第十一話 『E-1の蛇は宵闇を嗤う』
◆
ゆっくりと息を吐き、精神をリラックス。
問題ない、もうあれから何回も成功している。やれる…
「ほら、高まってるものを排除しろ」
師匠の声が耳に届きます。
余分な魔力を注げば失敗、足りなくても失敗。
この加減が中々に掴み辛く、洞窟から帰って来た後も、割と四苦八苦していました。
肩の力を抜き、要らない魔力をカットします。
右手には薬筒の感触。
全体には魔法の手応え。
バッと瞳を見開きます。
視界は師匠の工房、わたしと師匠の家。
目の先には、師匠が用意したお馴染みの強化硝子。
それはテーブルの上にキッチリ固定されています。
「行きます!」
高々と宣言すると、全てが詰まった右手を振り上げ───
強化硝子に投げ付けましたッ!
途端、薬筒は弾へと変化して、強化硝子を叩きます。
ボボっと荒ぶる水砲が鼓膜を打ち、圧水に負けた強化硝子は音もなく砕け
その矮小な身が力強い水の中に飲み込まれていきました。
身を駆け回る爽快感に、体が無性に擽ったいです。
「………やった! やったやった! もう百発百中! 師匠ぉ、もうわたし初歩魔法を完全にモノにしましたよ!!!」
成功の感触に身体を抱いて喜び、キャッキャッと師匠の元に駆け寄るわたしを師匠は『はっはっはっ』と迎え入れ、
クルリと回して床に勢いよく叩き付けました。
「ぐえぇ!? 久々の感触…」
「ふーむ、これで一通り終わったが属性のL1に目立った長所無し。『アタック』じゃないな。
『ガード』『フェイズ』が尖ってるようでも無さそうだし………『シェイク』かぁ?
ハズレ引くとはお前らしいな」
わたしの頬を靴でグリグリと踏み付けながら師匠はわたしが理解出来ない専門用語を口にします。
そして首では『ん、ん、』と水浸しになった地面の掃除を促します。
「ふぁい………」
ヨロヨロと雑巾を片手に、わたしは自分が起こした魔法の後片付けを開始するのでした。
魔法学校入学試験まで あと 二十四日
……………
……………
……………
WORLD ガラリ廻転する
その時、その刻、そのそのそのその
此から先は何も無し
此から先へ勧めはしない
此より先もまた実であり───
此より先、必ず至るモノ
『人操の魔女』とその使者に招かれし二人降り立つ場
……………
……………
……………
まるで、肉切り包丁が固い獲物を断ち切る時に出す擬音に似ている。
液体が一気に噴出し
空を何かが舞い踊り
一模様を、彩る。
「あが…、ィィ゙あ゙ぁぁあ゙ああああぁああッッ!!!!!」
闇だけが続く森林で、大きな叫び声だけ児玉する。
「あぎ、あぎ…、あが、…う、で…あ、腕…、ぎッッ~~~、ぃぃいッッッ!!!」
喉から捻り出る苦悶の業火。
それは明らかに怯え、激痛が含まれた男の声色。
「ひ……ひひひ!! ねぇおにーさん、立派なオトコの人が下品な声出さないでよ………幻滅しちゃう。
ひひひひ、ひひひひひひゃひゃひゃひゃひゃひゃァァア!!!」
甘く、しかし狂った声が男の声量に乗っかり、握り潰して粉々に掻き消す。
男は豪奢な甲冑にその身を包み、兜で頭を覆い隠している。
それは一目で見る限り、絶対の防を施した火国の兵の姿。
そんな最強国の屈強な筈の兵士は、膝を地面に付けて、先程から敵に請いている。
兜のせいでその表情は知れないが、悲痛に満ちた声は、それ以上の戦意が無い事を物語る。
蛇が動く。いや正確には『蛇の魔法使い』が
火国の頑丈な兵士を此まで追い込める者、そうは居まい。
―――居るとしたら、そう、水国の卓越した魔法使いとか。
