第十八話 『魔法使い三塔』

 

 


 アズサ=サンライトによる第一皇女誘拐事件も一先ず未遂に終わり、渦中の主であるレヴェッカは救出された場から俯瞰する式典の様子を、喜色満面の様子で見下ろしていた。


 側には一仕事終えたばかりのメレアが控えている。

 件の疲労があるだろうに、彼女はただそこに在る空気。気配さえ感じさせない。


 そんなメレアに、ふと気配が灯る。主に話掛けられた。


 レヴェッカはメレアに一つの頼みを願う。

 何時の間にかその手には、見覚えのある白い封筒が。



「メレア、頼まれ事を引き受けよ。これを式典が終わり次第、カナードの奴に渡してくれ」



「………これは?」



「ヒ・ミ・ツ」



 そんな答えに憮然としながら、メレアはそれを受け取る。


 彼女は知り様も無い。

 その手紙の主が、今し方己が倒した悪徒の物だと言う事に。



「また悪戯ですか…? 肯定したらこの場で破り捨てます」



「ち、違うわ。………流石に今回の騒動には懲りた。

 これから妾は表の顔のように厳かな淑女でいようと思う」



 清々しい迄に心にも無い空言を口から出すレヴェッカ。


 メレアはその二枚舌を引っこ抜きたくなる気持ちを何とか抑え、今度こそ現実になるようにと祈りながら受け取った手紙を懐に納めた。

 

 

 

……………




……………




……………




「やあレヴェッカちゃん。白熱の競技は些かな無聊凌ぎになったか?」



 その声は、あの後リエリア城に戻る二人へ向けられた。


 式典が終わり人が疎らになった敷内にそれは大いに目立つ。


 開かれた空っぽのケース。

 横には体格の良いツルツル頭の男が苦悶を漏らし蹲っている。


 その背中に足を組んで腰掛けるは、三塔一の優男。



「………アーゲット=フォーカス。貴様、第一皇女様に向かってどの口を利いている?」



「よい。───おい眼鏡よ。お前リエリア城にある『戒めの間』は知っておるか?」



 同じ三塔の無礼な言葉使いを責めるメレアを手で抑えて、レヴェッカは数歩前に出て、アーゲットにそう言い放つ。



「め、眼鏡…。せめて名をね。ま、いいか。知っているよ。…確かリエリア城が建てられる前に存在していた神地を丸々リエリア城上階に移植したって話だったかな」



『なに、お誘いの話かな?』と下劣な方向に繋げるアーゲットに、後ろにいるメレアは冷静な表情の裏で握り拳を締め上げる。


 しかし当のレヴェッカは何処吹く風で、不敵な笑みのままもう一つ質を投げ掛ける。



「そこに "鳴らずの鐘" があるのは?」



「鐘…? 生憎内部に入った事はなくてね。

 でも鳴らない鐘なんて、唯一の存在意義を果たせなくて、何だか可哀相だな」



 その答えに何かを満足したのか、レヴェッカはクルリと踵を返すと、アーゲットに背を向ける。


 ズカズカと歩み去りながら、第一皇女は去り際の言葉を紡いだ。







「鳴るぞ、今夜。

 とても美しく高雅な音色だ。誰に聴かすのも惜しい。一音も漏らさず聞き届けよ」



 

