第二十話 『絶壁の魔女』

 

 

 

……………




……………




……………




『絶壁の魔女』は室内で独り、物思いに耽っていた。


 宛てもなく視線は天井を向いているが、見てはいない。


 その姿はとても無防備で、普段の彼女らしくはないのだが、そうせずにはいられない懸念が思考の中に存在する。



「ん…」



 ふと我に返る瞬間。

 短い息を吐き、寸時の間、右の掌で額を覆った。



(期待は薄かったのですが、やはり来てはくれないのですね)



 今、彼女は同じ魔女の名を冠する者に思いを馳せている。


 宵度『血吸の魔女』に招待状を送った者は皇族関係者でもなく、魔法協会でもない。


 このカナードが、協会からと偽装し『血吸の魔女』に送り付けたのである。


 無論、そこに邪な思惑など一縷さえ介入しない。


 純粋に、今回は "来て" 欲しかったのだ。


 騙すと言う冒険を犯してはみたものの、どうやら芳しい結果には実らなかったようだ。



『血吸の魔女』は、今回の式典には来なかった。



 素直に自分からと出しても、彼女は王都に来ない。

 それは一度やってみた経験があるから、解っている。


『ならば協会からと言う事にすれば』

 この岩戸も抉じ開ける事が出来るのでは?


 そう淡い期待を抱いてみたが、泡となって消える儚いものであった。



(……………)



 魔女は何も『血吸の魔女』だけではない。


『人操の魔女』もいる。


 九年前に終結した戦乱を戦い抜いたもう一人の戦友が。


 だが、彼女は何時しか名ばかりの魔女となってしまった。

 

 宛てが無い。今、何処にいるのかすら分からない。

 風の噂では、ギャンブル狂が更に深刻になり、魔法でレナーを強奪しているとも聞く。


 最後に会ったのは四年も前、コンタクトが取れる筈も無い。


 なので、こちらは始めから望みが皆無だった。



(せめてクロウデットに見て貰いたかったのですが…、彼女は不穏な事柄には特に感知が鋭いので…)



 既に確証と呼べる事だが、念を押してくれる者が欲しかった。

『血吸の魔女』ならその嗅覚で期待が出来たのだ。


 リエリア城には多々の魔法使いが入り出を繰り返しているが、皆、この不穏に全くと言っていい程に気付けない。


 共にリエリア城で大半の時を過ごす弟子のメレアも『さぁ…? 特に何も…』と返すのみ。


 ならこれは、カナードの杞憂?


 いや、危うい魔力は実際に放っているのだ。

 しかしとても微弱で、だからあの三塔達ですら分からない。


 それは、普段は誰も立入を許さない場所


 それは、昔、神と崇められた場所


 それは、リエリア城最上階の一室に、広々と設けてある


 存在すら触れられない、ただ在るだけの場所



 "戒めの間"



(気配だけならば、以前から感受してはいましたが………)



 それまでは、特に取るに足らない類いだった。

 何れ対処はすべきだと思ってはいたが、何時でもいい事と暢気な構えでいた。


 だが、これはどうした事か。


 輓近は徐々に魔力が膨らみつつある。


 直ぐに対処しようと『戒めの間』に立ち入るも、未だ曖昧で基因が解らない。


 そこには鐘と玉座しか無い。

 そのどちらも異常の起動として感じ取る事が出来なかった。


 迂闊には手を出せない。

 手荒に対応すれば、厄介な誘爆を招き兼ねない。


 しかし、もう少しで掴めそうなのだ。

 恐らく此に鍵がある。

 あと幾分膨らめば、精確な叩きようが出て来ると予想出来る。


 その助力として、出来れば『血吸の魔女』クロウデットが欲しかった。

 

