第二十二話『国殺しの主犯』
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深夜のリエリア城は厳かな静寂に包まれていた。
この時間ともなれば、地下の使用人達以外は誰も活動していない。
それは何もリエリア城に限った事ではなく、大半の人間が今頃は安らかな夢心地の中だろう。
「ねー、まだでありんすか? これ間に合わなくなったらどうすんの? さっさと開けやがれよぉーバカ二姉よぉー、で、ありんすー」
「ええい五月蝿い! 少し黙るであります口ばかりの愚妹! ええっと、この錠はこの鍵で、この錠はこの鍵………、くっ、違う………あああッ、ややこしい真似を!」
だが、リエリア城三階では、忍ぶ気概すら知らない二人の声が今も尚響いている。
その声、このリエリア城では聞こえぬ日はない程に馴染む。
主は第二皇女ステレア、そして第三皇女アイシャ
彼女達は、とある一室の扉を前にして、先程から何やら悪戦苦闘をしている模様。
此は『絶壁の魔女』カナードが不穏と感じたあの場所
『戒めの間』と呼ばれる
立入を阻む虚無の部屋
「昼間はこんな錠束など無かった筈でありますが…」
残り数錠になった束を眺めながら、ステレアはこれへの疑問に整った眉を微かに歪めた。
『戒めの間』は不入の場。
誰も入らないよう処置が施されてはいたが、此まで露骨に封じているのは誰が見ても不審に思わざるを得ない。
「大方、カナードかリーゲル辺りが施したのでありんしょう。
今日はリエリア城に警戒なく入り出が許される希有な日、特に触れられたくない場所にはこうして杭を打ってるものでありんすよー?」
「………お前の予測は毎度甘くて抜けているので、簡単に鵜呑みは出来ないであります」
そうこうしている間に、ステレアの前では最後の錠が抗いも虚しく、小気味良い音を立てながら外された。
宙から零れ落ちる錠。
漸く外郭的な封から解放された扉は、しかし雄々しく圧迫されるような威圧を二人に放ち、拒絶しているように感じ取る。
しかし、それを前にして、二人の顔色に何ら変化は無く
「フッ…、長く縛り付けられて不貞腐れているでありますか?
なら、これから来る宿主に直接訴えるといいでありますよ」
そう言いながら、ステレアは繊細な手つきで扉に触れる。
一瞬だけ、波紋のような現象が浮かび上がった気がするが、きっと気のせいだろう。
明らかに非力なステレアの力でも、その扉は、まるで自らが開けているかのように、内側へと二人を招いていく。
漏れた夜光は、踏み込んではならぬ領域へと踏み入れた証。
広がる虚無の間は、これから始まる嵐に対するせめてもの静寂を送る。
『戒めの間』はただっ広いだけで特に何と言う事は無い。
勿論、カナードが抱く物騒な現象も顕著しない。
だが、圧迫される。
窓は無く、時間の概念が遮断され隔絶された一つの空間。
現に此に閉じ込められでもしたら、永遠に外に出られないとでも思わせる。
そんな魔の胃袋の中を、二人の皇女は歩いて行く。
「問題は無しであります。変な配置替えがあっただけで計画は滞り無く」
「皇女ゴッコも終いでありんすかー、あーあ勿体ねぇー
ま、此迄はこれで本当笑えるぐらい首尾よく進んだでありんすなー」
『戒めの間』入って左最奥。
ステレア達は、この部屋の主たる物を見上げていた。
錆び付き、煤ばむ鐘が、天井から固く括り付けられている。
最後にこの鐘が使われたのは何時だろうか。
もはや本来の役割より、こうして奉られている方が相応しいように見えてしまう。
その直下には、主亡き玉座の朽ちた成れの果て。
辛うじて原型こそ留めてはいるが、これでは『座れる』レベルでしかない。
鐘は錆びている。だが埃は全くと言って被っていない。
玉座はボロボロだ。しかしその光沢だけは未だ色褪せない。
使われない部屋、使われない物
なのに不思議と手入れだけは万全に行き届いていた。
ステレアは暫しそれを眺めながら、己が内情を噛み締める。
アイシャは簡易的な時計を取り出して、時間を見ていた。
「あとニ十と八分でありんす。むしろちょっと早過ぎたでありんすね」
妹の知らせに、ステレアは踵を返して鐘を背にする。
今回、彼女達なりの企劃は出来過ぎなぐらい上手くいった。
彼女達の思惑通りだ
不測な事態など有りはしない
「楽しみですね」
だからこそ、ステレアは敏感に、それに反応した。
