第2話 僕の始まり

 僕は、なんでもない普通の家に生まれた。大金持ちでもなければ、貧乏でもない。罪もなければ、功績もない、ごく普通の一般人だ。

 僕自身も平凡そのものだった。特に勉強ができたわけでもなし、運動神経がよかったわけでもなし。人気者でもなければ、いじめられるような人間でもなかった。

 ただ1つ、取り柄があったとすれば、僕は妄想が好きだったんだ。キミたちも経験あると思うけど、いろんな妄想をして、僕は一人楽しんでいた。「今授業をしている教室にテロリストが乗り込んできて…」とか、「通学中の交差点で可愛い女の子とぶつかって…」とか。まぁ陳腐なもんさ。

 だけど、そんな妄想から考えたこともある。例えば、「不老不死になった人間はどうなるのか」?松本零士が「銀河鉄道999」で描いたように堕落するのか?他の漫画の定番のように、死を望むようになるのか?僕は足りない脳みそで考えに考えた。そして、自分なりの答えを見つけた。

 まず、堕落はそれほどしないだろう、ということ。人間は社会というシステムの中で動いている。その中では、労働しなければ、堕落できるだけの資本が得られない。不老不死になったとして、娯楽を楽しむためには、それなりの資本は絶対不可欠だ。堕落し続けていれば、どんどん資本は減っていく。資本を補充したければ、働くほかない。すなわち、不老不死によって人間が堕落することはない。

 では、死を望むようになるというのはどうだろう?正直、これはあり得ると思う。先ほど述べたように、堕落したければ、働かなければならない。永遠に生き続けるということは、永遠の労働を課せられるということ。それを苦に思って、死を求める人が出てきても、おかしくはないだろう。もっとも、一定の労働の後には、ある程度の娯楽も待ってはいるのだけど。

 ほかにも考えたことはいくつもある。その中でも、最大の考えが、「たった1つだけ、願いが叶うなら、何を望むべきか」ということ。無限に湧き続ける金か、永遠の命か。いや、もっと別の方向からアプローチをしてみるか。普通なら、考えても仕方のないこと。叶うはずなんてないんだから。「千夜一夜物語」のような、都合の良いアイテムなんて、まず現れるはずはない。

 それでも僕は考えた。「たった1つの願い」、その最適解を。おとぎ話であるような、短絡的で失敗するような願いではなく、自分のすべての欲求を満たせる、たった1つの願いを。

 そして、「その時」は、やってきたんだ。本当に、僕の願いを叶える、奇跡のアイテムが現れる、その時が。


 それは、とあるフリーマーケットに出かけた時だった。特に何がほしかったわけでもない。たまたま、家でテレビゲームにも飽きて、気まぐれに散歩していたら、フリーマーケットに遭遇したんだ。

 特に買うものもないので、あちらこちらのブースを冷やかして回った。そんな時だった。誰かの視線のようなものを感じて、マーケット会場の隅の、薄暗い路地裏を振り向いてみたんだ。

 そこには、古物商と思しき老婆がいた。古物商かと思ったのは、老婆の前に設置された簡易机の上に、怪しげな壺が一つ、置かれていたからだった。視線を送っているのは、どうやらその老婆のようだった。目が合うと、老婆はニヤッと、優しげな、でも怪しげな、妙な笑顔で僕を見つめてきた。薄気味悪かったけど、なぜか逃げ出す気になれず、不思議なことに、僕は老婆の方へ歩いていた。

「ようこそ、お客様。」

見た目通りのしわがれた声で、老婆は語りかけてきた。

「…。」

僕は何も答えられなかった。ただ、その机の上の壺が、気になって仕方なかった。

 不思議な壺だった。まるで古代エジプトの絵画のように、豹、狼、獅子の頭をした人間が描かれており、縁には蛇のとぐろを巻く模様があしらわれていた。その中には、水のような、油のような、黒々とした「何か」が蓄えられているように見えた。それは、触れてもいないのに、時折波打つように、テラテラとした光を放っていた。