『戒めの間』には、今以上に誰も近付く事のないよう、厳命してある。


 日々、少しずつ膨らむ『戒めの間』の不穏。

 が、カナード自体は臆する気概は無い。


 他魔女の助力こそ得られなかったが、この程度の異常、その他の誰に知らせる迄も無く対処は出来る。


 そうして誰も知らぬが、善い。


 彼女は、ずっとそうやって来たのだから。



「本日が頃合い、と言う事ですね…」



 今日を以って、いや正確には今より夕刻から更に


 急激に増長してきた。


 まるで、式典開催日に合わせるようにして。


 此に来て、初めてカナードの胸に去来する泥のような心地。


 怪異として珍しい事だが、場所に魔力を感じる実例がなかった訳ではない。

 突如として膨れ上がった魔力がバーストする例は魔法協会に完全に伏されているが、確かに観測されている。


 その、類いだろう。


 自分が居る以上、リエリア城に被害を出させたりはしない。


 もはや早急に手を打つべきだ。


 これだけ感じれば、叩ける。


 本当に、満月に、式典に

 今日に───

 合わせてきているのなら、原因が、愈々出て来る筈だ。


 ・・・

 人為的なら、出て来る筈だ。



 そこまで予見し、しかし此に、心に刺さる最細鍼が存在する。


 其の魔力には、カナード達魔法使いが行使する魔法とは、桁が違う霊妙を感じている。


 決して、触れてはならない。


 そう思わせる程の圧迫がある。


 無論、カナードしか感じない。



「………どうでもよい事です、叩けば埃と共に色々と出て来るでしょう」



 軽く首を振って、払拭する。


 あの場所自体が神聖なのだ。ならば霊妙も宿ろう。


 最も憂慮すべきはそこでは無く、もっと別にある気がする。


 それを含め、何れは分かる事だ。

 

 軽く椅子を引いて、視野は背後に趣を置く。


 窓の外から見える空は、既に漆黒が全てを覆っている。


 今まで見えた様々な景色が、溶けて混ざるように。


 深く、虚無を招くように。


 一度、そこに踏み入れれば、二度と光の下へ戻れない。


 そんなネガティブな気持ちに駆り立てられる夜の様。


 寸陰―――


 今のカナードの部屋に相応しくない音響が、聞こえた。


 風の音すら失礼に思える、無音で空気の重い室内だ。

 僅かの音すらも聞き漏れない。


 その中で急に出た『きゅるるるぅ』と言う間の抜けた擬音。


 その発生元は

 カナードの、お腹の辺りから



「う………」



 ほんの少し表情を赤らめ、カナードは『コホン』と咳払い。



「そ、そう言えば、今日は何も口にしていませんね」



 夕刻に運ばれる筈の夜食は、朝の内に断っておいた。

 摂る時間帯、自分は室内に居ないだろうと思っての事だ。


 年に一度の式典に加え『戒めの間』の件。

 自覚さえ無けれど、確かに気張っていたのだろう。


 式典が終わり僅少ではあるが、緊張の糸が緩んだのか、お腹の虫が鳴ってしまったらしい。


 何か口に出来る物はないものかと、キョロキョロと室内を見渡せば、調度手頃なバスケットが彼女の視野に入る。



「そうでした。姫様方に食べて頂こうと作り置いたままでしたね」



 軽く身を上げて、バスケットの包みを机へと持ってくる。


 改めて椅子に腰掛けると、上に被せていた桃色の布を、真ん中から摘み上げるようにして、取り除いた。


 お目見えなるは、多種に形取られた可愛いらしい固形状の御菓子。


 菓子作りが趣味である『絶壁の魔女』は、改めて拝見する自らの出来に、頬を緩ませた。


 