……………




……………




……………




 王都では式典がとうに終了した日没の様。

 一塔のとある部屋にはアズサの馴染みであるテレサレッサとメドゥーサの姿があった。


 此には簡易的な二段ベットが備わっており、私物らしき物も散乱して、彼女達の私室である事が容易に想像が出来る。



「これで良くって? 緩いならそう言って下さいまし」



「ぅぁ…! むしろ苦しいよテレサさん、締めすぎ………」



 部屋の中心には引っ張り出した椅子が掛けてあり、そこに紫の髪した少女が座っている。


 その面、いや瞳には蛇の紋章を持つ禍々しい布が充てられていた。


 彼女の瞳をそれで覆い隠したのは、その背後に立ち、結び目を解こうと苦戦している金髪縦ロールの少女。



「毎度ながらメンドくさい習わしですわねぇ。こんな目隠しなどしなくても寝ていれば目なんて休まるでしょうに。

 暴走なんて…あの時以来起きてないでしょ!っと」



「あはは…、ボクの瞳は特別厄介だから寝ても休んでくれないんだよ。

 だからこの―――、ヘルヴィア家の家門が刻まれた眼充てを付けて納めなきゃね。でもこれ、付け心地悪くて嫌なんだけど」



 苦い表情を作り、短めの嘆息を吐くメドゥーサ。


 自らの先には鏡立てがあり、布を少し上に捲ると、己に普段見えないものを写してくれる。


 相変わらず、気持ちの悪いヘルヴィアの家門。

 擦れた境目から見える、自分の家門が配われた不気味な布充て。

 それを着けた様は、まるで自分が自分では無いようだ。


 出来れば着けたくは無い。


 無いが、しなければ能力に悪影響を及ぼし兼ねない。

 入り切りのコントロールが目茶苦茶になれば、この力は周りに被害を与えてしまう。



「あの石化眼とやらは魔法の『フェイズ』とは違うんですの?」



「一度石になった第三者を解くのは『フェイズ』でも出来るんだろうけど………多分アレと違って掛かった時の自力脱出は無理かも」



 一度故郷のディレイで眼が発動した事がある、犠牲となったのは獣だが、それを石に変えても尚止まらなかった。

 ディレイの時の教師、彼女の上の姉二人して抑え込んでそれ以上の被害は出ず事なきを得た。


 ふーんとまだ何か納得しなげなテレサレッサ。

 だが何より今身近にいるテレサレッサが一番に危ないのだ。


 自分の危険な特異を知っていて尚、側に居てくれる無くしたくない掛け替えのない友人。


 彼女が居なければ、メドゥーサは魔法学校の試験に合格してもきっと辞退していただろう。


 掛け替えのない友人。


 メドゥーサには、それがもう一人いる。


 しかしその友人は、この、魔法学校には居ない。


 ふと、彼女はそのもう一人の友人の起居が気になった。



「アズサは、今も『血吸の魔女』に扱かれてるんだろうね」



「そうでしょうね。わたくし『血吸の魔女』は嫌いですけど。

 すぐにも引き剥がしたい衝動に駆られますが、魔法使いになる為にアズサには師の手施きが必要ですし仕方ないですわね」



 テレサレッサは少し苦い顔をしながら、今度は気持ち緩めに布を巻いて締めた。



「けど、まぁ、あと少しでまた三人一緒に居られるね」



「………受かってくれれば、の…話ですわ」



 春の魔法学校の入学試験は、もう直ぐ此で行われる。


 アズサは滔滔今回が最後の挑戦となってしまった。


 是が非でも受かって貰う為、彼女達は少ない小銭を掻き集め、危険な二塔まで足を運び、大きな買物までした。

………結果的には無料で手に入れたが。


 しかしこれから先はアズサ次第となる。彼女の才、次第。


 後はもう、願うしかない。

 

 

「先生はアズサが一番才能に溢れてるって言ってたよ。きっと大器晩成なんだよ。

 だから今回は絶対に受かる。ウンディーネは才ある者を見捨てたりしないんだよ………?」



 鏡の向こうのメドゥーサは、笑っていた。表情は眼充てによって伺い知れないが、口元は確かに微笑んでいた。



「水の精霊に盲信する貴女には些か首を捻りますが、わたくしも今回に限っては祈ってみたい気分ですわね」



 テレサレッサは両手を二度叩く。


 途端、椅子に座っていたメドゥーサの身体がフワリと、まるで風船のように浮いてしまう。


 メドゥーサは眼充てをしている為、現在視界が皆無。


 そんな彼女への、配慮だ。


 風のL1を彼女なりのオリジナルティと加減で包み、メドゥーサを二段ベッドの上まで優しく運ぶ。



「ありがとうテレサさん」



「貴女も馬鹿と言うか何と言うか、まあ大変ですわね。

 愚かにも昇塔試験をわざと蹴っているばかりにエウリュアレーさんと顔を合わせる度に叱責されて」



 薄く片目を閉じ、テレサは先刻一塔内廊下で出会した魔法使い三塔を挙げる。


 約三十分、メドゥーサはその魔法使いに筆舌にし難い叱責をみっちりと受けた。


 これは彼女達の日常でよくある事だ。


 だが最近は顔を合わす頻度が増している。

 

 

