第十九話 『式後の些事』

 

 

 

 ファンロ=バルダビョンはリエリア城専属の庭師である。


 元は水国兵師団長と言う役職に就いていたが、現役を退き、

 役職自体も今は無くなっている。


 水国に生まれ落ちて六十八年、水国にはその六十八年も忠誠を誓い続けている。


 レヴェッカ姫達にはファン爺と呼ばれて親しまれていた。



(ヤレヤレ、老体は堪えますな………、よもや若造に遅れを取るなど)



 キチッキチッと定期的な音を伴って鋏を斬り入れ、大きな盆栽の外観を整える。


 此はリエリア城一階の大広間であり、彼だけ一人置き去りに、通り過ぎる者は三倍速で動いているようにも見える。


 しかしそんな喧騒何処吹く風で、彼はノンビリとした手付きで、

 鋏を入れては、少し引いて外観の全容を確かめている。


 それを誰も咎めたりはしない。


 ファンロ自身も、邪魔にならない場にて作業を進めている。


 盆栽共々、空気扱いだ。


 その盆栽は入口から壁際に十数本並べられている。

 何でも、新鮮な空気を取り込む為にと先代皇帝の時代から続いているのだ。


 しかし現皇帝のラヴァリーにとっては、どうでもいい程度の認識でしかない。

 だから、全く気にも留めはしないので、ファンロはクビにもならず、

 こうして式典の真っ只中でも、一人だけ異なる時間を過ごしている。



「………おや? 腕が鈍りましたかファンロ様。左右対称には大凡見えませんね」



 そんな空気の爺の背後から、不意にお声が掛かった。



「これはこれはカナード様…、誠に御恥ずかしゅうございます」



 ファンロはゆったりとした被り物を取り、色が抜け落ちた髪を見せ、恭しく頭を垂れた。


 カナードが『頭を上げて下さい』と言うまで、その体勢は揺れすら無く不動で在り続けた。



「───らしくありませんね。何処か具合でも悪いのでしょうか?」



「滅相も無い。この老いぼれ元気だけが取り柄でして」



 カナードは自らの丈の倍程ある盆栽を見上げた。


 普段の出来栄えに程遠い。そしてファンロにあるまじき雑な仕上がりだ。

 更におかしいのは、それがこの木にだけと言う事。


 他はいつも通り、美しく調えられている。


 やはり現在のファンロに不調があるのだと、カナードは見做した。



「ファンロ様、何処か御怪我をなされているでしょう。御見せ下さい、治して差し上げます」



「と、とんでもない! カナード様の尊い魔力を使う程の価値、この老体にはございませぬ!」



「ファンロ様に隔意を持たれるのは、とても悲しい事です」



 この後、ファンロとカナードの平行線のような論義が続く。


 ファンロは異常は無いとカナードの治癒を嫌い、

 カナードは異常はあると負傷場所を迫った。


 そうして更に暫くの時が過ぎ、痺れを切らしたカナードが均衡を崩して強行に出る。



「分かりました。ならばファンロ様の全身に『ガード』の治癒を施しましょう。それならば怪我の場所を問い質す手間も要りません。肩凝りも治ると良いですね」



「ちょ、カナード様、困ります! そのような魔法の乱用、先の短い老人に使わないで下されッ」



「これはファンロ様の本望ではないでしょう。ならば早急に怪我の場所を御教え下さい。そうすれは私の魔法も小さくて済みます。………これが最後通告ですよ?」



 カナードの口がニヤリと綻ぶ。


 それは勝利を確信してだ。


 ファンロの爺如きでは『絶壁の魔女』に敵う筈も無い。



「…実は、先刻、城内にて不審な者を見掛けまして、問い質して見たものの、その後取っ組合いとなりまして………」



 申し訳なさそうに、ファンロは右腕の裾を捲った。


 そこには真新しい包帯が巻かれており、それでも尚抑えきれない淡い朱の色が覗く。


 カナードは、糸目な瞳を薄く開けて、その有様を観察した。



「………その者に斬り付けられたのですね?」



「グニャっと間接を曲げる特異体質のようでして、要領が掴めずナイフで浅く斬られてしまいました。面目無い…。

 其は捕らえて三塔のアーゲット様にお渡ししておきました」



「御苦労様ですファンロ様。他の者は気付けないでいたのに、良くぞ気付けました。

 その功績は大きいですよ、後で私から上に伝えておきましょう」



 そう言うと、カナードは二の腕の傷口を、包帯の上から、ゆっくりと擦っていく。


 淡い光と共に、カナードの魔力が注がれ、傷が癒されていくのをファンロは感じていた。


 それは数秒も満たない。


 しかしこの時、確かにファンロの傷は治っている。



「私は皇族に仕える身ですが、この魔法を皇族の為だけに使うと誓った覚えはありません。

 私の力を必要としているなら何処でも参じて全力を注ぎますよ。それが私の魔法使いとしての在り方です」 



 柔らかな笑みを残し、カナードは踵を返した。


 仄に香る甘い匂い。


 ファンロは、水国最強の魔法使いと人々から思慕される『絶壁の魔女』に呆然と見惚れていた。



「身に余る御言葉…。愚老の要らぬ気遣いを御許し下され…」



 そして、これからも水国は安泰なのだと確信した。


 この国に『魔法使い』が居る限り。





「そうですファンロ様、今日中にメレアが此を通りましたら、私の部屋迄来るように、と御伝え下さい―――」

 

 

  