大きな木を背にする彼の前には三人の女性が佇んでいる。
左右の二人も魔法使い。
右の女が放った光の一閃は、彼のすぐ側にいた同朋の胸を大きく穿った。死んだ。
左の女は大きな水の塊を作りだし、何人もその塊に飲み込んでは溺死させた。
しかしそんな超大な力を持つ彼女らも、所詮は中央の魔法使いの女に付き従う者。
だからこそ、この中央の女だけは明らかな特異。
元々、彼が含まれる一個小隊は闇に紛れ、入手した情報の下、敵…水国022隊の幕屋を襲う。
………筈だったが、その途中、彼女達が現れたせいで、隊は脆くも崩壊し散り散りに。
そこで中尉に嵌められたと誰もが気付くが、もう遅い。
大多数がその場で討たれ、中でも鈍足で入隊したての貧弱な彼が目を付けられ、後回しにされ、そして今、彼女らの体のいい嬲り者にされている。
だってほら、証拠に、彼の両腕、肩から下、無いのだ。
「ひひひ…」
敵を砕くべき刃を持つ方の腕は、今さっき飛ばされた。
身を守るべき盾を持つ方の腕は、中央の蛇女が今も手に持っている。
「ひ、ひひひ!! ざまぁ…ざッッまぁあぁああああああ!!! ひ、ひ、ひひひひひひひ!!! 奇襲掛けようとして逆に奇襲されてるぅぅううう!!! ひひひ! ひひひゃひゃひゃひゃァ―――!!!!!」
彼をこんな姿に変え、顔を『嬉』で大きく歪ませ笑う中央の蛇女は狂っている。
中央の紫の髪をした小さな蛇女は狂っている。
中央の両眼を布で巻いて隠している女は狂っている。
その布に描かれた捩る大蛇の姿がとてもリアルで、今にも毒の牙を繰り出し飛び掛かって来そうな錯覚を見た者に与える。
でも今、男の命を追い詰めているのが只の蛇ならば、幾分ぐらいはマシだ。
何せ蛇に人程の知能などある筈もない。
"嬲り殺し" と言う慈悲無き行為をしないし、出来る訳もない。
殺るやら、躊躇わずに殺るだろう。
そして、殺らないのが今の彼女達だ。
空が描く朱い月を薄い目で見ながら、男は思う。
こうも魔法使いと言う種は人と違うのかと。
こうも人間離れしているのかと。
水国と火国、この二国の兵力差は大きい。
本来なら水国など容易に叩き潰せる程に。
だが、未だ潰すに至らない。
何せ水国にはその兵力差を生める存在がいるのだから。
水国にしか存在しない "魔法使い" と言うおかしなおかしな生き物が。
男の隊は総勢十六名。中には屈強な男しか存在しない。
対して彼女等は女男混じっての九名程度。
数字的にも力量的にも圧倒しないとおかしい。現に内三人は楽に殺した。
だが、その直後火国の兵士達は容易く薙ぎ払われる。
不幸にも、残敵の中に魔法使いが三名も居たから。
たった、それだけ。
彼はさっきから請いている。
味方が全滅し、指揮していた上官はとうに逃げ、この場で火国の兵として独りになったその時から、この三人に請うている。
『早く殺してくれ』と。
しかしそれは未だに叶わず。
舌を噛みちぎろうとしても、中々上手くいかない。
男を簡単に殺す訳がないのだ。
きっとこれは彼女等にとっての御褒美。
この魔法使い三人は人の命を弄ぶ事に悦楽の味を感じている。
だから死と言うゴールはまだ見えない。激痛の連鎖地獄。
此は、まだその途中でしかない。
だからこそ、彼は彼女等に目を付けられた不運を、精一杯呪う資格がある。
ギリッと奥歯を噛み締め、何とか一矢報入れと、男は余力ある限り、吠え滾った。
「呪われろ…魔法使い! 何処が神秘だ、奇怪な妖術を使う悪魔めバケモノめ………!!!
貴様等は存在自体を世界に許されない、お前らが居るから二国間に戦乱の火が昇る!
