(15) 魔王はうんざりしていた

 ラカンの夢遊病説と女神操作説があっさりと否定され、新たな推理を思いついたという第二の挑戦者、テルモアは優雅にスープを啜った。女神像を強く擦ったせいか、金色の塗装が彼女の小さな指先に移って光っている。


「ふむ、やはりこういう謎は意見をぶつけ合ってこそだな」

「よっ、大聖女」

「テルモアなら、納得のいく推理が聞けそうね」


 三者三様にテルモアを持ち上げる。テルモアはまんざらでもなさそうな顔でカップを置くと「では、お話ししましょう」と顔を上げた。


 パーティの中で最も知的なのは彼女だ。それはパーティの共通認識であった。後衛の補助役として戦闘中でも状況を見渡し、常に的確かつ迅速な判断を下してきた実績がある。マガリナ聖教会で育ってきた経験も手伝って、事務・交渉役も彼女の担当だった。だからこそ、三人の期待は高い。


「ズバリ、今回の魔王殺害は、フェイクなのです」


 信じられない言葉だった。ポカンとしている三人を尻目に、テルモアは堂々と推理を続ける。


「先程のラカンの推理は、『どうやって』に焦点を当てたものでした。残念ながら、死体の消失など説明できない箇所が多いのです」

「それを言われると弱いな」


 ラカンが頭を掻く。確かに夢遊病であれ女神の操作であれ、魔王の死体が消えた理由については完全に無視されていた。


「私は『なぜ』から考えてみたのです。そうすると、どう考えても結論は一つに収束するのですよ。あの死体はフェイクだと」

「でも、私たちは実際に魔王の死体を見たじゃないの」

「私たちはあれを『魔王の死体』と認識しただけなのです。確かに、あの死体は行く先々で幻影として現れた魔王の姿にそっくりでしたが、巧妙に似せた死体だった可能性は残るのです。なにせ、私たちは魔王が生きて動いているのを見たわけではないのですから」


 可能性は残る。テルモアの言葉に三人は黙るしかなかった。しかし、そこを疑いだせばキリがないではないか。ヒロシィは釈然としなかった。最後の間の玉座に貫かれていた魔王と思しき死体は、死してなお圧倒的な存在感を放っていた。あれが偽物とはどうしても思えない。そんなヒロシィの不満を見透かしたように、テルモアは不敵な笑みを浮かべた。


「考えてみるのですよ。魔王が密室で殺され、死体が消えた。それで誰が得をするのですか」

「えっと、魔物に苦しめられている世界中の人々、かな」

「それなら死体を消す必要はないのですよ。民衆の不安は残ったまま。それに、超人Aが姿を隠す必要はもっとないのです。私が倒しましたと名乗れば良いのに、なぜそうしないのでしょう。超人Aが己の意思で死体を隠したならば、その一見不可解な行動の理由こそが、鍵となるはず」

「確かにね。魔王を殺害したのと死体を消したのが超人Aの仕業だとして、どうして死体を隠したりしたのかしら」

「野に潜んでいた英雄がいて、目立つのを嫌う彼らが密かに事を解決してくれたとしても、説明しかねるな。混乱を加速させる行動を取る理由はない」


 死体の消失という不自然さは、テルモアの説明を聞く程に注目に値するような気がしてくる。ウェルウェラとラカンの感心に気をよくしたのか、テルモアは指で鼻を擦った。塗料が鼻の下に付いてしまったが、今はそれどころではない。


「魔王を殺害する動機は誰しもあるのです。けれど、死体を隠す動機はない。逆に考えれば、死体を隠す動機がある者は、魔王を殺害する動機のない者なのです。つまり、容疑をかけるべきは魔物側。そして、偽の死体を玉座に座らせられるのは魔王ただ一人。よって、魔王の自作自演を疑うべきなのですよ」


 魔王自作自演説。なるほど、とヒロシィは内心うなった。死体を隠したこと、その一点から容疑者を大胆に絞り込むとは、ヒロシィにはない発想だった。流石、天才と呼び声高い大聖女は伊達ではない。


「魔王がこの地に降り立って十年余り。恐らく、魔王はうんざりしていたのですよ。世界中から強者が送り込まれてくる日々。おちおち散歩もできないし、安心して寝られない。配下の魔物に愛情を注いでも、ちょっと持ち場を任せたら殺されてしまう。もう嫌だ、心安らかに暮らしたい。そんな風にノイローゼになっても不思議はないのです」

「言われてみると、魔王はずっと城に引き籠っていたのだな。勇者が魔王に挑んで、留守だったという話は聞いたことがない」

「筋金入りのインドア派よね。エルフの長だって散歩ぐらいするわよ」


 言いたい放題であるが、それを咎める魔物はいない。敵地のど真ん中である魔王城で一泊し、庭園で火を焚いて、勝手に食事を始めても平穏無事に済んでいる。こうまで静けさが続くと不気味ですらあった。