「この壺に、魅入られましてございますか。」

老婆は言葉をつづけた。

「なれば、『資格』があるということでございましょう。」

「資格…?」

僕は言葉を絞り出した。

「さよう。資格でございます。この壺に、願いを吹き込む資格が…。」

「願いを…、吹き込む…?」

老婆の言葉に、何かしっくりくるものがあった。

「お教えしましょう。この壺は、『強欲なるものの壺』。人の願いを吸い取り、資格があるものの願いの身を叶える、魔性の壺でございます。」

「願いを…、叶える…。」

老婆の言葉の一部を、僕は反芻することしかできなかった。それくらいおどろおどろしいものが、この壺と、老婆から発せられているように思えた。だけど、確かに妙な魅力もあり、僕の心は、何かおかしなものに握られていた。

「ただし、ご注意なされよ。この壺は強欲なもの。資格があろうとも、凡庸な願いは叶わず、この壺に吸い込まれます。そうしたら最後。この壺に願ったものを、その人は一生、同じ願いを持てなくなります。この壺が認めた、真に強い、強欲な願いのみを、叶えられるのでございます。」

「同じ願いを、一生…?」

「左様。」

そう言って、老婆は黙り込む。その目つきは、僕というものを値踏みしているようだった。そして、

「同じ願いを持てなくなる。それがどれだけ恐ろしいことか、お教えしておきましょう。例えば、『富がほしい』と願った場合。この壺はその願いを吸い取ってしまいます。するとどうでしょう。『富への欲求』が無くなった者は、お金への執着が無くなります。一見、人として良いことのように思えますが、過ぎたれば毒。やがて失うことを顧みず、気づけば無一文のホームレスへとも転落してしまうのです。

 ほかにも、『愛がほしい』と願えば、恋というものをしなくなり、性欲すら失います。『永遠の命』を願えば、命への執着が無くなり、行き着く先は殺人鬼か自殺志願者か。まっこと、この壺は恐ろしいものにございます。努々、お忘れなきよう。

 さて、あなた様は、何をこの壺に願いますかな?先ほどは脅かしてしまいましたが、この壺が叶えるにふさわしいと認める願いならば、それは必ず叶います。」

老婆の説明を聞いて、ますます恐ろしくなった。迂闊な願いを言ったら、僕の人生は破壊される。この老婆の話が本当なら。…本当なら…?そこからわいた疑問を、僕は老婆に聞いてみた。

「今までで、願いが叶った人って、いるの?」

恐る恐るの問いかけに、老婆は顔を愉快気に歪ませると、

「もちろんございます。あなたの身近で言うならば、『宗教』の開祖の多くが、この壺に願いを吹き込んでおられます。モーセも、イエスも、ブッダも、ムハンマドも。考えてごらんなさい。宗教には、違いはあれど、戒律というものがございます。信仰する人の生活を律する、厳しいものでございます。そのようなもの、自堕落な人ならば、3日と持たずに破ってしまうでしょう。今に生きる宗教の戒律こそ、彼ら開祖が望んだことにございます。この戒律が、のちの世に残らんと欲したのでございます。」

「な…なるほど…。」

僕ら日本人にはなじみが薄いが、宗教の戒律というものは非常に厳しい。僕なら確かに、3日と持たずに戒律を破る自信があった。後ろ向きな自信でごめんね。

 老婆の説明を聞いて、僕はなんとなく納得した。このまがまがしい壺。この壺には、やはり人知を超えた力がある。僕を引き付けた、とてつもない力。

 ところで、気になったこと、ないかい?わかったなら、まあまあ良い勘してるよ。僕はそれもオブラートに包んで言ってみた。

「『強欲なるものの壺』って言ったよね。願いを叶える壺なら、もっといい名前もあったんじゃない?『大願成就の壺』とかさ。『強欲』っていうのは、ちょっとイメージ悪いよ。」