呪われろ、滅びろ………この、人の皮を被ったバケモノォォオオッッッ!!!!!」
憎しみ有る限り込めた呪詛の紡ぎ。
だが側に控える魔法使い二人は、僅かばかりの怒りすら見せる事はない。
死に掛けの塵が放つ狗の遠吠えなど子守唄にすら成り得ないのだ。
寧ろ『あー』と漏らし、同情の念すら男に抱く。
「大人しく嬲られていれば、もしかしたら次で死ねたかも知れないのに。バ・カ・だ・ね」
片方の女が、そう呟く。
目も唇も、嘲笑っていた。
「―――あァ………ひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ」
蛇の女も同じく、怒りすら見せない。
ただ、後ろの二人と違う所は、何か意味も分からぬ単語をスラスラと呟き始めた事。
その女が紡いだ少ない言葉には、何故か安らぎに似た心地を呼ぶ声色が乗る。
それはまるで、この場の領域を揺さぶるような、世界の理を一粒掌握してしまうような、
そんな人の範囲から離れた空恐ろしい何かを孕んでいると男は直感した。
彼は知っている。これが魔法使いの呪文だと言う事を。
これが蛇の魔法使いの呪文だと言う事も。
証拠に、血が滴る彼の腕を持つ手とは反対、何もない何もない空手に、何もない筈なのに小さく何かが湧き出ている。
それは次第に一つの形を作り上げる。
それが終わるまで湧き出ているものは止まらない。
完全に視認出来る鮮明度を持って、男はそれが何だか知る。
「あ───不格好だなァ…慚愧にも詠唱しないと水はL2も成せない………ひひ…ひゃ………ボク土以外と相性悪いしね、でも土塊よか透明のが見栄え良くなぁーい…?」
透徹した槍…、いや剣か。
ひとつだけ確かに解る事は、その武器は水分で出来ている。
その武器の中身は透けていて、先には遠く闇が続く虚空が見えた。
蛇の魔法使いは、作り上げた一振りを胸の位置まで掲げ、無言でその出来映えを見る。
見ると言っても、両目は蛇の布で完全に覆い隠されているので、見る仕草をしていると言う方が正しいのか。
彼女は、それを地面に一度振り下ろして、具合を確かめる。
そして唇を僅かに上げ、満足すると、柔らかい足取りで前へ。
頭を垂れ、座り込む男の太股を、躊躇う動作すら無しに、その武器で、思い切り、振り落として、肉を、貫いて見せた。
「ぐぅううぅぅあ゙あ゙あ゙ッゔゔゔッッッ!??!!」
まさか、これで終わりじゃないだろう。彼女は満足しない。
だからこれからが始まりだ。
男の悲鳴が止む前に、蛇の女は刺した武器を捩って引き抜く。
噴き出る鮮血が小さな顔に飛び散るが、拭う暇すら惜しいと、矢継ぎ早に、もう一方の太股も同様に突き刺して肉を貫く。
「ツツッッ!!!」
そして握り拳で刺し立てた水刃のグリップを叩く。
もっと、もっと、深く深く入るように何度も。何度も。
行為の熱は納まらず、ヒートアップするテンションのまま、
彼女は腕力だけじゃ足りないと、華奢な足を振り上げて、グリップ部分を思い切り踏み付けた。
何度も。
何度も。
何度も。
何度も。
何度も。
何度も。
何度も。
何度も。
何度も。
何度も。
何度も。
何度も。
何度も。
何度も。
何度も。
何度も。
「…ぐ………ぅ………ぅ」
激痛の涙と絶叫の声が枯れる頃合い、その頃に膝に残っている刃は、もはや手で握れる部分しかない。
それより下は、完全に肉を引き裂いて地面にまで到達、貫通している。
真っ赤な真っ赤な血がその身を汚すのに、
鮮血が辺り一面を薔薇模様に染め上げたのに、
絞れるだけの悲鳴を上げ続けたのに、
男はまだ死ねない。
地獄に似た痛みと苦しみの果てに解放はない。
耐えた痛みの分だけ、先の地獄が待っている。
