気仙沼時代29 2014年12月04日(木)

 とまぁ、前回のようなことがあったから、私は父が嫌いなのだ。


 今も父の経済力がなきゃ一人で生きて行くこともできないへたれだが、父のことを何度頭の中で八つ裂き(やつざき)にしたかわからない。


 時系列があやふやでこんなことがあってからだったのか、そうでなかったのか、もう覚えてはいないのだが、私は車で福島まで行ったことがあった。



 なんとかしたかったのだ。福島の人をなんとか助けたかったのだ。


 だからとりあえず福島に行った。


 放射能とか怖かったが、車で行けるところまで行ってみた。


 福島県に入ってすぐのガソリンスタンドで福島の人と話すことができた。


 「浜通(はまどおり)は終わったけど、ここは大丈夫。」ってその人は言ってた。


 私は1万円でガソリンを入れてお釣りは自由に使って下さいと言って帰ってきた。



 私には父からぶんどった50万円と母から渡された50万円があった。


 少しでも福島の人に分け合いたかったのだ。



 帰り道、4人程で卒業式の帰りみたいな福島の学生がいた。


 この子たちにお金を渡そうかと思案(しあん)した。現金20万円くらいがあった。


 でも、車で通っただけで歩道とは距離があり、踏ん切り(ふんぎり)がつかなかった私はお金を渡すことができなかった。


 ただ、福島の事故は私の責任である。という気持ちがあったので、そこまでしようと思ったのだ。


 実際に福島まで行ったんだ。私は政治家のように無関心ではなかった。


 助けたいと、移住して欲しいと強く願っていた。



 もう一つ、神戸まで旅行に行った。私は空気の汚染されたところに居たくなかったのである。


 それに阪神淡路大震災から復興してる神戸に行けば何か分かる気がしてた。


 神戸は歴史のある街だったし、観光も異人館街(いじんかんがい)など、楽しめそうだった。


 でも山口組の総本山(そうほんざん)だった。行くのに躊躇(ためら)いがなかったと言えば嘘になる。



 それでも行ったんだ。途中新幹線が長過ぎて、郡山で降りたし、東京で降りたし名古屋で降りて、2泊もかけて新幹線の切符も無駄にしながら行った。


 というのも、福島の郡山は今どうなんだろうかとか、名古屋で俺は生まれたんだよなとか、そういう思いがあったから途中で降りたくなってしまったのだ。



 お金も十分あって一人旅。女の人を呼ぼうと思えば呼べただろう。豪遊(ごうゆう)することだってできた。


 でも、私はこの旅行は頑(かたく)なにそういうことを拒(こば)んだ。怖かったのだ。


 池田大作の件がある限り気の抜ける所に行くという旅行じゃなかった。



 神戸の街ではタクシー移動。電車に乗っても分からない駅で降りてしまうから、またタクシーを拾(ひろ)う。


 そんなんで結局観光名所も回れずに、神戸牛も食べれずに、禁煙の安ホテルに泊まって二泊するともうお金も底を尽き始めてた。


 神戸ファッション美術館にだけは行きたくて、タクシーで行ったのだが大きなバッグ片手になかなか自由に回ることもできなかった。


 受付とか切符の売り場もわからなくて大きな施設をウロウロしただけだった。


 でも震災に負けないでと学生たちがボランティアで活動してるのを見て嬉しかった。



 タクシーで話したりすると、神戸も今やっと復旧工事が終わって来ていてまだ終わりを迎えてない施設もいっぱいあるそうだ。


 それでも、人を住まわせるだけの施設が立ってなくて足りなくて困っているという話を聞いて、東北が復興するのはまた10年20年30年と途方(とほう)も無(な)くかかるのだと分かった。



 街に降りてみると、街の人から私に向かってこんな言葉が飛んで来た。


 「犯人だ。」「もちろんミンチな。」「カッコいい、カワいい、カッコいい、カワいい、オホホホホ。」


 犯人だってのは池田大作をやった犯人だってことだと思う。


 もちろんミンチなっていうのは池田大作はもちろんミンチみたいにして殺したってことだと思う。


 カッコいい、カワいいってのは熟年のお姉さん3人組に駅の切符を買う時に改札の方から掛けられた言葉だった。


 不思議とあのヤクザの女が着る衣装なのか妊婦が着る衣装なのかわからないと言っている、彼女が一度見せに来てくれた大振りの麻の鹿の子の衣装だった。


 オホホホホと艶(つや)っぽく笑われて、私は不覚(ふかく)にもギン勃ちになるくらいオッタッタ。


 それが収まるのを待っている間に私を揶揄(からか)って誘惑した熟年のお姉さん方は消えて居なくなっていた。



 私は、この旅行に出かける際、母に死ねとメールを打った。母は動じていなかったが私は母が父があんなことをしたのに、黙(だま)って庇(かば)ってる姿が実に許せなかったのだ。


 この頃から母にも疑問を抱くようになる。


 東京でフジヤと言うコーヒー屋で一杯飲んで、裏手にある喫煙所から父に電話して、「スッキリした?」って嫌みを言ってやった。



 もうどうにもこうにも、気仙沼の家には住んでられなくなっていたんだ。



 福島に行ったエピソードと実りのなかった神戸旅行であった。

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