すると老婆は、またニヤリと笑い、

「欲望と願いは同一でございます。どちらも、人が持つになくてはならぬもの。欲しい、手に入れたい、叶えたい。そういうものを、願いと欲望には、簡単には分けられぬものでございます。例えば、『世界を平和にしたい』という願い。一見立派な願いでございます。しかし、その『平和』とはなんでしょう。すべての人から、武器を取り上げたいのか。闘争自体をあってはならぬものとするのか。すべては願った人の基準でございます。誰かの統一意思のもとに、世界を平和へとしたいのであれば、それは世界征服の欲望とも重なりましょう。」

「…。フム…。」

気づいたかな?前に言ったセリフ、この老婆の受け売りなんだよ。妙に納得できて、僕はこのセリフは好きだったんだ。

 さて、老婆への質問タイムは終わりだ。老婆はますます僕を見る。しわしわの目の奥底に、期待の色をにじませて。「願え」とその目が言っていた。正直、とても怖かったよ。自分の願いが叶うチャンス。しかし、その願いが壺のお眼鏡にかなわなければ、僕の身に何が起こるかわからない。超ハイリスクだ。

 老婆が僕を騙したり、茶化したりしている、そんなことは考えなかった。それくらい、説得力のある「何か」が、この路地裏の、薄暗い空間に満ち満ちていた。

 僕は深呼吸して、心を落ち着ける。裏を返せば、今まで僕が考えてきた、願いを叶える大チャンスなんだ。それに、僕の「願い」は、そんじょそこらの魔法のアイテムには叶えられない、そんな自負もあった。これに賭けよう。それでダメなら、僕の「願い」はその程度。命ごと捨ててしまっても、損はあるまい。

 ベルトを引き締め、再び深呼吸。1回こっきりのチャンス。逃すわけにはいかない。ゆっくりと「壺」に歩み寄り、その縁を両手につかむ。黒々とした「何か」が波打つその口の中へと自分の口を近づけ、僕は「願い」を吐き出した。

 そして、異変が始まった。壺がかカタカタと揺れだし、ピシピシとひびが入り始める。中の黒々とした「何か」も、みるみるかさを増して、壺からあふれ出さんばかりに満ちてゆく。そして、壺が容量の限界を超えたかのように、バリンと割れてしまった。黒いものがどっとあふれ出した。その量たるや、壺の中に納まっていたのが信じられないくらいの量で、僕は全身をそれに包み込まれてしまった。

 その真っ暗な中で、僕は見た。暗いはずなのにはっきりと、3人の人。豹、狼、獅子の頭をしている。

(大言壮語を願う小童。この願い、叶えていかんとする?)

豹の人が問いかけてくる。僕を値踏みしているようだった。ならば。

「僕は強欲だ。すべての願いを叶えるために、最適解として、この願いにたどり着いたんだ。」

狼が笑う。

(よくも言いよる。欲だらけの小童。確かにその願い、我らしか叶えられる者はおるまい)

「じゃあ、叶えてくれるのかな?」

僕が強気を崩さないでいると、

(小童。その願いの先に、見据えるものはあるか)

獅子が尋ねてきた。ここで退くわけにはいかないだろう。おそらく、少しでも気おくれすれば、僕は何も手に入れられない。そう直感があった。だから、

「もちろんあるよ。この願いがなければ、絶対に叶わない、見果てぬ夢が。」

僕は前に出て、こう訴えた。その自負も、確かにあったよ。僕には見果てぬ夢が、確かにある。狼がまた笑う。

(さすが強欲、大言壮語の小童よ。豹よ獅子よ、わしはいたく気に入ったぞ。汝らはいかに?)