「ねぇ! テレサレッサを斬ったの誰!? クレア様をさぁ、ブッ殺したの誰!? 色んな魔法使いを殺しまくったのは誰!? ボクを殺そうとしたの誰!? ボクにこの眼ェ使わせたの誰!? 一方的に開戦したのどっち!? 全部テメェ等火の国だろうがボケエエェェェ!!!!!!!」
激情に任せ、蛇の女は男を兜ごと蹴り付ける。
さっきまでは非力だった彼女だが、剣と言う楔を打ち付けている途中、中々奥に捩込めない事に苛立ち、魔法で脚力を充分に強化している。
彼女が蹴り付けると、膝を貫通した剣の楔は地面から引っこ抜かれ、後ろの太い木の幹に勢いのまま後頭部がぶつかり、バウンドする。
兜の中では、頭があちこち揺らされて、脳味噌が飛び出してしまう勢い。
男の意識など、とうに朦朧としていて、痛みに呻く声すら、果てて出ない。
真っ白過ぎて、眩しい思考は、吹けば簡単に彼方へ飛んでいってしまいそうだ。
「ねぇ、副長ぉ、もうソイツ壊れ掛けてますよ、そろそろ水精ウンディーネの名の下に慈悲を与えてあげるべきじゃないんで・す・か?」
興奮してそれに気付けない副長を見兼ね、傍で見ているだけだった片方の魔法使いがそう告げる。
彼女の思考の内はこうだ。
元々、副長の拷問はあまり面白みを感じない。
だが例のアレは別だ。
最後に景気よく弾く素敵な花が見たい。
だからこそ、付き合った身としては、こんなつまらない終わり方など勘弁して欲しいのだ。
───途端、目は見えない筈なのに、副長にギョロリと睨まれた気がして、
自身がとんでもない失言をしたのだと思い至り、顔を真っ青に染めて閉口する。
「………ひひひ、そんな貌しなくても、仲間は殺しちゃ駄目だって釘を刺されてるから大丈夫だよ?
でも危ない危ない、今、失念しちゃう所だった、ひひひ! ひゃひゃひゃひゃひゃ!!! さーて」
首だけを部下の方に回した蛇の女は、また戻し、改めて男に目を向ける。
次に繰り出そうとした足は今、引っ込めた。
兜を取る気は更々無いし、だから顔は伺い知れないが、雰囲気は明らかな死に体。
だが幸な事に微かに生きてはいる。
殺したくなったけど、部下が言ってくれて助かった。
あと二回ぐらい蹴っ飛ばしてたらコイツ逝ってたかも分からない。
血止めもそろそろ切れるし
頃合いだね。
蛇の魔法使いは、持っていた男の腕を麁雑に草むらへ投げ捨て、その場に小さく屈み込む。
そして瞳を覆っていた布の繋ぎ目を解き、スルスルと外すと、目前の瀕死な命を、ジィー…っと上目遣いで見上げた。
「ねぇ…おにーさん、ボクが見えるよね…? この戦の終着点には何があると思う?
ボクは何も無いと思うんだ。こんなに血に汚染まった手で他に何が出来るんだろうね?
ずっと戦中の只中で魔法学校だってもう一年近く帰れてない。
………故郷の学校の先生はね『神秘は人を傷付ける為じゃなく人を助ける為にある力』なんて言ってたよ。ヒヒヒ…トロトロに甘い考えに反吐が出る。
ボクら魔法使いはその通り悪魔なんだよ化物なんだよ殺人人形なんだよ。だって今それ以外に使いようが無い。
そしてみーんなボロボロと死んでいく、ボクも何れは死ぬんだろう。けどアイツだけは…ワドゥーだけは殺して逝きたいなぁ───」
それは男の耳に届いているか定かではない。
しかし、その目は蛇の魔法使いをしかと捉えている。
横半月に歪んでいる唇の上、酷く汚れた赤の瞳を、そこから流れる雫を。
だから、穿たれた足から徐々に石化が始まっている。
「ごめんねごめんね苦しかったよね? ごめんなさい。だからせめて痛み無くボクが石にしてあげるから。
もしかしたら近い内『フェイズ』の魔法使いがこの石化を解いてくれるかも知れないよ。
そうなったらいいね。きっとその頃にはボクは死んでて戦争は終わってる。
そんな奇跡に遭遇したらいいね。おにーさんなら起こせるよ、───ね?