「エウお姉は何時も怒るから、もう慣れたよ。

 ボクはお姉ちゃん達みたく強くないから、どうせ二塔には上がっても三塔の壁は越えられないだろうし、一緒なんだ。

 ならボクは居心地の良い一塔が好きかも」



「向上心が無いですわね。わたくしは一刻も早く二塔に上がりたいと!言うのに!」



「あはは…、テレサさん今13位だから昇塔試験が受けられる10位以内までもう少しだよね。

『ガード』で擦り傷を自力で治癒出来るようにもなったし天才だね」



『そうでございましょ! オーッホッホッホッ』と高笑いする友人を前に、

 メドゥーサは乗せられやすい体質って怖いなと、改めて実感する。

 彼女が二塔に上がれる様であれば自分も愈持って一塔とはお別れする時だ。



「ん…? 今日は満月ですのね。それも飛び切り…朱い。

 知っていまして? この真珍しい朱月を見た者は目が真っ赤に染まって………魔物化するらしいですわよぉ!」



「………なら大半の人が今頃魔物になってるよテレサさん…、それに眼が真っ赤なら『フェイズ』使いみんな魔物じゃない」



 同僚をちょっとした根も葉も無い噂話で驚かせてやろうとしたが、どうやら上手くいかなかった。

 テレサレッサの視界に入ったのは、窓から映り込む朱い満月の様。


 これから天高く昇り、本来の姿を以って、夜空を鮮やかに彩るだろう。


 テレサレッサは朱い満月を暫くの間、無我で眺め、それから何に馳せたのか、

 憂いの笑みを一つ零し、備え付けのカーテンを閉めて遮るのだった。



 

……………




……………




……………




 今回の生誕記念式典も、恙無く無事に終わりを迎えそうだ。


 表面上は何も無ければ何も得られない。有権者達の顔合わせの場でしかないこの式典。


 表面上では、そう見えて仕方がないし、そう見える事が良い。



「リーゲル」



 特設ステージ上段。


 今、そこは豪奢な飾りが施された座する場しか無い。


 それに腰掛け眼下を眺める男。


 深い皺と威厳ある髭を蓄えた初老の彼は、鉛のような重みの声を発した。


 彼こそが、水の国を皇帝。


 国を納め、統べる王。


『ラヴァリー=サン=サアカウマダ』その人である。



「は、ここに」



 この喧騒では聞き逃しそうな、決して大きくはなく低い声。


 しかし聞き漏れず、呼ばれたリーゲルが特設ステージに昇る。

 そして恭しく礼を取り、ラヴァリーの側で

跪た。



「そちらは、問題無いな?」



「勿論でございます」



 リーゲルの顔を見ず、あくまで真正面のまま尋ねたラヴァリーに、リーゲルは即答した。


 それを聞き受けると、すぐにラヴァリーは手の合図でリーゲルを下がらせる。


 そして、少しだけ首を傾けた。


 目に付くは、備え付けられたテーブルの上。

 そこに並べられた皿の上に置かれた赤い果実の一つを掴み上げて、齧り付く。


 ディレイでしか採れないクキカの木に実る真赤い果実。

 栽培が難しく高価だ、普通ならとても手が出ない。


 表面は固いが、皮迄食べられない事もない。


 因みにこの皮、干して、他の薬草等と混ぜ合わせ煎じる事で強烈な睡眠粉が作れ、一部に重宝されている。尤も皇帝には何ら無縁の話だが。


 粗暴に食らい付いたラヴァリー、途端、中の果汁が口の中で弾けて広がる。

 余韻に浸る事無く、口の中の皮を吐いて捨て、齧って開いた穴に唇を充て、果実を傾ける事で、独特の蜜の甘さを喉から流し込んだ。


 そうして『今年のは味が落ちてるな』と淡泊に評し、興味が失せた様子で、無造作に後方へと投げ捨てる。


 

