(16) 透明な膜のような疎外感
ヒロシィはラカンと共に再び魔王城最奥部、地下3階の最後の間に向かった。途中、四天王・黒竜のドラマティカが待ち構えていた踊り場を通った。壁の傷跡や焦げた絨毯が、生々しい戦闘の痕跡を示している。
魔王城のそこかしこに飛び散った鮮血は、一日経って茶に変色していた。斬り伏せた魔物の肉片は大半が空気中の魔素へ浄化されてしまったが、骨や牙はまだ形を維持している。通路に転がっていた肋骨らしき骨をヒロシィが踏むと、小さく爆ぜる音がした。足の裏にあった感触が徐々に失われていく。
「倒した魔物の肉が魔素になって空気中に浄化されていくなら、魔王の死体は殺されて間もなかったってことかな」
ヒロシィは何気なく呟いた。死亡推定時刻を調べる術もないが、魔物がそうなら魔王とて例外ではないはずだ。同意されるだろうと思っていたが、後ろを歩いていたラカンは訝し気に返してきた。
「強大な魔物ほど、空気中の魔素に浄化されるのは時間がかかる。あれが魔王だとするなら、魔素に還る時間は想像もできんな」
「魔神官が封印した時に生きていたなら、死後2、3時間かな」
「いや、火炎魔法をかける手があるぞ。砂漠でリザードマンの肉を持ち運ぶ時、浄化を防ぐために一度焼いたろう」
「肉が変質して浄化しなくなるんだっけ。でも、あの死体に火傷はなかったよ」
「魔法痕はなかったな。では、表面を傷つけないように氷結魔法をかけるのはどうだ。浄化を遅らせるだけなら可能だろう」
「それなら発見した時には氷漬けでないとおかしいよ」
「溶けたんじゃないのか。あの魔王の死体は冷たかったぞ」
「死後硬直ってやつだろうね。俺たちがいつ最後の間に着けるかも分からないのに、ちょうど解凍されて常温に戻るように、程よく氷結魔法をかけておくなんて現実的じゃない」
「いやいや、そこで先程の、俺の夢遊病説と女神操作説が復活するわけだ」
まだこだわってたのか。ラカンが得意げに自説を引っ張り上げるのを、ヒロシィは笑いそうになって堪えた。食事の賑やかしと言っていたくせに。テルモアもそうだが、自分の推理というものは、喋っているうちに愛着が湧くらしい。
「これから俺たちが隠し扉を探して、何も見つからなければテルモアの説は否定されるだろう。そうなるとやはり、俺の説が再浮上してくるんじゃないか。死体の消失や細々とした矛盾も、どうにか辻褄を合わせて……」
「ラカンの夢遊病説や女神操作説だって検証はできるよ」
「ど、どうやって」
ヒロシィの言葉にラカンが驚きの表情をみせる。
「城塞都市クマモンで俺たちが夢遊病になったとしても、宿屋の主人が気付かないわけないだろ。夜衛や城門の兵士、夜に仕事を終えて呑み回っていた人たちだっている。夜に俺たちがフラフラ歩いて魔王城に飛んで行ったら、確実に目立つよ。誰かが見ていたはずだ。クマモンに戻って詳しく聞き込みをすればいい」
「いや、しかし……そうだ、夜ではなく、逆に人の出入りの多い昼間ならどうだ。俺たちが単独行動していた時だって半日はあるし……いや、無理か。それぞれが訪れていた教会や魔法店に聞き込みすれば、不在だったかどうか分かってしまうな」
ラカンが途中でしおらしくなって、自説の困難さを認めた。やはりヒロシィたちが無意識のうちに四人で魔王城に飛んで、不思議な力で魔王を倒し、気付かぬうちに戻ってきたというのは、どう考えても無理がある。
「この説は取り下げよう。クマモンで聞き込みされても困る」
「単独行動の時? 武器屋に行ってたんじゃなかったの?」
「あの二人の手前そう言ったが、本当は別のところにいた」
「あー、そういうことか」
