第二十六話『WORLD - E-1 - 』

 

 

 

……………




……………




……………




 此は何処だろう…


 瞼を開ければ、そこが水の中なんだと分かります


 深く、深く沈んでいく


 溺れてる? いや、そもそもわたしは呼吸もしていない…


 緩やかに落ちていく


 ああ、帰らないと、あの光溢れる海上に向かわないと───


 だけれど、不思議と行動として実行出来ない


 唯一動く右手だけ、明かりを求め、突き翳す


 身体は闇の深海へと


 きっとこれは不味い…


 そう思っても、やはり身体は動いてくれず


 どんどん沈んでいく



『───やっぱり門にされちゃったか───』



 なんだろう、声が、聞こえる


 目の前に黒い靄が見える


 不思議だ、おかしい…、そう思う意識は彼方へと飛び、

『ああ、誰か居る』と漠然に捕らえている今のわたし



『さあ、立ち上がろう───アズサ』



 先程まで右手以外は石のようだった身体が、フワリと浮く


 四肢に力が宿る、だけど頭の中だけは酷く空っぽな感覚

 そして、この声、何処かで聞いた事がある

 誰だろう、つい最近なのに、どうしても思い出せない



『此れからお前の魔法の質は飛躍的に向上するだろう───

───だが乱されない事だ、その心のままを以てまた帰ってきて』



 話し掛けられている。でも不思議と頭に入ってこない

 言葉や意味は理解出来るのに、記憶に留める機能だけが抜け落ちている


 ああ…、重い


 ああ、考えようとする度に掻き消されてゆく…

 この世界から出れるなら、今すぐにでも出て行きたい



『このままだとE-1はわたしのE-2の二の舞になる───

 だからこの配列は気紛れなんかじゃない必要なんだアズサ=サンライトが───

 

 "pawn" の駒が───』




 そして───



 辺りに光が───






「──────ライト」



「ア─サ───ライト」



「アズサ=サンライト!」



 声が、わたしを深い底から引き上げる。

 呼ばれ、意識が覚醒したわたしは衝撃で跳び起きました。


 目の前には青髪の………、第一皇女護衛の魔法使いアランスさんの姿が。



「………はぇ………?」



「やっと気が付いたか。このまま目覚めないかと思ったぞ」



 軽く息を吐きながら、膝を着いていたアランスさんが立ち上がります。

 わたしは未だ上体を起こしたままですが、よく分からない光景をそのまま受け止めて首を傾げました。



「………? 外?」



 周りは真っ暗。アランスさんの側には焚火がありますが、その光だけでこの場の明かりを賄っている現状。


 下は草。石床じゃない。


 あれ…、わたしは今までリエリア城に居た筈じゃ…?



「その様子じゃ、君もわたしと同じ境遇のようだな…」



 言って、アランスさんは手頃の木の枝をパキリと折って、焚火に放ります。


…境遇…?



「………私も今がよく分からない。君より先に気付いたが、その時は既に此の森の只中だ」



 辺りからまた手頃な枝を見付けて、それをクルクルと振りながら話すアランスさん。


 段々と錆びていた思考が復活して来ました。


 先ずは状況の把握。


 今居る場所は城ではなく、…えっと、知らない森の中。



「時刻は深夜だろう。此が何処でどの森なのかすらサッパリだ」



 此に居るのはアランスさん、それにわたし。


 