「ステレア、アイシャ、お前達はもう降りて自由にしてよい。………カナード、必要なら付いてやれ。その後は呼ぶまで自室にでも居ろ」



「仰せのままに」



 式辞の始まりから、ラヴァリーの後ろに控えていた『絶壁の魔女』カナードは、豪奢なドレスの裾を気持ちばかり上げ、優雅なお辞儀を見せる。


 隣にいた第二、第三皇女もカナードに習ったお辞儀をラヴァリーの後ろ姿に送り、先に降った魔女の後を追い、ステージを後にする。



「陛下の護衛、然りとお願い致します」



 階段を下りた先では、カナードが近衛兵に戒心を押していた。


 先程もこちらに向けて流れ弾があったばかりだ。

 特設ステージと言う狙われやすい位置にいる以上、ラヴァリーの警護は、針すら通さぬ密度でやるべきなのだ。


 カナードは自分が抜ける以上、今以上の警戒レベルで当たるようにと近衛兵に希求する。



「心配が過ぎるでありんすな、カナードは」



「それこそ、まっこと護衛魔法使いの鑑でありますが」



 互いに思い思いの言葉を発しながら、ステレアとアイシャは絶壁の魔女を見遣る。

 それに気付くと、多少表情を律してたカナードは途端に柔和なそれに戻した。



「これが私のお勤めですよ。ステレア様、アイシャ様、一足先に下った非礼を謝ります」



「気にするなであります。妾達を待たせぬようにとの配慮だと解っているでありますよ」



 第二皇女のステレアは、階段を下り終えると、厚手の着物を脱いで近衛兵士に渡した。



「先に下る非礼も、近衛に希求する迄待たせる非礼も、さして変わりはないであります」



「しっかしこー怠いでありんすなー。こう何時間も直立不動とは酷い拷問。脚が棒になった気分でありんす」



 第三皇女のアイシャはそう言って、その場で地団駄を踏む。


 多少拙いのは、それだけ固まってしまった証拠だ。

 


「よく我慢して立ち続けていました。ご立派でしたよ。

 そうです、この後私の私室にてお茶でも如何でしょう? 甘いお菓子もお出し出来ますよ」



「それは喜悦であります、カナードが作る菓子は一流と評せる出来でありますから。

───けれど、今回は御遠慮するでありますよ」



「妾達も式典を巡ってみてぇーでありんす。一姉だけ堪能して狡いでありんすから」



 未だ地団駄を踏みながら訴えるアイシャに、カナードは心中で浅い溜息を吐いた。


 二人がきっとそう言い出すだろう事は、数時間前に第二テーブル付近を彷徨いていたレヴェッカ姫を見て以降、予想は付いていたのだ。


 先手を打って誘いを掛けてはみたものの、彼女のお茶程度ではとても敵わなかったらしい。



「分かりました。ならばこのカナード、姫様達が飽きて戻るまで御付き合い致しましょう」



「それは不要であります、貴公は私室にて待命を仰せ付かったでありましょう?」



「姫様に付くようにとの主命も受けておりますよ」



「それは "必要なら" でありんしょう?」



 不敵な笑みを拵えて、アイシャは右腕を掲げると、パチンと指と指の腹で音を鳴らす。


 その音に反応するように、ステレアとアイシャの背後に人特有の気配が燈った。



「近衛魔法使いが居るので万が一も無いであります」



 ステレアの後ろには、見れば忘れない程に特徴的な赤い髪留め用のリボンが。

 その主は魔法使い三塔の『マリナ=レルトレート』

 普段の勝ち気な笑みを惜し気もなく零す。


 アイシャの隣には、最年少魔法使いである魔法使い三塔の『フランシーヌ=J=パレス』が生気の無い瞳で佇んでいた。



「しかし―…」



 カナードは考える。


 確かに二人の姫様が言う通り『必要ならば付け』が主名だ。


 そして彼女達には、メレアと同じく近衛の魔法使い三塔が控えている。


 歳が近いので弾む会話もあるだろう、近衛とはそう言う役割も担っているのだ。

 自分も付き、要らぬ気を使わせて水を注すのもどうなのかと、カナードは頭を悩ませた。

 


「カナード様、私達にはこれがお勤めでございます! 我が命に代えても姫様の安全は御守りしますので、どうかお任せを!」



 彼女らしい元気でハキハキした喋りとグッとしたやる気のある握り拳を手前に出し、マリナがそう告げる。

 発言後は恭しい礼を取って、カナードへ頭を垂れる。

 必然的に後頭部の赤いリボンが前面に押し出される感じだ。


 近衛魔法使いとして彼女達はこの国に雇われている。

 皇族を守るに見合う実力が備わっているからだ。

 その任を取り上げる吝かを、するつもりはない。



(ふぅー………)