「魔王は平和に暮らしたかった。だから魔王は一計を案じ、配下の魔物にすら内密に、自分とそっくりの外見の魔物を造りだしたのです」

「なるほど、魔物の創造主たる魔王にしか実行できないトリックだな」

「恐らく最後の間に辿り着く勇者パーティを待っていたのですよ。そして昨日、我々が現れた。魔王は偽の死体を私たちに見せて、自分が何者かに殺されたと認識させ、その後で偽の死体を始末する。魔力量や筋肉量など、保存されて本格的な検死をされたらバレる可能性があったのかもしれません」

「死体を消した理由や、他の魔物に見つからなかった理由も、それなら説明がつくわね。でもテルモア、貴方一番大切なことを忘れているわよ」

「なんなのですか?」


 テルモアがきょとんとした顔でウェルウェラを見る。


「死体を発見した直後に『イ・ルーカ』をかけたのは貴方でしょう。あの空間には敵がいなかったはずよ。それから私たちがこの庭園に移動する時には、私が改めて最後の間を『ア・カーン』で封印している。にも拘らず死体は消えたわけだけど、魔王は封印魔法の密室をどうやってかい潜ったわけ?」

「それは……ええと」


 一転、テルモアが劣勢に立たされる。そうだ、あの場に魔王が隠れていたら、即刻発見されてしまう。外で様子を伺っていれば、今度は封印魔法で締め出される。この矛盾を解消しなければ、謎を解いたとは言えない。しかし、流石は大聖女。ヒロシィが心の内で諦めかけたその時、思いもよらぬアイデアを閃いた。


「あっそうなのです! 隠し扉! 隠し扉なのですよ! 最後の間はどこかで入り組んだ細長い通路と空間的に繋がっていて『ア・カーン』の領域範囲内だったに違いないのです。そして、その隠れていた空間は何層もの分厚い壁が邪魔をして『イ・ルーカ』の光が届かなかった。これなら説明がつくのです!」

「うーん、そりゃあ押し入れとか、多少の凸凹ぐらいなら『一部屋』って認識で丸ごと封印してるけど、かなり無理があると思うわよ。私たちに発見できないぐらい細い穴だと内外の境界扱いになっちゃうし、大きな穴なら見つかるし」

「きっとスライド式の隠し扉で、ギリギリ一部屋の連続を維持できて、見つけにくい位置にあったのですよ。そうと分かれば現場検証なのです」


 テルモアが立ち上がる。元気だな、とヒロシィは素直に感心した。と言いつつ、ヒロシィもまだ体力は有り余っていた。本来なら魔王と死闘を繰り広げる予定だったのが、一日休んでタワシで女神像を擦ることにしか使われていないのだから、当然といえば当然だ。


「女神像の洗浄はどうするんだ。上半身が残ったままだぞ」

「あっ、そうなのです。うっかりしてました、それが最優先なのですよ」


 ラカンの指摘で走りだそうとしていたテルモアが止まった。戦闘時は猪突猛進のラカンをテルモアが補助しているが、平時は逆にテルモアが思考に入れ込み過ぎてラカンに窘められることが多い。


「二手に分かれようか。魔物もいないみたいだし、いざとなったら逃げて合流すればいい。俺とラカンで、最後の間を調べてくるよ」

「そうね。私は『ウォ・シュー』の役目があるし、テルモアもそれでいい?」

「問題ないのです。挙手してまでマガリナ様の像を綺麗にすると言った手前、ほっぽり出してはいけないのですよ」


 分担が決まると、ヒロシィはスープを一気の飲み干した。ウェルウェラから封印魔法の鍵を受け取り、来た道を戻る。もし本当に最後の間で隠し扉が見つかれば、魔王の自作自演説は現実味を帯びてくるだろう。今後、魔物が増えずに魔王が平穏に天寿を全うするのであれば、事実上世界は救われたことになる。


 不完全燃焼ではあるが、そうなれば一応の解決だ。しかし、ヒロシィは隠し扉の発見を望み薄だと感じていた。女神マガリナは、この謎は世界で唯一、ヒロシィにしか解けない謎だと明言している。いくらテルモアが優秀な頭脳を持っていても、彼女の答えが正解ならば女神の前提が崩れてしまう。


 なにより、勇者に怯える生活が嫌になった引き籠りの魔王なんて、一体どこの世界にいるというのだ。そんな平和主義者なら、もっと早い段階で和平なり条約なりが結ばれている。


 とはいえ、テルモアの隠し扉説を否定したからといって、ヒロシィにアイデアがあるわけではなかった。これまでの旅の記憶に、まだ思い出したりない情報があるのだろうか。ヒロシィが思うに、女神の出したヒントは細かな事柄ではない。なにせ、女神マガリナは、ヒロシィの状況説明だけで答えに辿り着いている。


 この事件に限れば、自ら全知全能ではないと明言した女神マガリナが持つ知識と、ヒロシィの知識に大した違いはないだろう。基本的な世界の知識さえあれば、謎は解けるはずなのだ。


 誰が、なぜ、どうやって魔王を殺したのか。

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