ダカラ、オ ヤ ス ミ」
………真っ暗な夜の闇に、漸く本来の静けさが訪れる。
男は結局、何も答えなかった。
答えなかったのか、答える力が無かったのか。
身を守る鎧や兜までも、石化してしまった今では、それを知る術はもう、ない。
蛇の女は、暫し夜風に吹かれながら、石像と化した火国の兵士を見ていた。
やがて、涙を腕で拭うと、布を再び巻いて、立ち上がる。
「ちょうだい」
その一言に、さっき口を挟んで蛇に睨まれた方とは別の魔法使いが何かを唱える。
パリッ、と稲妻が迸り、彼女の手には、およそ女の力では持てそうもない大きな物体が出来上がった。
闇をおいて輝く光源。
両手でやっと持てる柄。その先には、大きな大きな獲物が備わっている。
見れば一目で分かる、巨大なハンマーの姿。
作り出した魔法使いは、両手で掴むその光輝くハンマーを空に投げた。
見た目とは裏腹に、その身は恐ろしく軽いのか、フワリと空中で漂い、蛇の魔法使いが両手を上げそれを受け取る。
そしてそのまま上半身をのけ反らせ、大きく振りかぶった。
目標は勿論───
振り抜いた先に破裂音
粉々に砕け散った様は、正に夜に咲く花
命が果てる無慈悲な花の散り様
「ひひひ、ひゃひゃひゃひゃ!!! 奇跡なんてある訳ないじゃん!! ふ…ひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!!! 此で!此の地で!この場所で!こーぉやって死ぬのが!おにーさんの運命なんだよ!!! そこに奇跡の介入なんて余地は無い!!!!
この世界に奇跡なんて存在しない!! そうだよねェ、ウンディーネェェエエエ!!!!!
ひゃはははははははははははははははあははははははははははははははひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃァ―――ッ!!!!!」
蛇の魔法使いは狂っている。
傍らの魔法使い二人も男の末路に悦な表情を浮かべている。
絶対的な暴力を前に、非力な者は抗えない。
強い者だけが蹂躙する世界。
これが、戦い
これが彼女達に依る―――戦争
蛇の魔法使いの高笑いは、その後も暫く、厳かなる闇夜の静寂を遮り続けるのだった。
……………
……………
……………
お楽しみ会も終わり、熱が冷め掛けた頃、彼女達の耳にダッダッダッと忍びを知らない地を駆ける音が入る。
余韻に水を差すように、集団がこちらへ向かって駆けて来る。
逃げた残党を追うように指示していた部下達が、標的を見失なったと報告に来たのだ。
地の利はこちら側なのに何と言う失態。
しかし全力必死で追ったのだろう、報告に来た三人皆、息も絶え絶えで、玉のような汗がその顔面を濡らしている。
「うっわ…サイアク、超死ねばいいのに」
魔法使いの一人がそう吐き捨てると、彼等全員萎縮し身を強張らせた。
現在の水国、兵の扱いは相当に悪く、全てに於いて魔法使いより遥か下にある。
元より魔法使いを守る為には命すら投げ出さなければならない存在でしかなく、価値もそれに準ずる。
此の水国兵達は、服装も一兵士にあるまじき軽装だ。
魔法使いの気分次第で、理不尽な生き死にだって決まる。
法の番人たる魔法協会がもう機能していないから。
だからこそ彼等はその一挙手一投足に怯えた。
「いいよ気にしないで。ボクが鼻で追い掛けるから。
皆さんは先に幕屋に戻って休んでいて。残りもボク達が片付けるから問題ない。
え…と三人死んだんだよね? その件は帰って隊長に報告して」
この場で一番発言権のある蛇の魔法使いが、彼等の落ち度を咎めず引き上げるよう告げる。