城塞都市クマモンは魔王城に最も近い砦であり、男の兵士が多い。必然、そういう店も裏街に多数存在している。当初、男二人旅をしていた頃は、ヒロシィも何度か誘われた覚えがあった。そういった行為は好きな人とすべきである、という固い決意に従ってヒロシィは頑として断り続けたが、もう少し強引に誘ってくれてもいいのに、とも思っていた。
「うむ。これが最後になるかもしれんと思ったら、金を持っているのがバカバカしく思えてな。裏のサービスを案内してもらったんだが、凄かったぞ」
「ど、どんな風にさ」
「それはもう、十傑の三・デビルオクトパスもかくやと言わんばかりのくんずほぐれつ……って、何を言わせるんだ。あの二人には内緒だぞ、白い目で見られる」
「了解。というか言えないよ。こっちにも被害が来るだろ」
「もし言ったらヒロシィも一緒だったと偽証するからな」
なんて恐ろしい脅し文句だ。城塞都市クマモンでの単独行動時、ヒロシィは最後の怠惰を満喫すべく宿屋で寝ていたが、それを信じてもらえるかどうかは怪しい。特にウェルウェラは、釈明する前に魔法が飛んでくる可能性が高い。
などと男同士の会話をしていたら最後の間に着いた。勇者の骨で造られた意匠も、荘厳な留金も変わりはない。ウェルウェラから受け取った鍵で封印を解き、扉を開けて中に入った。
赤黒い絨毯の続く先に、空の玉座がある。座るべき主人の不在という一点を除けば、何もかも昨日と変化はなかった。
「しかし、隠し扉と言われてもな」
「天井や壁が高いから難しいよね。一応、飛行アイテムはあるけど」
「手分けして軽い衝撃波でも当てるか。空気の反響で音が変わるはずだ」
「崩れない?」
「大丈夫だろう。魔王の城だぞ」
ラカンが魔法の袋から『風の羽』を取り出し、一枚をヒロシィに手渡した。ヒョーーゴゥ渓谷の集落を魔物から救った際、鳥人族の長老から貰ったアイテムで、一時的に羽を生やして飛行することが出来る。
しばらくの間、手分けして天井と壁に衝撃波を当てる作業に没頭した。振るった剣先から生じた衝撃波が壁に当たり、圧縮された空気が潰れて弾ける音が響く。黒石造の壁は丈夫だった。地下だから壁の向こう側に隙間がないようだ。間隔をあけて、同じ作業を繰り返す。振動も破裂音も単調だった。反対側で同じ作業をしているラカンの方からも、同じ音しか聞こえてこない。
ダブルチェックのために位置を交代し、一通り試した。二人は無言で部屋の真ん中に集まり「ないな」とラカンが言って「ないね」とヒロシィも首肯した。
「あとは床かな。玉座の裏とか」
「昨日見た限りでは何もなかったが」
玉座に昇り、あちこち探ってみる。押したり蹴ったりしてみたが何もない。地下の空洞を期待して、わざと床を強く踏みつけてもみたが、足が痛いだけだった。やがて、魔王が待ち構える場所だから、これより奥はないだろう、と二人は結論付けた。
テルモアの魔王による自作自演説は、多くを説明できるものの、密室の謎が立ちはだかる。その結果に、不謹慎とは思いながらもヒロシィは安堵していた。世界を滅ぼそうとする魔王がうんざりして逃げ隠れるなんて、格好悪すぎる。強大で恐ろしい存在でなければ、命を賭した甲斐がなくなってしまうと、恐れていたのかもしれない。
「まぁ、何も見つからなかった、という認識は得られた」
ラカンの締めの言葉と共に、二人は最後の間を後にした。ウェルウェラがいないので封印魔法はもうかけられないが、もはやこの場所には何もない。来た道を戻っても後ろ髪を引かれるものはなかった。
「ヒロシィ。もしこのまま謎が解けなかったら、どうする?」
石造の階段の途中でラカンが尋ねた。先を歩いているので表情は見えない。ヒロシィも似たようなことを考えていたが、咄嗟に答えは出てこない。
「昨日までは、魔王を倒したら、女神マガリナとの約束通り元の世界へ転生させてもらうつもりだったんだ」
「お前がいつも言っているチキュウという世界か」
「うん。やっぱり、そこが故郷だから」