 漸くカナードは、護衛の任を譲り渡す事を考えた。


 式典はもうすぐお開きとなる。

 滅多な事も、起こりようがないだろう。


 先程賑わせた騒ぎも、疾っくに鎮静化されている。


 楽観はしないが、この二人の実力なら信頼に足りる。



「やれ…、レヴェッカ様もそうですが姫様方は皆、御転婆でいらっしゃる。もう若くはない私には些か荷が重いのかも知れません。

 では、私は私室にて一人淋しくお茶でも啜りましょう。マリナさんフランシーヌさん、姫様達を然りとお願い致します」



 その言葉にマリナがニッコリと、巷の渡し屋のハートを射抜きかねない向日葵の様を描く晴れやかな笑顔を向けた。


 一方のフランシーヌは、此で初めて頭を下げた。


 カナードは二人の反応に深く頷いて、クルリと踵を返す。


 彼女の頭は、決して固くはない。


 時と場合に因りけりだが、大半はある程度の根拠があれば自分から引き下がる傾向にある。


 無論、その時に起こりうる失態は全て自分が受け持つ覚悟でいる。そうしないと下が育たない。

 これが『絶壁の魔女』なりの育成方針なのかも知れない。


 彼女はゆっくりと、しかし嫋娜な脚取りでリエリア城へと赴くのだった。


 但し普段の徒歩とは違う、そこに至るまでの道程で挨拶回りも欠かせないから。

 


「本日は遠路遥々お越し下さり誠にありがとうございます。ラヴァリー皇帝は貴殿様がお越しになると聞き、大変欣喜でいらっしゃられましたよ」



 そう言って、カナードは空になったグラスに濃い紫色の酒が入った瓶を傾ける。


 見た目小太りな賓客は、いい具合に酔っているらしく、一度見えた印象と違った饒舌な口調で彼女に話し掛けてくる。


 並べられた佳饌には、あまり手を付けていないようだった。


 その傍には『クルジリス=アーサコロニー』と呼ぶ、長髪パッツンの切れ目が印象的な魔法使い三塔の姿が。


 男に肩を抱かれ、心底嫌そうな瞳でカナードに訴えてくる。



(もう少しの辛抱です、我慢して下さい…)



 伏し目がちに、カナードがクルジリスの救いに目で答える。


 彼女は少しだけ気落ちした表情を浮かべたが、一度小さく頷き、直ぐに接遇用の顔を戻して酔漢の相手を勤めるのだった。



(ビューティフル、その調子でもう少しだけ頑張って下さい)



 普段の彼女の気性を鑑みれば、今をどれ程迄に抑制しているのか想像に難しくない。


 クルジリスは魔法使い三塔として、今回が二度目の式典出席となる。


 同じ魔法使い三塔のメレアは『三塔は今年だけ特別呼ばれている』と思っていたようだが、実はそうでもないのだ。


 三塔は式典での饗応の為に、魔法協会から直令で呼ばれる。


 水国の魔法使い達は、何の巡り合わせか、選りすぐりの美人美少女が多く、その上、魔法使いとしても優れた三塔ならば、外向きとしてこれ以上の見せ物は無い。


 メレアは去年はまだ魔法使い二塔で、式典の日は魔法学校内に居たのだから、これを知らないのも道理である。


 一、二塔は三塔が式典に出る事など存知する術も無い。


 例年通りなら饗応として抜き出される者は多くはないのだ。

 だから、魔法学校内でもそう簡単に気付けないだろう。


 尤も、今回はリーゲルが戦力としても呼び寄せている為、従来以上に魔法使い三塔が多いのだが。


 カナードは軽く会釈し、その場を後にした。


 それからの彼女は、幾度も似た繰り返しを行い、漸くリエリア城正門まで来着する。


 そこで只今、城から出て来た三塔長と出会した。



「あ、お疲れ様ですカナード様」



「お疲れ様ですクレア、式典の動静に変わりはありませんか?」



「はい。あの騒動以来、目立った事は何もありません」



 異性でなくとも、一目でその大きく膨らんだ胸部へと視線が向いてしまいそうだ。


 三塔長を勤める『クレア=ミシェル』は、何時もの柔かな笑顔の裏に、微かな疲れの表情が隠れていた。



「………貴女には難儀を懸けますね。私の微力で何か手伝える事はありませんか?」



「め、滅相もありません! カナード様の御心使いだけ有り難く賜わります」



 両手を大袈裟に振りながら、クレアは慌ててカナードの申し出を固辞した。



「一寸も経てば今年の式典も閉幕ですね。後片付けは内容に含まれておりませんでしたので、

 三塔は現地解散と言う形を取らせるつもりなのですが、宜しいでしょうか?」



「構いませんよ。敷地内は城側が然りと整然に戻します」



『ではそのように』と告げて、クレアは急ぎ足で十三番テーブルの方へ駆けて行った。


 どうやら接遇中に不備があったらしく、リエリア城には物を取りに来たようだ。

  