……………




……………




……………




 生誕式典が無事打ち上げた。


 リエリア城敷地内では整然が行われ、只今終止が付いた所だ。


 広い庭に、中央噴水。


 何とも質素だが、これが本来のリエリア城敷地の姿。


 霹靂とした柄の間の喧騒も、過ぎれば侘しい感傷が胸に湧いてくる。


 噴水が鳴らす水の音が、粛粛と私の鼓膜を打ち続けている。


 それぐらい、閑寂としていた。


 既に時刻は暮夜になる。



「リエリア城内の慌ただしさもこれで見納め、か」



 普段と違って、内部の人間が目まぐるしく入出を繰り返し、内部は正に『戦場』であった。


 早朝、料理長の激が姫様の私室に響き渡るぐらいだ。


 リーゲル等は今日をリエリア城で過ごし、明日発つらしい。


 三塔達は皇女護衛以外、既に現地解散している。


 どうやら今日見掛けた三塔は魔法協会から、三日程の休みと特賞与が貰えるそうだ。


 確かにそれ程の見返りがなければ、割に合わないだろうと、聞いた時は率直に頷いたものだ。


 私は当初、三塔は護衛の強化として集められていたと思った。

 それは間違いではない。確かだ。アーゲット達は明らかにその主命で今日を動いていた。


 たが、それとは又別の威令が協会からあったらしい。


 内容は、…中々に筆舌し辛い。


 女という武器を使って、相伴の真似事をしていたのだ。


 魔法使いとしての本分から大きく外れた使われ方だ。


 私ならば、身を触られようものなら顔面に雷弾を喰らわせてやる所だ。


 いや、それは出来ない、か…


 当たり前だ。だから接待していた連中は誰もやらなかった。

 全員、全うした。流石は才と識を備える魔法使い三塔だと言うしかない。


 私は、第一皇女護衛なので、その威令対象から外されていた。

 今日程、皇女護衛と言う任に感謝した日は無いだろう。


 浅い溜息を一つ零し、私は何気無しに首を空へ上げた。



「………朱い、な」



 見上げた夜空に、楕円が照らす。



 満月―――



 今日は特別、朱い。

 珍奇な訳ではないが、珍しい事に変わりはない。


 今まで気にした事は無かったが、式典はこの朱い月に合わせているのかも知れない。



「…………」



 長く見る事はなく、朱い次から視線を逸らし、手早い動作でリエリア城へ入り込んだ。




 何となく、奇異を感じた。



 何となく、だが。




 リエリア城内部には人工的な光が具備されている。


 素となる電気は、魔法使いが精製し圧縮しているらしい。

 その者達のお陰で、陽が沈んでもリエリア城は明るいままだ。


 尤も、明るいのはこの正面ホールのみなのだが…。


 それ以外は普通に蝋で補っている。

 私の私室等は今頃、暗闇が落ちているだろう。


 今、正面ホールには城内の者が数人程、式典での後始末に没頭していた。


 姫様が楽しみにしていたこの祭も、あの場で残骸を残すのみだ。


 その姫様はと言うと、あの後、リーゲルの計らいで私室に幽閉されてしまった。


 何とか口添えを、と思ったが、リーゲルが余りに正論だったので無理だと早々に諦めた。


 因みに、私には向こう半年の無給奉仕がその場で言い渡されている。

 驚く程に軽い罰だ。不服を申し立てたが、リーゲルは『忙しい』と取り合わなかった。



 軽くお辞儀をして、残業に追われる城内の者共を過ぎる。


 横目で見る限り、数刻もしない内に終わりそうな内容だ。

 この後、地下食堂で使用人達の打ち上げでも行うのだろうか。


 そんな考えを頭で巡らせつつ、二階へと上がろうとして、

 ふと、これから六本目先、柱の影下にとある人物を見付けた。



「───今日の奴ら、纏めてブッ殺していたら水国はどうなっていたのか。………面白そうだから来年やってみようか」



 こちらが気付いたと判ったらしく、先に口を開いてきた。


 内容は、どう聞き砕いても穏やかではない。


 放った者は、青を基調とした清涼な印象を持つ魔法学校の制服を身に包んでいた。


