第二章
第十三話 『予覚』
◆
「水国の…生誕日で…式典がある日、ですよね?」
「ああそうだ。で、お前さちょっと王都まで行って私の代わりにそれに出てこいよ」
「はぃぃぃ?」
何気無いと思ったその日は、こんな会話から始まります。
洗濯物を入れた籠を抱えて工房内を右往左往していたわたしをいきなり呼び止めた師匠。
直前まで読んでいた仰々しい便箋の中身から目を外し『アズサ、お前今日が何の日か分かるか?』と聞いてきましたので、冒頭のような返答をした次第です。
今日はこの水国、サアカウマダの生誕日で、とてもめでたい日になります。
とは言っても民にとっては休日になる程度の認識ですが。
王都のリエリア城では皇族方とお偉い来客様方とで、パーティ開いてるとか何とか
政治絡みのお話をする為の隠れ蓑として式典が使われているともまあ聞きますね。
少なくとも、わたしには全く以って無縁のお祭りです。
と、思っていたのが今までで、何やら師匠のせいで関わりたくない所に関わってしまう、よくない雲行きが…
「嫌です」
「そうか行ってくれるか。流石は私専用の奴隷だ。ではさっさと支度しろ」
「あれー、わたしの声って心が醜い人には聞こえないのかなぁー?」
「ったく…、協会め。いつもは出席願いなんぞ届けん癖にな」
そう言うと自分勝手な師匠はテーブルに置いていた便箋から一枚の紙を取り出します。
「生誕式典って師匠も呼ばれるんですか?」
「いーや、呼ばれん。基本私は王都は入禁状態だからな。
だが私以外の魔女は出席を義務付けられている。カナードは言うまでもない。ルージュは───あんな奴は知らん。
今回、こうしてキモいお呼びが掛かるのは初めてだ」
師匠の話を聞くに、基本的に魔女の位を持つ者はあの式典に呼ばれるみたいですね。
水国は魔法使いという他国に存在しない希有な宝を保有し、魔女はその魔法使い達の言わば花形的な存在ですし当然と言えるかも知れません。
「折角招待してくれたのに…式典には師匠が行くべきですよ! 絶対に!」
今まで招待されなかったお国事にお呼ばれされると言う事は、協会側が師匠に歩み寄ってくれたとわたしは解釈します。
師匠と協会はそりゃもう犬猿と言っていい程のレベルですが、互いに互いが必要で、だからこそ友好的な関係を築くべきだと思います。
協会にとって師匠は、魔女の位を授けるに相応しいと渋々とは言え認めた存在。
何時までも目の上のたんこぶとして扱うには効率が悪いんじゃないかと思いますし
師匠も師匠で魔法使いである以上、協会と険悪な今は百害あって一利無しですよ。
此で師匠が突っぱねたら良くなるものも良くなりません。
「あー煩い。行かないものは例え世界がひっくり返ろうが行きはしない
そしてお前は私の欠席を向こうでテキトーな奴ひっ捕まえて伝えろ」
でも師匠に歩み寄る気は全く無しで脈も無し。
嫌な二つ名を与えた協会が相当以上に嫌いなんですね。
師匠は愛用の眼鏡をスチャリと装着し、ペンを走らせます。
予想する迄もなく、きっと欠席の願いですよね。
なんか嘘八百が敷き詰められそうな気がします。
「はぁ…―――取りあえず洗濯物干して来ます………」
両手に抱える洗濯籠の重量に苦しみを覚えたので、わたしは一先ず中断された家事を熟す事にしました。
師匠も無言で一筆書いてらっしゃるので、わたしに何か言うのであればまた同じように声が掛かるでしょう。
てな訳で、洗濯物を干せる工房の裏手側に行ってきます。
「あ、待て。そこの珈琲煎れてくれ」
「は? 自分でやって下さいよ」
「珈琲」
「自分で…」
「珈琲」
ガチャッと籠を床に置いて、さも当然とまた紙に目線を下げる師匠の側を唇を尖らせて通り過ぎ、台所にお湯を沸かしに行きました。
いや、もう慣れましたけどね。
……………
……………
……………
「よし、これだけ嘘を並べればよもや疑うまい」
クルッと回したペンを親指で真上に弾き、師匠は会心の笑みを浮かべます。
思ったより手間が掛かったらしく、既にわたしは家事を終えて隣で一息付いています。
「あ、あはは………」
出来上がった文面を前に、わたしは引き攣った笑いしか出せません。
何と言う、嘘八百。
やれ貧血
やれ痛風
やれ筋肉痛
やれ二日酔い
やれ例のアレ
やれ両足骨折
やれ風邪
やれ持病の錫
やれ不治の病
やれ…
「どうだ? 完璧だろう?」
「師匠がいいと思うならイインジャナイデショウカ」
正に思い付く限りの事を書いたんでしょうね。
度が過ぎてて嘘が嘘になっていないと思いますが、敢えて口にしません。
だってバカバカしくて口にするのも面倒。
これを渡した後に発生する事態は、師匠が責任を持って対応して下さいね。
「後はこれを便箋に戻す。ほらアズサ、失くすなよ?」
滑らかな動作で糊代を付けて、手首のスナップだけで師匠は真っ白な便箋を差し出します。
柔かな温もりに寄り掛かったまま、わたしはそれを啄むようにして受け取りました。
「………王都に行くのはいいですけど、お仕事の時間までにオディールに帰れるんですかね?」
「今日中に帰っては来れるだろうがバイトの時間には間に合わんだろうな。心配せずともホグワのばーさんには話を通してある。