今、発した声の主はステレアでも、アイシャでもなく、
二人共、俊敏過ぎる反応で、声のした方向を目で追う。
そうして、すぐに見付かる。
この『戒めの間』
もう一人の来訪者
艶やかなドレスに身を包まれ、佇むだけでそこに品位を感じざるを得ない見目麗しい貴婦人
滅多に開かぬ瞳、色素の薄い白髪
王都を護る 魔法使い
「ニ十と八分の後、この漠然とした靄の中、どのような実相が拝見出来るのか」
『絶壁の魔女』は何時もと変わらぬ風体で、二皇女の前に姿を成した。
「とても楽しみにしています」
彼女達が、この後行うだろう不穏な事態を止める為。
或いは
「カ、ナード……、貴様、どうやって……!?」
ステレアはまず『戒めの間』唯一の出入り口に目を向ける。
自分達が入った後、扉自体は閉めてある。
鍵こそ掛けていないので、開けて入る事は誰にも可能なのだが、重く、それでいて軋んで響く観音扉の音に、二人が気付かない筈が無い。
ならどう入った? 簡単だ
彼女達が来る前から、居た。
「外からは確かに鍵が掛かっていたでありんすが…」
「アイシャ様、密室に来訪する事など、私にとっては造作無い事です」
「言う…!」
ステレアより僅か前に出ていたアイシャは、何度も後ろへ跳躍して『絶壁の魔女』と自身の距離を放す。
それは、これから何かを行う動作を想起させるが───
「待てッ!!」
第二皇女ステレアに遮られる
「カナード、白状すると今回も取るに足りぬ些細な悪戯をする予定なのでありますよ。
ターゲットはお前じゃないから此は多目に見て貰えないでありますか?」
「些細かどうかを判断するのは私にお任せ下さい。ステレア様、残念でしょうが今回は流石に看過出来そうにありません」
「大袈裟であります。カナードのこの過保護っぷりにはこのステレア困った所であります」
「ヤンチャな姫様方に仕えると過保護にもなります。
さあ、良い子はもう眠る時間です。子守歌を御所望なら僭越ながら私が語りましょう」
「………黙って見逃せ。お前と妾達は此で会わなかった」
ステレアの声の質が変わる。圧が増す。
「いえ確かに出会いました。入念に不入の禁を施した此の『戒めの間』
時間が朝昼、昼夜、夜から闇へと移行するにつれ、触れ辛い魔力が渦を巻く危険な場所にて。
私が此に来て、姫様方を連れ帰らぬ道理はありません」
「カナード………!!」
『絶壁の魔女』は涼しそうな態度を崩して来ない。
此の異常に加え、今日此で誰かが何かを引き起こす事までは推断している。
だからこそ、確実に潰せるよう早い段階で『戒めの間』に踏み行った。
今更、ステレアが知らぬ存ぜぬを通し切る事は、無理を越えてくる。
「姫様方。何をしたいのかは、このカナード解り兼ねます。
ですが、御止めなさい。どうしてなのか此は今よからぬ魔力で満ちています。
取り返しの付かぬ事となり、火傷じゃ済まなくなりますよ」
カナードとしては確証こそ無かれ、宵の犯人が三皇女達なのだと高い可能性で踏んでいた。
今日は例外だが、普段のリエリア城は、簡単に侵入を許せる場所ではない。
『戒めの間』が勝手にこうなってしまう事はないだろう。
上記を挙げ、外部から干渉を受けたとも考え辛い。
ならば、必然。犯人は身内に
最近の…特に第一皇女レヴェッカは、あの無邪気さが時折演に感じる事があった。
皇女達がたまに城から居なくなるのは何時もの事だが、それも些かな引っ掛かりを覚えてはいた。
結果的にカナードの予想は真ん中を射止めたが、姫様達では無いと願った部分もあり、落胆を抱かずにはいられない。
が、まだ遅くは無い。何せまだ『何もしていない』のだから。
姫が何をするかは解らない。解らないが今回だけは度が過ぎている予感はする。
出来れば、今で踏み止まって欲しいとはカナードの切望だろう。
皇女達は魔力を持たず、魔法使いで非ず。
戦力も持っていなければ、武器らしい武器も見えて来ない。
『絶壁の魔女』カナードに対して抗う術は無い。
「ぐっ………」
今の状況は芳しくないだろう、前々から計画があったとすれば、これは破綻しかねない程の大ピンチだ。
ステレア達の顔色が優れないのがその証拠。
彼女らに落ち度があったとしたら『絶壁の魔女』を嘗めた事。
彼女らなりに密に事を進めていただろう。
それが実る、今日と言う日を待ち侘びた事だろう。
魔法使い三塔のメレアさえ異常を感知出来ないのだ、思惑は見事嵌まったと見ていい。