 カナードは、雑踏に紛れる三塔長を労りの眼差しで見届けた。


 クレアは、魔法使い三塔の中でも負荷が特に大きい。

 三塔長として個性の強すぎる魔法使い三塔を纏めなければならない上に、己も饗応の一人として加わるのだ。


 去年も三塔長を勤めたとの理由で、受け持つテーブルも他三塔より多い。

 リエリア城にも朝早くから来て作業を魔法にて手伝っている。

 全て見ずとも、今日はフル稼動なのだろう。


 カナードが見抜く程に、疲れの隠し方が雑になっているのがその証だ。


 その上、彼女はアズサ=サンライトが放った水弾の処理にまで手を懸けている。


 今から数刻前、極一部しか知らぬ事

 皇帝が座する特設ステージ上空に水のL1が降り注いだ。


 一早く気付いたのはこのカナードだが、対応が早かったのはステージに近い十五番テーブルに居たクレアだった。


 直ぐ様発動させた『ガード』の魔法で水のL1を包み消した。


 今、顧みても、最善だったと讃える他にない。


 仮にカナードがあの水弾への挙動を取ると、それだけで注目を一手に浴びる事になる。


 無論、カナードなら最小の挙動で処理するだろう。

 しかし、目敏い賓客に感付かれ痼りとなる可能性も、雫程だが零ではなかった。



(あの子は非常に有能なのですが、抱え過ぎるのがよくありませんね…)



 長としてあれ程の適任は居ないだろうが、彼女は本来なら補佐的な役割が向いている。

 だが現状実現不能。ならばせめて彼女に近しい力を備えてる者と負担を分け合えれば…

 そう、カナードはクレアに会う度に心に一つ抱いている。

 

 しかし本人は人に頼られるのが嬉しい性分らしく、カナードが抱くそれは杞憂となって消えるのみだ。

 そして彼女に器量や魔法才で逼る魔法使い三塔も、脳裏で振り返るに、今の所…居ない。

 フランシーヌなら魔法才で何れワンチャンスと言った所だろうが、誰がどう見ても他のあらゆる部分がクレアに劣る。


 目上のカナードだから、あの様なテンパりを見せたが、本来のクレアは佇まいや気品がこのカナードによく似ている。


 それは彼女を尊敬し、手本としているから。

 上手く取り込み、立ち振る舞っているのだから、それもクレアの類い稀な才なのだろう。


 国の行事に魔法学校の代表として顔を見せることも多いので、自ずと水国民と接する機会も他より多い。

 それもあって魔女を含めた全魔法使いの中で、恐らくはクレアの人気が巷で最も高い筈だ。

 

 そして、それで良いのだと『絶壁の魔女』カナードは思う。


 彼女は人の上に立てる器を持っている。

 言われなくとも既に擡頭しているが、これから若手魔法使い達の指針となる更なる高みの存在になる。


 それは弟子のメレアにも言える事だ。彼女も、きっと高みになる。


 その根拠無き確信がカナードにはあった。


 そしてもう一人、

 将来を楽しみに見ている者がいる。


 さて、その者は大成するのか。

 彼女には相応しい師が居るので、カナードは然して口を挟まない。


 小さき芽は未だ弱々しく、大きく吹けば、根本から抜けて簡単に飛んでいってしまう。


 基となる土台が頑丈なクレアやメレアと違い、彼女は例えるならば野に咲く雑草。

 簡単に飛んでいってしまう可能性の方が多いに高いのだ。


『三無し』とまで名付け蔑まれる笑われ者が淵より這い出て金道を駆ける。


 そのような光景、見れる物なら、是非に。




 そのカナードの願い。



 きっと叶うのだろう。




 やがて、この式典は、ある筈無き夜会へと続いてゆく。



 多々の思惑を、朱い月夜に寄せながら───










 

 

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