まぁ、行きに寄ってお前が直接休む事を告げておけ」
そう言う事は事前に済ませてて、欠席の願いなんかは今書くんですね。アベコベじゃないですか。
現在の優先度的に師匠の用事よりお仕事なんですが、流石に王都の式典行きとなると話が変わってしまいます。
師匠がどう話を着けたのかは知りませんが、ホグワさんには頭を下げて今日の休みを貰わなければいけないようですね。
てか、王都へ渡してくれる漕ぎ屋さんと店は真逆の方向ですよ…要領悪いなぁーもう。
「中に入っている黄色の紙が招待状だ。リエリア城に着いたらそれを門番に見せろ」
「それで中に入ってるもう一枚、師匠がさっき書いた欠席願いを城の関係者に渡せばいいんですね?」
「分からないならカナードを探して奴に渡してしまえ。その方が手っ取り早く且つ確実だ」
そう言うと師匠はわたしが寄り掛かっていない方の腕で珈琲のカップを掴み、艶の乗った唇に付けます。
カナード様かぁ…
そう言えばこの前戴いたクッキー美味しかったなぁ…
師匠と同じ魔女であられる『絶壁の魔女』ことカナード様
清楚で聡明、気品があり御優しい上に魔女と言う正に非の打ち所がない超人様です。
わたしなんかとは器が違うというかなんというか。
水の国随一の人徳もあって師匠にない物を全て持っていらっしゃる感じがして、不謹慎ですが、対比したらちょっとだけ笑えちゃいます。
カナード様がおられる王都に師匠は行かないので、カナード様が暇を作って師匠に会いに来て下さるそうです。
師匠と協会の関係には苦笑いしていましたね。改善して欲しいと願うのはわたしもカナード様も同じようです。
「分かりました。ならカナード様に渡しますね」
ならば、カナード様に差し上げる菓子折りを買っていかなければいけません。
………てか、あの御方に見合う菓子なんてオディールにありますかね? レナーも足りるかな?
滝汗でそんな思考の網を脳内で巡らせていると、ふと頭の辺りに微かな圧迫を感じます。
「調度良い。水国一等の『絶壁の魔女』にお前の魔法でも見せてやれ」
積み重なる感じで、師匠もわたしに寄り掛かってきました。
あの師匠がそう評する辺り、カナード様との縁の深さと信頼を感じます。
少し前の話になりますが、カナード様が此にいらっしゃった時は二人してわたしの修業を見て下さりました。
今にして思えば、魔女二人に指導を頂いたあの瞬間は、もの凄く貴重な経験と時間だったんですよね。
………まぁ、カナード様が見ている前でも、当時のわたしは魔法の発動の片鱗をヒトカケラさえ現にしてくれませんでしたが…
『アズサさん。魔法は…例えるならば、そう、料理です。
エーテル液はその具材や調味料、魔力は………そうですね、この場合は火、と言う事で。
具材も料理にはとても大切な物ですが、こちらは用意してしまえば事が足ります。
しかし熱…即ち火だけは用意しても、使う人の加減の違いで料理の出来が天地の差になります。
生焼けになるか、真っ黒焦げになるか、どちらにしても成功品として成り立たないですね』
あの時、カナード様がわたしに説いてくれた事…。
魔力を込め過ぎていたわたしは、常に料理を火力全開で真っ黒焦げにして提供している状態でした。
こんなもの食べられたものじゃない、料理とは呼べない。
―――そう、魔法とは呼べない
だから発動しなかった。
件の呪いの指輪がわたしの魔力をゴッソリと蝕むまで。
あの例え、当時はエクスクラメーションでしたが、今ならばそれがよく分かります。
と言うかカナード様はあの時既にヒントを授けてくれていました。やっぱり凄い方だぁ…
「ねぇ師匠…」
「ん?」
「やっぱり生誕式典ともなると、わたしみたいな庶民が普段口にできそうもない超豪華な料理とか、見た事もないフルーツとかが振る舞われたりするんですかね?」
「?? するんじゃないか? 何処が偉いか知らん奴等を懸命に持て成す為、リエリア城内の全コック達が最高級の食材を以って腕に頼りを賭けて作るだろう」
皇族様が普段口にしている料理、かぁ…
わたしが町で安い食材を買い適当に作って賄う御料理とは月亀の差ですよね。
式典はリエリア城敷地内でやるって聞きますし、
………ありつける可能性は激高ですね!
そう言えば朝は何も食べてませんからお腹も空きました!
「ぐふッ!?」
真上からの鈍い呻き声を伴って、わたしは勢いよくその場を立ち上がります。
「それじゃちょっくら行ってきますよ師匠!
せいぜいお昼は貧相な簡易食でも貪ってて下さい!」
顎を正確に打ち上げられて、テーブルの上で悶絶する師匠を余所に、便箋を手にしたわたしは玄関口に向かいます。
そして師匠が施した悪趣味な装飾のドアノブを掴み『バァン』と勢いよく開け放しました。
真っさらな青空。
今日も天候は頗る快晴。
こんな日に遠出も悪くない。
カラフルな景色に迎えられ、わたしは何時ものように軽快な一歩を踏み出しました。
当分の間、此に帰って来れそうもない事を、
この時のわたしが知っていたなら───
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