狼の問いかけに、

(狼、お前は甘い。だが、確かにこの小童、見どころはある)

(見果てぬ夢を見る小童。ここまで壮語を吐くものも珍しい)

豹も獅子も、狼に同意したようだった。そして、

(小童。汝が願い、叶えてやろう)

(受け取るがよい。神にすら達せる力を)

(使いこなせるか、確かめさせてもらうぞ、小童)

 その3名の声を合図に、周りを包んでいた黒いものが、僕の中にしみ込み始めた。それは、「願い」だった。多くの俗っぽい「願い」が、僕の中にしみ込んでくる。同時に、力が満ち満ちてくるのを感じた。願いは力、エネルギーなんだ。人はいつでも、願いを消費して、願いを叶える。僕はその時、無数の願いを取り込み、エネルギーとして蓄えていったんだ。願いが尽きぬ限り、願いというエネルギーは供給され続ける。僕はその時、まさに文字通りの、無限大のエネルギーを手に入れた。

 やがて黒い奔流が、僕の中に納まりきると、目の前には驚愕の表情を浮かべた老婆と、粉々になった壺の破片が見えてきた。

「お…おぉぉ…。」

老婆は驚きのあまり、声が出ないようだった。

「んー…。えーと…。」

僕は老婆の商売道具を壊してしまったわけで。どんな声をかけるか迷っていると、

「素晴らしい…!あなた様は、願いを叶えられた!」

老婆の表情が、歓喜に変わる。壺が壊れたことを気にしていない様子だった。むしろ、それを喜んでいたような、すべてから解き放たれたような喜びを感じた。

「私の役目、この壺を壊れるまで見守り続けよという使命も、ここで終わりでございます。ありがとうございます。あなた様には、感謝しかありません。」

「…どういうこと?」

僕が問いかけると、

「お喜びなされよ。あなたは今、数多の黒き願い、光れる欲望をその身に宿し、大いなる力を手に入れたのでございます。そして、使命を終えたこの『強欲なるものの壺』も、その命まっとうしたのでございます。

 これは我が一族終焉の証でもあります。我が一族は、代々、この壺を守り、願いと欲望を吸い取らせながら、壺が割れるその時を待ち続けたのでございます。

 その『強欲なるものの壺』も、これが最後の1個。この最後の1個が割れた、この瞬間、我が一族の役目も終わりを迎えたのです。」

「…フーム…。」

老婆は晴れ晴れとした顔で、壺が割れたことを喜んでいた。僕は老婆の説明を、ただ黙って聞いていた。そして、老婆が話し終えた後で、質問してみた。

「今、最後の1個って言ったよね。と、言うことは…?」

僕が尋ね終わる前に、老婆が答えだす。

「そう。最後の1個でございます。もう2度と、この壺が作られることはございません。というのも、作るための素材が特殊で二度と手に入らないのと、作り手の技術も失われて久しいからでございます。もっとも、あなた様の『お力』なら、それもできましょうが。」

「なるほど。僕がそれを願わないから、壺はもう2度と作られないわけだ。」

「左様にございます。」

老婆がうやうやしく答える。僕に敬意を表しているようだった。

「うん、ありがとう、お婆さん。確かに感じるよ。僕の中に、無限大の力を。」

僕は自分の内の、とてつもない力を味わいながら、老婆に礼を言った。そして、ポケットから財布を取り出すと、なけなしのお札を全部、老婆に渡した。

「お礼、と言うか、代金というか。とりあえず受け取ってよ。どうせ僕にはもう必要ない。」

老婆は「そうですな」と短く言うと、やはりうやうやしくお金を受け取ってくれた。そして、

「その力で何をなさるのか。私も楽しみでございます。」

と言いながら、しわだらけの顔を、さらに愉快そうに歪ませた。

 回れ右をして、薄暗い路地裏からフリーマーケットの本通りへ出る。いつもより太陽を眩しく感じた。今なら、そのさんさんたる光さえ力にできる。

「さて…。もう後には引けないな。」

僕はつぶやいた。そう。もう後戻りはできない。やるしかない。僕の考えていた、世界に対峙する「ゲーム」…。

「キャンサー・ゲーム」の始まりだ。

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