは霊妙高き魔力結晶の奔流。

 アーゲットの肉眼で分かるほどにそれは強烈で、凶々しく。


 ガラン、と突き立てた筈のハルバードは自然と首から抜けて地を滑る。


 まるで何事も無かったかの様に、健全な首筋が其処にはある。


 左腕、飛ばされた先っぽは今でもそこの辺に転がっているが、もう疾っくに斬れた部分が、当然の様に存在している。



「ハハッ………再生かよ。成程。我ながら大した自惚れだ、お前を此迄追い詰めた魔法使い、きっと過去にも居たんだろうな………

 僕もそれをなぞるのか、これではもうどうしようも無い………手の施し様も無い、お前が不死身だと言うのなら………!!!」



 髪の毛をクシャクシャに掻き回しながら、最後は狂った様な怒声だった。

 事実、アーゲットはもう狂うものが、直ぐそこ喉元迄迫っている。


 死ぬからこそ、化物相手でも戦えた。


 死ぬからこそ、有らゆる手で染めた。


 死なない事で、その根底は覆る。


 即死する損傷ですら再生して退けたワドゥーは、正真正銘の不死身だ。

 偽死では無い。本物の『死の超越者』



「───!?」



 夢見心地だった夢遊より兵長が帰還する。


 体制を整えて、ウィルグ兵長が見る、前面の光景は、正に絶望だった。



「───ッッッ!!?」



 先ず、ワドゥーが立っている。


 首こそ完全に断てなかったが、皮一枚、明らかに即死の致命傷を受けた筈の人物は、

 本来ならもう倒れて、死に絶えておかしくない。


 どうして、立ってる?


 どうして、首の傷が跡すら無い?


 何故、血も出ない?


 どうして、斬り飛ばした筈の左腕が装甲事、何事も無かった様に有る?


 アーゲット程に物分りが良い訳では無い彼には現状は全く呑み込めない。

 呑み込めはしないが、危機は分かる。誰が見てもそれは。


 ワドゥーは悠々と近付いて来ている。右腕の黒剣を携えながら。


 対して先のアーゲットは精魂尽き果てた様に、其処に座り尽くすだけだ。



「逃げろアーゲットッッ!!!」



「負けだ。僕達の。持っていけ、この首」



 駄目だ。アーゲット隊長は既に諦めている。

 何もかも全ては諦めている。


 再生の影響か、鈍足に近付くワドゥーが、寧ろ無慈悲にも見える光景。

 それでも歩を進める故に、両雄の距離は近く、尚近付く。



「ちくしょおおおおおお!!!!!」



 どうして…何故こうなった? 事全て、上手く運んだのでは無かったのか?

 訳も分からず、武器すら持っていない自分すらも見失いウィルグ兵長が駆ける。だが、余りにも遠い距離。


 不思議と全てがスローに見えた。走馬灯でも見ている様に、時は緩む。


 兵長の心情は大いに揺らぐ。

 心中が滝の如く、漏れて出て来る。



 頼む。それは、それだけは止めてくれ。


 俺は良い。俺なら喜んで死んでやる。


 だがアーゲット、こいつだけは駄目だ。


 こいつはきっと後の水国にも必要な人材だ。


 きっとこいつは今後も必要になる。


 他の魔法使いとは違う、全うに頭の働く良い魔法使い。


 俺とは違って替えの無き者。


 だから止めろワドゥー、せめて俺から殺せ。


 頼む、俺から殺してくれ。


 また俺は、魔法使いを護れないのか?


 また、俺の目前で魔法使いは死ぬのか───?



 全てが刹那と落ちる刻、


 此の戦の終着点を迎える瞬間、



「魔法絶一」



「鏡花水月」



 ワドゥーの身に爆炎が纏った事で、終着は少し伸びる事となる。



「………オ………オ…………ォ…………」



 爆炎なんて生易しい物では無い。


 轟々とした炎は、即座に赤から青色に変わり、ワドゥー周辺を溶岩地帯へ変える。


 炎は液状と化して、黒鎧を、ワドゥーの肉体事、焼きながら溶かす。

 黒剣も蒸発してオレンジの液状と溶ける。


 桁違いの、火の攻撃魔法。



「な…何ッ…!??」



 あれだけ必死だったのに、その出来事の前には、思わずウィルグ兵長も立ち止まった。


 初め、それはアーゲットがやった魔法だと思った。

 しかし当のアーゲットも呆気としてその光景を見ている。


 寧ろ近場の強烈な熱さにゴソゴソと後退る位には、情けない無様迄、見せている。


 魔法を行使したのはアーゲットでは無い。


 ワドゥー…だった者は、グズグズと焦げた肉へと瞬時にその姿を変えた。


 だが肉は、ピクピクと不気味に蠢いている。


 まだ、この状態でも再生するのか…とアーゲットは悍ましさを感じ、身震いする。



「鏡花水月」



 その身はワドゥーから正に近かったが、一瞬にしてウィルグ兵長とワドゥーの中間程の距離を取る。



「!??」



 移動と言う言葉では現せない。瞬間移動と呼んでもいいそれにアーゲットは困惑する。

 自分に何が起きた? 滔々アーゲットにも理解が及ばない。


 そのアーゲットの側には、人が居た。立っていた。


 前方で、既に再生を始めているワドゥーを見据え、彼女は言う。



「此度の奮戦、大義です。勝利はもう直ぐそこです、ワドゥーを完全に殺す為───今一度、死力を!!」



 正真正銘、現れた新手。第三者。


 今し方、ワドゥーを焦げ肉へと変えた熟手、紛う事無き魔法使い。

 狐の様な面で素性を隠し、しかしその身、その声色、女性である事だけは見て取れる。



 E-1 最強の魔法使いが、

 漸く、遅れて戦場に参上した───
















 













 

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