「浅い所迄なら探ってはみた…が、誰も見付ける事は出来なかった。………二人だけ、と見ていいだろう」



 よし、把握しました。


 でもどうしてこうなったのかが全然分かりません。

 この様子だとアランスさんも同じなのでしょう。



「落ち着いてるな」



「?」



「牢で会った君ならばもう少し取り乱してもいいものだが」



 言われてみれば………そうですよね。頭パニックが今は正しい振る舞いだと思います。

 でも、一度目は起きて牢の中、二度目は真っ暗な森の中。


 慣れた…とは又おかしな話ですが、不思議と今回は冷静な状態です。



「まあいい。一刻も早く城に戻りたい所だが、夜の森を宛てなく彷徨うのは危険だ。

 なのでこのまま此で夜を明かす。悪いが君も付き合って貰う」



「もしかして………、わたしに気を遣ってくれてます?」



 アランスさんは卓出した魔法使い。夜の森を突破するなんて多分造作無い事でしょう。

 それでもこうして留まっているのは、きっとわたしの為。



「状況が状況だ。それに君は客人、加えて私自身は失礼を働いた咎もある。

 此で清算するつもりは毛頭無いが、城に戻る迄は私が君を守ろう」



 うんうん、と一人で頷くアランスさん。


 ああ、やっぱりこの人は良い人だ。そして分かりました。

 わたしが今の状況に対して慌てないのは、きっと頼もしいこの方が共に居るから。


 仮に一人だったら今頃どうしているか想像も出来ません。



───それから、わたしが目覚めて十分と時が経ちます。



 パチパチと炎が踊る焚火を間に、わたしとアランスさんは対面の状態で座っています。


 わたしが起きるまでアランスさんは一人で周りを色々と調べていたようで、取り敢えず現地点は歩いて直ぐ出れる場所ではないそうでした。


 今夜はアランスさんが明けるまで寝ずの番をしてくれます。

 気にせず寝てていいと言われましたが、この状況ではとても眠れそうにありませんよ。



「えーっと…、どうしてこうなっちゃったんでしょうね。

 えはは…本当、意味が分かりません」



「同感だ。が、一つだけ確かなのは、私達を殺すのが最優先では無いと言う。

 君の言う事が確かなら私は君より早く気を失っている。この時点で殺されたと同義だ」



 でもお互いに今生きてるって事ですよね…

 ならば、この状況が意図するものは何でしょう?

 目論見が見当も付きません。………あ、……まさか………


 いた、ずら?