だが、リエリア城は魔女の根城
国にして最強の魔女の目の前で、不穏の匂いを完全に隠し通す事は出来なかった。
「退きなさい。根源はその『鐘』ですね?」
カナードは静かに目の前の鐘に向け、右の手を翳す。
それを見て、焦るアイシャがステレアに止められた何かの行使を訴えるが、彼女は下唇を噛みながら際どい顔で許可しない。
「節穴めが。根源は『この部屋』その物であるぞ、カナードよ」
そんな光景の中、再び、他の誰とも違う声が児玉した。
カナードは手をそのままに、首だけを左を向ける。
ステレア達はその声を聞き、安堵に胸を撫で下ろしていた。
「ようこそ『絶壁の魔女』カナードよ。
絶望と希望、世と世をも繋ぐ、此の『WORLD』の門へ…!」
「姫…、レヴェッカ様…」
観音扉を開け、現れた第一皇女は、口端を吊り上げ、悪どい笑みを浮かべていた。
開き切った扉から手を放し、そのままスタスタ、この緊迫の中でカナードの下へと歩み寄って来る。
「やはり気付かれたか。流石は王都の魔女。例え相手がその国の皇女でも危機には立ち塞がるか」
「今が危機と言える程かは私は未だ測り兼ねますが………私が存命である限り、王都の平穏を崩させはしません。
私が存命である限り、皇族を護り通します。無論、何処へでも参ります、私が赴き護れるのであれば」
仕える主を前にして『絶壁の魔女』は曇りなき言葉を紡いだ。
彼女を突き動かすのは、かつて胸に刻んだ確かな信念。
例え皇女達に嫌われようが、任を解かれようが、カナードは自分が護るものを傷付ける目論見を砕くべく、今、此に在る。
それを聞き、彼女は笑った。
第一皇女は、悪意も善意も無いカラッカラの笑いを上げた。
『戒めの間』中、レヴェッカの笑い声が幾度も跳ね返り、不協和音を奏でる。
後ろの皇女二人は、全くと言っていい程に口を挟んで来ない。
笑われたカナードも安い心持ちではない。無言を貫いている。
そうして一仕切り笑い切ったレヴェッカは、
「いやー…見事な身心持ちで虫唾が走る。そんな勲章なお前には妾から褒美をやろうて。そら受け取れ
――――――――"水の国" を」
レヴェッカは今までずっと右手で『何か』を掴んでいた。
それは後ろに隠されていたからカナードからは見えない。
ポォンと雑に投げられたそれは、カナードの足元へと転がった。
『何か』がコロコロと
彼女はそれを水の国と言った。
「…………?」
投げられた瞬間、液体のようなものが飛んできた。
カナードはそれを嫌って弾き、ペチャァっと周囲に粘っこい液体が落ちる。
そうしてカナードは足元の『何か』へと目を向ける。
暗く、注意を凝らして見ないと視認が出来ない。
『戒めの間』に窓は無い。光を燈す蝋も置いていない。
しかし窓は無いが硝子張りの部分がある。
そこから漏れる月光だけが『戒めの間』に僅かな明かりを齎していた。
漸く、視認が出来そうだ。
やんわりと浮かぶは、鞠のようなシルエット。
人の顔のような見た目
人の髪のような生え物
血のような液体
首のような―――生首
「っっっ………!!?」
此に来て初めて、カナードの瞳が目一杯見開かれた。
血相が一気に変わる。
見た者を捉えて放さない眼力ある青い瞳は、レヴェッカが投げ付けた生首に釘付けとなった。
生首は、初老の男だった。
蓄えた髭、面構え、
生首であろうと、威厳を放つ。
カナードは知っている。
知らないとは言えない。
・・・・・・・・・・・・・
彼女はそれを水の国と言った。
首の主の名は、ラヴァリー=サン=サアカウマダ
この国の、皇帝。
「ひめ、さ…ま…」
「何じゃ、気に要らんか?」
何時の間にか、レヴェッカは朽ちた玉座に腰掛けている。
「………国が………、国が、変わります………!!」
険しい表情のまま、カナードは、まだ首から目を離せない。
「はて、それは悪い事なのか? 変わらぬ国などつまらぬではないか」
吐き捨てるように告げる。
実父を殺しておきながら、彼女達の面に感傷のヒトカケラさせ見受ける事が出来ない。
「………ならば、これから姫様方が行う事は、この凶行は………この国の為の『前進』だと」
「ははは其処までは言っておらん。おらんが『その首』はもう要らんよ。
無能過ぎるそれが国の頭でこの先も生きていられると、この水国は瞬く間に滅ぶ」
「………まるで此より未来を見てきた物言いですね」
「面白い事を言うなぁ。まあ当たらずと雖も遠からずかな?