「そうか」
地下一階へ出て、長い通路を歩く。魔王城自体がダンジョンのような造りになっているのだが、居住性は最悪だったろうな、とヒロシィは想像した。入り組んでいて、あちこちに罠がある。
「でも」ヒロシィはラカンの背中を見つめた。「いざ魔王が死んでいるのを目の当たりにしたら、本当にそれでいいのか分からなくなっちゃったよ。昨日も不安になって女神マガリナに色々質問しようとしたけど、止められたし」
「詳しくは知らないが、お前はチキュウで死んで、女神マガリナが魂をこの世界に移したのだろう? それを転生させるということは、つまり、お前がお前でなくなるということではないのか」
すなわち、死。ラカンがあえて婉曲に伝えた意味は、ヒロシィにも理解できた。記憶を消して生まれ変わるなら、魂が同じだろうと別人だ。転生ボーナスで大金持ちの家に生まれ、才能に溢れた幸福な人生を送っても、長谷川ヒロシには無関係だ。長谷川ヒロシは既に故人なのだから。
「一応、この世界に留まって生涯を終えてもいいとは言われているよ。多分、今持っている女神の加護は没収されるだろうけど」
「それでも、魔王の謎さえ解決すれば、世界をほとんど救った勇者には違いないだろう。お前はお前のまま、気ままに生きていけばいい」
「うん。そういうのもアリかな、とは思い始めてる」
自分はこの世界の人間ではない。そういう透明な膜のような疎外感が、ずっとヒロシィを覆っていた。転移した最初の村に居座り、冒険にすら出ようとしなかったのは、それが原因かもしれないと今になってヒロシィは思う。そして、その膜が数々の出会いを経て溶けているのを実感していた。
「ラカンはどうするの?」
「俺か。特に決めてはいないが。そうだな。王宮から金を受け取って、魔物の残党を狩りながら放浪の旅を続ける、といったところか。今と大して変わらんな」
「テルモアはマガリナ聖教会に戻るだろうね。ウェルウェラは、エルフの里と和解できたし、そこで暮らすのかな」
「ウェルウェラは分からんぞ。生まれた場所と育った場所は違う」
「そっか。なら魔導都市オカヤンマかもね。最高位魔法使いなんて引く手数多だろうし」
「そうかもしれんが、ヒロシィ。お前が誘って一緒に暮らそうとは思わんのか」
「え」意外な方向からの問いで、ヒロシィは言葉に詰まった。
「なんでそうなるのさ」
「気付いてないとでも思ったか。年上を舐めるなよ」
「邪推だよ」
「だとしても、だ。この世界に残るなら、そういう道があってもいい」
もしかして、ラカンなりに引き留めているつもりなのか。それとも、本当にただのお節介なのか。ヒロシィには判断がつかなかった。ぼんやりと言われた未来を思い浮かべてみても形を維持できず、すぐに霧散してしまう。
魔神官の祭壇を抜け、外に出る。庭園の方を見ると、ウェルウェラとテルモアが女神像の隣で向かい合っていた。話に夢中で、こちらに気付く様子はない。段々と声が聞こえてくる。かなり大きい声で喋っているようだ。よく見ると、ウェルウェラが左手に青銅色の細長い何かを持っている。それは女神像の腕によく似ていた。
「接着剤じゃ重すぎて剥がれちゃうのよ!」
「ですがどうにかしてくっ付けないと不味いのですよ!」
「テルモア固定しててよ、ぐっと押し付けて!」
「あっ、あれ、なんだか断面同士が接合しないような……」
「破片分だけ欠けてるのかも」
「ウェルウェラがさっき無理やり繋げようとしたからなのですよ!」
「待って待って! 私だけのせいじゃないでしょ、元はと言えば――」
そこで二人と目が合った。
ラカンが咳払いして単刀直入に尋ねる。
「折ったのか」
「折れたのよ!」
即座にウェルウェラが反論した。
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