気仙沼時代30 2015年01月02日(金)

 神戸に旅行しに行ったとき、頭にあったのはこのままどっか遠くの国に高飛(たかと)びしたいってことだった。


 現金は50万円近くあった。それをドルに替えようか、ポンドに替えようかとか考えていたのである。


 イギリスはオリンピックを控えていたから紛(まぎ)れ込むには絶好の地だと思っていた。


 同時に韓国にも行ってみたかったのである。丁度、天皇陛下が入院されてる頃のことだった。


 14と神戸で電話で話したからよく覚えている。14は気前良く「遊んで来な。」と言ったがなぜか、私に「行ってみたい国はどこ?」と尋(たず)ねたのだった。


 しかし、帰りの東京駅でお金を換金(かんきん)することもできなくて、おめおめ気仙沼に帰って来たのだった。



 相変わらず幻聴は聞こえていた。彼女は笠ノ宮の妃(きさき)として結婚してしまうことになっていた。


 彼女は心を鬼にして決めたようだったから、私は抵抗しなかった。そのときまで、私の禁欲生活は続いた。でも彼女は私の家のすぐ近くで見せしめのように殺されてしまうのである。


 救えなかった自分が悔しくて悔しくて泣いたんだ。でも数日経つと彼女の声がまだ聞こえて来て生きてるのだと、天にも昇る気持ちだった。その頃に詩は完成したのだった。


 だから詩の世界では彼女は死んだことになっている。まぁガラケーのメモに綴(つづ)った誰に見られるでもないものであったが、私が書いた大事な文章であった。



 あるとき、私は家に居たくないのと、彼女との関係に拗(す)ねて北に逃避行を始めた。


 幻聴の影響が大きかった。歩いて、全財産(ぜんざいさん)を握りしめて、北へ北へ。


 笠ノ宮やその他大勢に見捨てられながら、私は歩いた。ヨウジさんと子供たちの声しか私を応援してくれなかった。


 父が慌(あわ)てて自転車で私を追って来て。私は父にお金を渡して自転車を奪(うば)ってもっともっと遠くへ駆(か)け出した。彼女は私への想いを一気に吐き出して、それでもずっと拗(す)ねてる私を叱咤(しった)もした。「そんなんならそこで死になさい。」と吐き捨てられ、私はどうしていいのか考えあぐねた。だいぶ遠くまで来てしまっていた。


 それでも彼女の声に導かれて、私は家に戻って来るのだった。彼女は帰り道、私を子供をあやすように、「ほら、おいで。」と赤子(あかご)に接するかのごとく優しく声をかけてくれた。


 でも帰る気になったのは父も母も殺された事を聞いたからだった。でも家につくと殺されてなんてなくてホッとしたのを覚えている。幻聴の中で強引に彼女やその他大勢に引き戻された形になった。



 その夜である。私は彼女の声を頼りに川岸に立っていた。



 「そっちじゃないよ。こっち、こっち。」


 「そっちじゃないよ。こっち、こっち。」


 右へ走っても左へ走っても。


 「そっちじゃないよ。こっち、こっち。」


 「そっちじゃないよ。こっち、こっち。」



 川岸にも幅(はば)がなくなってどこにも行けなくなったとき。


 「そこに止まって、好きって10回言って。」


 私は「好きだ好きだ好きだ好きだ。好きだ好きだ好きだ好きだ。好きだ。大好きだ。」


 指を立てて回数を数えながら、向こう岸に大きな声で届くように言った。


 同じことを何度も繰り返してるうち、私は大声で叫んでいた。


 「私はあなたから全力で愛されていました。私は愛してるつもりでも何もできなかった。私はあなたから全力で愛されていた。私もあなたのことを愛しています。」



 最初で最後の愛の雄叫びだった。



 何度も何度も愛を叫んでも、まだ足りないと彼女に促(うなが)され、何度も何度も愛を叫んだ。


 四六時中、朝になるまで、二人がほんとに出会うまで、叫び続ければ良かった。


 でも私は、近所迷惑(きんじょめいわく)かなとも思って、途中で叫ぶのを辞めて、家に引き戻ったのである。


 彼女もそんな私を咎(とが)めはしなかった。もし、私が聞いてた声が本当に彼女のものだったなら、私の愛は十分彼女に伝わったろう。



 明くる日、私は車で声の聞こえた方へ行ってみた。けれど、彼女を見つけることはできなかった。


 そして、彼女の街へ行こうと決心する。


 しかし、屋根裏にヨウジさんとT7先生と子供たちがいなくなった後も、誰か居るのである。


 それは里美さんの夫で現ヨウジヤマモトの社長だった。私を見守っていたらしい。


 だから、私は、社長が屋根から出られるように、屋根に登って瓦を崩して捨てるのだった。


 危ない思いをしながらも、もう息絶え絶えになっていて、私がなんとかしなきゃ助からない人を助ける一心で屋根に登って瓦を下に投げ飛ばして行った。


 これで内側から開けられるという隙間ができると私は降りて来てこう聞いた。


 「これで大丈夫ですか?」すると。「十分だ。」という声が帰って来た。


 私は意気揚々(いきようよう)と彼女の街まで行こうと自転車を漕(こ)ぎだした。


 五日五晩(いつかいつばん)踏み抜くんだ。彼女の街まで自力で行くつもりだった。


 もちろん彼女の声がナビゲートしてくれた。今度は南へ南へ自転車を漕(こ)いだ。

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