「その可能性も…まぁある。君も知っての通りだが国の姫君はあのような感じだ。

 だが、私達二人を外に運ぶとなるとかなり苦労するな。基本的に姫様の企てに城の誰も付き合わない。真っ当な理由が無い限りな」



「うーん、あの姫様方がせっせとわたし達を運ぶ姿なんて、想像出来ませんねー………」



「何より労に見合う程これが楽しいとは思えない」



 確かに。しかもそれだけ尽くして森に放置なんて悪戯としては最後が投げやり過ぎます。


 ん~、この線は…ちょっと薄そうですね。



「………狙いは私だろう、巻き込んで済まないと思ってる…」



「そんな…、アランスさんが謝る事はないですよ」



「私は本当に恥ずかしながらこのザマだが、城には『絶壁の魔女』が居る。

 不意打ちすら効かないお方だ、きっと不明な敵相手でも守ってくれている」



 そうは言いますが、貴女の声はとても心細そうなんですよ、アランスさん…。



「不安、ですよね…、ごめんなさいわたしが足手纏いになってます」



「それこそ謝る事じゃ…、………ああ、済まない、私は感情を隠すのが下手くそなんだ」



 頬を指でカリカリしながら、恥じ入るアランスさん。


 不明な敵がリエリア城に侵入しているのかも知れません。

 護衛対象である第一皇女レヴェッカ様の身を案じているのでしょうね。


 アランスさんの心情を考えると、少し胸が締められる思いです。



「………所で、君は時間が分かる物を持っていないか?」



「時計、ですか? ありますよ」



 ふと、話題を変えられましたが、特に気にする事もなく横に置いていた小物入れからそれを取り出して掌に乗せます。


 アランスさんが『借りる』と言って摘み上げました。



「どうでしょう?」



「………正確なら、凄い事にあれから私が目覚める迄、数分程度しか経ってない事になる。………必然的に城から近い」



「えと、リエリア城の近くにこんな森ありましたっけ?」



「無い」



 一瞬、気持ち悪い空気が背中から通り抜けました。

 合わせるように風が少し強くなって、葉を揺らします。



「ないって…、あ、あるでしょうほら、王都も広いですし」



「ない。王都には。森と呼べそうな所は。

 水の都なんだから君も承知の筈だ。

 船で渡って一番近い所で三十は掛かる。まして私達二人を担いで森の深部に置いてくるには更に必要だ」



 ザワザワと辺りに響く黒く染まった緑の調べ。


 溜まった唾液を飲み込むのに多少の躊躇いを覚えます。



「不可解だろ? 私達は十分やそこらで有り得ない場所へと連れて来られている」



「う…ん………、もしかしたらわたしの時計、壊れてるかも知れません」



「違うと思うな。私の時計も君と同じ時刻を指している。

 壊れていると疑ったのは私が先、だがこれで正動だと確信が持てた」



 そう言って、アランスさんは胸元から私より更に小さな時計を取り出して見せました。



「───まあ、実際の所は別段おかしな事でもないんだ。

 多人数なら船を漕ぐ時間や何もかも短縮出来る、余り喜ばしい事ではないんだが」



 やれやれと言った風体で、アランスさんはそれを懐に直し、話を切り上げました。


 最後はわたしの不安を煽らないよう、フォローしたつもりなのでしょう。

 しかしわたしは、伏し目で納得しない顔を作っています。



「………もしかしてアランスさんは、此が何処なのか、大凡の見当が付いてるんじゃありませんか?」



「どうしてそう思う?」



「何となく、が一番の理由ですけど、アランスさんはわたしの時計を見た時、一瞬だけ目を大きく見開いた気がします。

 今言ったのとは別の、そう、可能不可能が曖昧じゃなくて………何て言えばいいんだろ、上手く言葉に出来ません」



 わたしが今抱く出所の分からない寒心も、アランスさんが感じてるその何かに反応してるような…。


 多分、アランスさんはさっきのわたしの反応を見て心に留めるつもりだったんでしょう。


 少しだけ目を伏せ、アランスさんはポツリポツリと語り始めました。



「………水国領内ならある程度の所は行った。査察の役割を承った事もあった」



 生物、植物、空気、その他小さな個を見る事で、自分はそこがどの森かある程度分かると話すアランスさん。



「気が付き、色々見て回る事で外れない見通しは付いていたんだ。

 その時は直前の記憶から今の差が凡そ五時間だと思っていた。時計は見たが、直ぐに壊れていると判断し、何れ君が気付いたら時計があるなら見せて貰おうと考えた」



 言葉一つ一つを切り取って、慎重に離していく感じでした。


 平淡な声だからこそ、アランスさんの言い方には冷めた空恐ろしさを抱きます。



「それで…此は何処なんでしょうか?」



 迂回するように話すアランスに、わたしは核心を突きます。