 黒髪、長髪の、女。挑発的な瞳が輝く。


 私と同じ魔法使い三塔の、クルジリス=アーサコロニー



「冗談だよ」



 腕組みしたまま、柱に寄り掛かっていたクルジリスは、ポツリとそう付け加えると、

 ゆっくり身を起こして、こちらに歩んで来る。


 冗談の域を越えていた発言だったが、言及はしなかった。

 何やら、不穏な雰囲気がクルジリスを包んでいる気がした。



「お察しの通り、今、可成り鬱憤が堪っていてね。吐き出し所が無いんだ、手合わせが欲しい」



 私の眼前まで歩み寄ると、クルジリスは笑わない瞳に唇を若干吊り上げて、空手の右腕で空を斬る仕草をする。


 文字通り、これから一戦交えたいらしい。



「手合わせの相手なら幾らでもいるだろう。他の三塔に頼め」



 三塔は現地解散だ。つまりその場で各々が好きにしていい。

 探せば城内にもいるのかも知れない。クレアなら高確率でまだ留まっているだろう。


 クルジリスが私を手合わせの相手に選んで、わざわざ待っていた理由がよく分からない。



「お前は『シェイク』だが性質は俺とよく似ている。生粋の近距離型だ。現にL2同士で俺と互角に斬り結べるのはお前ぐらいだよ」



「何処がだ。お前との手合いは私が大きく負け越している」



 つい、言葉に乗ってしまう。


 だが、クルジリスの言い振りに不快に感じる嘘が混じっていたのを看過出来なかった。


 口惜しいが、私はこの女に完全に実力で劣っている。


 近接戦技は私も得意な所だが、身体強化で上乗せした疾の俊敏とL2の剣技で嵐の様に攻め立てるクルジリスには、防戦で食らい付くのがやっとだ。


『ガード』で身を守ればいいのだが、私の生半可な盾は一点集中にて破られてしまう。

 同様に生半可な『フェイズ』も、こいつは絶対に捕まりはしない。


 互角じゃない。恨めしいが、私自身がそれを自覚している以上、先の発言は侮辱に当たるのだ。



「お前、伸びるよ。今は無理でも最終的に互角かそれ以上になる。兎に角今は吐き出し所が欲しいんだ。頼む」



 そう言って、クルジリスは姿勢を正し、私に頭を下げた。


 そこに裏の含みは一切感じられない。

 純粋に鬱憤晴らしに剣を交えたいのだろう。


 式典内で彼女がやっていた事を察すれば、その気持ちが分からないでもない。

 それに魔法使い三塔で剣戟を好むのは数限りある。そのうちの一人が私だ。


 少しだけ、間を取って考えた。


………色良い返事は、やはり出来そうもない。


 昼の騒ぎの後、エーテルの補給はしていない。体内でエーテル量はかなり減っている筈だ。今雷のL2を放出し続ければ、呆っと言う間に底を突く。


 何より今日は、脚力強化で長距離走り続けたので、両足に過度の疲労が蓄積されている。


 とてもクルジリスの剣戟に対応し切れそうもない。


 万全でも勝機が薄いのだ。

 今なら瞬殺で決する可能性さえある。


 クルジリスもそれでは、不完全燃焼だろう。


 双方に益が無い。


 正直に言えば、やる気も無かった。


 その旨を伝えると、クルジリスはこの返事に気落ちしたのか、

 左目を薄く閉じて、宛てが無くなった右手を宙で平つかせた。



「残念だ。が、少しは立ち向かう気概を見せて欲しいな。それではレヴェッカ第一皇女を守り通せまい」



「………何………?」



 その瞬間、自分の中に得体の知れぬ何かが膨れ上がり、大きく塒を巻く。


 この心情など気にも留めず、クルジリスは悪びれなく口元を綻ばせると、閉じかけた左目を再び開いた。



「やる気になったか? だが適当を吐いてるつもりはない。

 例えば、俺が今からレヴェッカ第一皇女を襲いに行くとして、お前では到底守れまい」



「気が変わった。外に出ろ」



 極めて平淡な声で言って、私はクルジリスの横を抜けた。


 叩き潰してやる。


 負け越しこそしているが、私がクルジリスに一度も勝てなかった訳ではない。

 クレア相手ならそれこそ勝ち目ゼロなのだが、クルジリスになら勝機はある。