カナードよ、いや水国随一の『絶壁の魔女』
事至るまでの前と先、知りたいなら、こちらに来ぬか?」
カナードは、やっとの事で首から目を放す事が出来た。
つい先程まで存命で健全であった皇帝の何と痛ましい姿。
鋭利な刃物で一刀されている。苦痛を感じる暇が有ったか無かったのか。実娘に殺された事を果て知れたか否か。
仕えるべき絶対の主
リエリア城に居ながら
すぐ近くに居ながら
カナードはその役目、果たす事が出来なかった。
「───」
前を見据える。
そこには皇帝の形見、そして手に掛けた張本人の姫が三人。
彼女達は何を語るのか、なぜ皇帝を殺したのか、これから何が起こるのか、想像も付かない。
それでもカナードは瞳を開いたまま、レヴェッカに告げる。
「………もし、それが荒唐無稽で呆れ返る話であったのなら、私は姫様方を重罪を犯し罪人として、捕えましょう。
そして私は此度の責任を死で報る事とします。
………もし、私を納得出来るだけの価値ある話ならば、この『絶壁の魔女』貴女の代わりに名誉と腕を汚しましょう」
第一皇女は、ニヤリと口だけで笑いを作る。
「良い答えだ。成程。お前に荒唐無稽と評される程度であれば、妾達も潔く断罪されようぞ」
レヴェッカは両隣に立つ妹に同意を求める。
勿論、それに反意は無い。
二人は姉の思惑を感じ取り、互いに笑みを浮かべた。
「お聞かせ下さい姫様」
「まあ待て速まるなよ」
先を促すカナードに対し、レヴェッカは片手を突き出して待ったを掛ける。
「何でしょう…?」
カナードとしては、最早此まで来て何か、と些か興が下がる。
そんな彼女にレヴェッカは顔をグチャァっと崩し、
「誰がタダで教えると言った? 妾達も選り良い人材を得る権利があると言うもの。
さあ『絶壁の魔女』よ! 共謀するに相応しい実力を見せておくれ!!
この眼に! 新たな皇帝陛下にその勇姿を焼き付けてくれッ!!!」
両手を大きく広げ、雷鳴のように吠え滾り、カナードの前には第二皇女ステレアと第三皇女アイシャが踊り出て来る。
「カナード、普段のお前ならばこの程度の障害、問題は無いでありましょう?」
「瞬殺しろよー、それぐらいの力量じゃなきゃ『魔女』なんて呼べないぜェェー!!」
二人の皇女は挑むように、各々カナードへ言葉をぶつける。
それに対しカナードは目を細め、溜息を一つ漏らした。
「………判りました。御所望とあらば受けましょう。
二姫様を傷付けずに勝利を納めるのは、中々に骨が入る事でしょうが」
「おォーい、勘違いするなよ『絶壁の魔女』ォー」
「?」
玉座から独り見下ろすレヴェッカが、口で筒を作り、少し離れたカナードに話掛ける。
「お前が戦うのは『コイツら』でありますよ、アイシャ!!」
「あ~~い」
ステレアが叫ぶのと、
アイシャの瞳が朱く光るのと、
天井からカナードの間に『何か』が落ちて来たのは、保々同じタイミングだった。
何が起きたのかは明白だったが、突如それが降って来たので、カナードは軽く床を蹴り上げ、気持ち程後退する。
「これは………」
「二人掛かりだ。だが勝てない、とは言えないよなァ? 格下だぞ? しかしお前とそこまで遠くはなかろうて」
頭上から響くレヴェッカの甲高い声。
カナードは新たに現れた二人の来訪者に目を向けている。
そうだ。思えば、こうなる。
力を持たない皇女では『絶壁の魔女』と戦えない。
しかし、要る。彼女達には側に仕える専属の戦士が。
『皇女近衛魔法使い』が。
「マリナ、フランシーヌ…
貴女達も共謀ですか、誠に嘆かわしく思います」
第二皇女ステレアの近衛魔法使い、マリナ=レルトレート
第三皇女アイシャの近衛魔法使い、フランシーヌ=J=パレス
共に三塔。魔法使いの中ではエリートと呼べるだろう。
『絶壁の魔女』へ牙を剥けるに相応しい実力を持っている。
「まだ時間は有る。だから存分にやれ。さあ、始めろ! E-3への別れに華を添える魔法使いの潰し合いを!!!」
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