「今日のは会心の出来具合と呼べる物でしたが、姫様方に御賞味していただけないのは、とても残念です。

………このまま捨てるには、些か勿体が無いと言う物。

 少しだけ、ほんの少しだけ、少し…だけ…摘むとしましょう」



 自らにそう言い聞かせるように独り事を漏らし、カナードは両掌を叩いてこれに相応しい飲物を取りに行く。


 御菓子には緑茶と決まっている。


 レヴェッカ姫が好む果実から取れるジュースをお供など邪道。

 菓子の甘み自体が掻き消えてしまう。無味か渋味の飲物が合っているのだ。


 熱いお湯の中にスプーンを挿し入れ、葉を掻き混ぜてから、カップに注いでいく。


 その姿はやはり優雅で気品に溢れて見えるが、何となく普段人前で見るカナードには感じられぬ幼さが垣間見えた。



「〜♪」



 人前では『菓子作りが趣味』で通っている。

 しかし実相は『自分が食べたいから菓子を作っている』に過ぎない。


 立場上、彼女は自らの体面を特に留意する。

 だからそれを知る者は一人もいない。


 菓子作りも全ては皇女方に食して貰う為だと思うだろう。


 人前では菓子を食べた事すらない彼女は、他人が介入しない私室に居る時だけ、重荷を解き、本来の自分に戻る。


 私室で菓子を頬張る一時が

 王都護衛魔法使い『絶壁の魔女』

 柄の間の安らぎだ。


 しかし最近は、この安らぎ、少しばかり遠慮している。

 理由は、女性の身なら大半が気にする所なのだが。



「さて、頂きましょうか」



 コトッと熱い茶が煎ったカップをコースターの上に置き、次いで、棚から持って来たジャムの瓶の蓋を開ける。


 割と固かった。

 態々この為だけに魔力で腕力強化する阿呆も居ない。女の身成りの精一杯力を込めて回し、漸く開く事が出来た。

 

 あれよあれよの間に綺麗に整えられたテーブル上。


 図らずも巡り会わせた、二ヶ月振り、大好物の甘味。


 これから、また一仕事へ赴く。


 鋭気付けの意味でも、これは重要なる儀式なのだ。


 決して、お菓子の誘惑に負けてなどいない。


 食事の代わりに菓子、本来なら行儀以前の問題だ。


 重ねて、

 鋭気付けの意味で、この菓子は必要だ。


 菓子は傷みやすく、作り上げて一日も経てば、サクサクの触感も損失する。

 そうなれば、捨てるしかない。


 ならばこうして食される方が、菓子にとっても本懐。


 なので

 決して『絶壁の魔女』はお菓子の誘惑に負けてなどいない。


 決して………


 脳内で同じ言い訳を反芻し、己を騙す。


 そう言う意味で、割と下らない葛藤をしながら、カナードは微かに震える指先を甘い香り漂う菓子へ向ける。


 その指が、一つを摘もうかという所。


 見事、遮られた。


 さて、これは何の因果なのか。


 ある程度予想が付く、この事をフラグとも呼ぶ。


 空気を読む事を知らぬ、ノック音が二度、推し測ったかのようなタイミングで室内に反響した。



「………ッ………」



 思わず息を飲む『絶壁の魔女』


 目前の扉は、向こうの意志では開かれない。


 プライベートを守る鍵が設けられており、更に魔女の施錠で二重にして入りを拒む。

 内部者の意志なくば、何人たりとも踏み入る事が出来ないのだ。


 この一時は、誰にも邪魔されたくはない。


 なに、時間は取らない。サクサクっと平らげてしまう。

 しかしせめて三十分は欲しい。


 艱苦の表情で、右腕を伸ばしたまま微動だにしない。


 その間に、もう一度ノックの音を鳴らされた。


 唇を噛むカナードの脳裏には、居留守の三文字が浮かぶ。


 それにしても間の悪い。これは酷い。

 火急で無いのなら、出来れば、出直して欲しい所だった。


 扉向こうに居るのが、弟子のメレアでなければ。



「カナード様、メディトギアでございます。カナード様、………??………いらっしゃいませんか?」



 纔かに動いた指先、もう少しで掴める距離が今は果てに遠い。


 カナードは、菓子を掴もうとしていた右腕を引っ込めて、

 ショーウィンドウの向こう側を見る小娘のように人差し指を口に含んで、恨めしそうに、届かぬ桃源を眺めた。


 それから、恭しく桃色の布を被せて、机の端まで寄せる。



「今開けます。暫し待ちなさい」



 もうその時には、先まで少し崩れていたカナードから偉大なる魔法使い『絶壁の魔女』へと変わり、再び凛然な態度に戻っていた。


 彼女はゆっくり腰を上げると、ドアの前へと赴く。



 共を失い、孤立した熱い湯呑みは、メレアと内談を交わしながら啜る事となりそうだ。

 

 

 

 

 

 



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