 攻める事しか能の無い『アタック』と違い、私の系統は汎用が利く『シェイク』


 時には攻め、時には搦め、時には守る事も出来る。


 巷では『シェイク』は特化出来ない器用貧乏呼ばわりだが、そこは上手く私の才気でカバーし立ち振る舞えば、理論上勝てない相手ではないのだ。


 冷静にやれば…


 私が、姫様を守れないだと?


 腸が煮え滾る。その愚言は、その身を持って詫びさせてやる。



「そう来なくては。扱い易くて助かるよ」



 表情が伺えないので、声だけが反芻して響く。


 前を行く私の背後を、クルジリスが鼻唄混じりに付いて来ている。


 当たり前だが、この正面ホールではやれない。


 何処か広い場所…、先に姫様が言っていた『戒めの間』が只広くて音も漏れず最適だが、

 あそこは立ち入り禁止なので、私情で踏み入るのは不味い。


 必然的にリエリア城から漏れる明かりを頼りに、外で、と言う事になるが………



「お待ち下さいメディトギア様ッ」



 そんな思考の邪魔をするかのように、耳から雑音が入る。


 呼ばれたのは自身の名。


 声質で誰なのか分かったのだが、苛立ちの表情を消し切れぬまま振り向いてしまった。



「久しいな。そうか此にはファン爺様も居たか」



 クルジリスが、こちらへ小走りで駆けて来る老人を概観し、そう声を掛けている。


 現れたのは、ファンロ=バルダビョンと言う専属の庭師。


 今頃は地下食堂の打ち上げに加わっている筈だが…



「これはこれは…クルジリス様、一段と凛々しくなられて」



 愛用の帽子を取り、私達に向け深々とお辞儀をするファンロ。



「ファンロさん、私に何か?」



 何かしら用を抱えているのは明白だ、当たり障りなくそれを促した。

 しかし声質が些かキツかったかも知れない。


 本来なら私も『ファン爺様』とお呼びするのだが、クルジリスの手前、抵抗がある。



「あれからかなり時が経ちましたが、夕暮れ時にカナード様から言付けを頼まれましてな。

 メディトギア様を御見掛けしたら『私室に来るように』との事でございます」



「カナード様が…、分かりました。今すぐに参ります」



 何用だろうか…。ああ、思い当たる件なら幾らでもある。

 特に今日仕出かした失態は叱責されるに充分が過ぎる。



「ファン爺様の用はそれだけ? ならこれから少し俺に付き合ってくれませんか?」



「あ、いや…、これから地下で使用人集まっての打ち上げがありましてな…」



「苦手でしょう、馴れ合い。俺を理由に抜け出せばいい。それで互いに利益になる」



「クルジリス様は御強くなられました。この老いぼれではもはや役が務まりますまい」



「今は勝ち負けじゃなく真面に撃ち合える相手が欲しいのですよ。メレアにフラれた今、爺様なら適格だ。

 先約は俺でしたよ、爺様が用事を持ってきたなら代わりを務めてくれないと、残された俺が不憫だと思いませんか?」



「ハァー…、仕方がありませんな………」



 私が会話を挟む余地も無く、一挙に話が着き、

 クルジリスがファンロの背中を押す形で、早々に城外へ出ていってしまった。


 瞬く間に、正面ホールに自分一人だけが残される。


 先程まで抱いていた例えようもない憤怒の思いは、有耶無耶の内に消えてしまっていた。



「………丁度良い。私もカナード様には用事がある」



 レヴェッカ姫様からカナード様宛ての手紙を預かっている。

 しかと届けなければ、後日、姫様に何を言われるか分からない。悍ましい。


 一度だけ、クルジリスとファンロが消えた先を見遣り、

 それから御師匠様の私室へと赴くべく、二階へ続く長い階段を昇って行く。




 曩に朱い月に抱いた険呑など、この時には思考から疾っくに消え失せていた。








 

 

 

 

 




 

 

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