 彼女は一瞬躊躇したように首を一度振って



「『イムズの森』………」



 とだけ答えました。



「イ、ム…ズ…?」



 残念ながら、わたしには聞き覚えのない森の名。



「小さな村『マウスピーツ』の近くにある中規模程度の森。

 王都から行くと最短で六時間って所だな」



 ろ、く時間!? もはや確実に不可能な時間。

 十分前後でそんな所まで人二人連れて行ける訳がありません。


 と言うか、そもそもアランスさん迄やられちゃってる時点で既におかしい。


 彼女は魔法使い三塔の超エリートで超強いお方の筈。


 その人がわたしの目の前で一撃で倒されてしまいました。ううん…、あれが攻撃なのかすらわたしには分からない。



「今は互いに深く考えないでおこう。考えても仕方がないし、考えた所で得体の知れない不安を抱くだけだから。

 陽が射し始めたら一目散に出よう。此が本当に『イムズの森』なら少し歩けば『マウスピーツ』に行ける」



 わたしは何を暢気な。この不鮮明な敵はひたすら不気味。


 不思議な何かでわたし達を遠くに移動させたかもしれない。

 そしてこうしている今でさえその脅威は続き、わたし達はまた一撃で意識を刈り取られる危険に晒されている。


 きっとアランスさん自身もそう思ってるからこそ下手には動かない。


 夜が空けるまでこの焚火の外側は格外なる世界。何処までも底知れぬ闇が続いているわたしの脳内イメージ。

 ドロドロとしていて、徐々に近づいているような。

 一刻も速く、此から離れたい衝動が襲い掛かります。



「今此で大声出したら『マウスピーツ』まで届いたりして…」



「やめてくれ。折角火で遠ざけてるのに獣が寄ってくる」



 ああ、そうか…。駄目だぁわたし、思考が裏目ってる。


 平静平静…。もう少し穏やかな気持ちで………、………ふむ、柔らかく考えれば、此がリエリア城から遠い場所でも別段不思議な事じゃないかも。

 そう、丸一日気を失っていたとすれば、二十四時間でわたし達を何処にでも運べる筈!


 ほう、悪くない考え! わたしだってこんな状況下でも柔軟な発想が出来るんですよ。早速アランスさんに伝えなければ。



「………アランスさん?」



 考えを巡らせてる間は俯き加減でしたので、改めて顔を上げると、アランスさんは首を右に回して背後を見ていました。



「しっ」



 もう一度呼び掛けると、アランスさんは唇に人差し指を立ててわたしに閉口を促します。

 それから瞳を閉じて、手に耳を宛て、遠く何かを聞こうとしている仕草を。



「―――謎が解けなければ犯人に吐かせれば済む話だとは思わないか、アズサ=サンライト」



 ?? き、急にそんな事を言われても返答に困ります。首を傾げるしか仕様がない。



「目前に現れてくれるなら、この得体の知れない気持ち悪さも大分…、薄まるッ」



 途端、真っ暗になりました。


 アランスさんが焚火を消したと思った時には、もうわたしの身体はその彼女にお腹を包む形で抱えられています。



「へ? へぇぇ??」



 今まで居た開けた場所から、近場の草場へと。


 それから有無言わさずアランスさんに頭を押さえられ、低く体制を取らされます。ぐきゃぁ、こ、腰がぁ



「(なにするんですか急に!)」



「(あと百三十秒前後に誰かが此にやって来る)」



「(!?)」



 思い掛けぬ返答。既にアランスさんはこちらを見ずに、今までわたし達が居た場所を静かに睨んでいます。



「(だ…誰!?)」



「(分かる訳無い。ただ足音からするに人に違わない。犯人だと良いな。色々助かる)」



 軽く言ってるアランスさんですが、こんな深夜に森の深くを歩いてる人なんて普通は考えられません。

 わたし達をリエリア城で気絶させた人に違わない。───得体の知れない敵、思っただけで背筋が凍り尽きそう。



「(君はわたしの背後に居ろ。何も話すな。その役は全て私が引き受ける)」



 辺りが無音でなければ聞き取れない程の声量で話すアランスさん。


 わたしは一瞬だけ瞼を閉じ、昨日起こった『商人』との諍いを思い出します。


 意を決し、グッと握り拳を持って答えを作る。



「(わ、わたしも戦います! ちゃんと考えました! 向こうがわたし達を攻撃してくるのなら、…戦います)」



 アランスさんは少し細めた瞳でわたしを一瞥し、直ぐに視線を戻しました。



「(まあ、先ずは見てからだ。時間も無いし頭の悪い話だが、後の事は後で考えよう。

 後、くれぐれも軽率な行動は取らないように)」



 それを最後に、アランスさんは口を閉ざしました。

 わたしも高鳴る心臓を聞きながら側で控えます。




 

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