興奮を通り越して、冷静になったのだろうか。その声は酷く平淡で静かなものだった。
雑兵が魔法使いを残して先に帰っていい筈がない。
しかし今、これ以上の会話を望めば、副長の機嫌を損ね兼ねない。
彼等は共に顔を見合わせると頷き合い、三人の魔法使いに礼をし、闇に溶けてゆく。
一迅が吹いた後
再び三人の魔法使いと石の残骸が残された。
「………ふぁぁ………眠くなってきた。ねえレゾ、ソーン、残りは見つけ次第すぐ殺るから」
「"尉官級は生かして捕らえろ" とのテレサレッサ隊長の指令がありますが?」
「知らない。無い腕が疼いて戦えないとか言って仕事サボってる方が悪いよ。責任ならボクが取るからいいの、容喙しないで」
レゾの提言をピシャリと遮り、キチンと布が結ばれているか後ろに手を回して確認しながら、
蛇の魔法使いは、今の開けた場所より先の林に立つ。
彼女は集中出来る環境さえ整えば、半径2粁までなら嗅覚や聴覚を駆使して正確に獲物を探し出せる。
それは目に頼らない分、他の五感が特化してしまった蛇の魔法使いならではの芸当。
「………、ん………?」
「如何致しましたか?」
何か違和を感じたらしい呟きが混じる。雷の魔法が得意な魔法使いであるレゾが聞くが、蛇の魔法使いは答えを返さない。
スン…スン…と鼻を吸う音だけが更に二、三回繰り返される。
「………残りの火国の奴らのニオイが三つ、そのすぐ近くに新しいニオイが二つ」
「へぇ、新手ですかー?」
今度は水の魔法が特手のソーンが聞くが、これも返事は無し。
「………スン………このニオイ………、スンスン………ん、………んん……?………」
首を傾げ、蛇の魔法使いは珍しく、口調が歯切れ悪い。何度も鼻で嗅ぐ事さえも同様。
本来ならば、一度嗅いでもう一度確認の為に繰り返せば終い。
いや、そもそも先程の言動では彼女は既に目標を捉えている筈だが、
それでも何かを決め兼ねて、何度も嗅いでは、また首を捻る。
よくは分からないが、魔法で嗅覚を強化しても副長の様にいかないので、傍の二人は黙って彼女の背中を見ているしかない。
戦闘では味方すら恐怖する蛇の魔法使いは、こうして見れば随分と背が小さいのが見てとれる。
昔は臆病で気が弱くイジメられっ子だったと聞くが、今の彼女を上官に持つソーンからすればとても信じられない。
こんな強烈な死を運ぶ物体がどうしたらそんな可愛い生物になるのか、知りたいものだ。
(ねぇ、今何時?)
まだ副長の索敵は終わらない。
退屈に耐え兼ねて、ソーンがレゾに近付き、小声でそう耳打ちする。
レゾは一瞬だけ不快な顔を示したが、懐から質素な小物を取り出した。
二針があるが、それに動きはない。
レゾが軽く二針を撫でると、小物に小さな光が迸る。
(今は、───)
動き始めた針を見て、小さく時を告げるレゾ。
しかし彼女がそれを告げる前に、目前で索敵行動をしていた副長の姿が一瞬で消える。
ワンテンポ遅れ、草が激しく擦れる音。
砲弾のような速度を以って、森林の奥地に入っていったのだとレゾは把握した。
「副長…!?」
遅れてソーンも気付き、二人して急いで、行き先も告げない副長を追い掛ける。
一度見失えば、彼女等に明確な行き場所が分からない。
幸い、上官の後姿が朧げながら先の先に見えたので、切れかけた脚力強化の魔法を再び掛け直しながら、その姿が消えないよう、全力で駆けた。
「ん…ぁ…! 何なのよ一体もうッ!」
ソーンの苛立ちを含んだ声は、果てない林の闇へと吸い込まれるように消えてゆく。
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