専門学校時代7 2014年04月12日(土)

 専門学校時代は最後の学生時代だった。勉強への態度も家での生活もほとんどのことは書いたので、思い出深いプライベートでの出来事を書き連ねていきたい。



 なんと言っても一番大きな嬉しい出来事はO君が仙台まで遊びに来てくれたことだ。


 この頃はまだO君も専門学校生で、ウッチャンナンチャンや狩野英孝が卒業して、今村昌平監督が作ったと言う映画学校に通っていた。夕方、仙台駅で待っていてO君が現れた時、相変わらず小綺麗にしてるなって思ったのを覚えている。お互いの学校生活のことを話して、二人で遠出した。O君は家族のいる私のアパートに泊まって、襖(ふすま)を挟んで一緒に寝た。


 私が泊まりに行くことがあった男友達というのは、Y3にT8やK9君の家とあったにはあったが、私の所に泊まりに来る友人なんてのはO君が最初で最後じゃなかったかなと思う。


 ベコ正宗と言うところで豪華な牛タンの夕食を食べ、日本三景を制覇したいからと松島に行き、フェリーに乗って牡蠣も食べた。それから、M3と行った海にも行った。


 少し天候には恵まれなかったが二人は海パンを持ってって泳いだ。


 大勢で海に行くと言うほどの楽しみじゃなかったかも知れないが、それなりに楽しめた。


 帰りたくなかったのである。ナンパして見よう、なんて言って、同じく二人組で来てた女性に話かけた。


 「ねぇ、一緒に花火やんない?」


 二人は戸惑いながらも了承してくれて、近くのコンビニに花火とお酒を買いに行ったのである。


 聞けばまだ15、16才の二人組で高校生になったばかりである。二人とも自転車で海まで来ていた。


 私たちはバスで来たのでバスで帰らなきゃなかったのだが、お構い無しにチューハイで乾杯した。



 夕暮れ時、沈む太陽を眺めながら、まだ早いかなぁなんて言って花火をしたのである。


 四人で何を話したのかも覚えていない。O君には彼女が居たが、私が気に入った方の女性と対になるように気を遣ってくれて、もう太陽の沈んだ海辺で流木に腰掛けて女性と話したのである。



 なんとか片方の番号を手に入れて、次の日も会おうと私は帰って来ても興奮覚めやらず、家の近くの川沿いでO君に「誘ってもいいか?どうだ?」なんて話してた。O君はいつも通り私に合わせてくれて明くる日、四人で今度は違う牛タン屋に行ったのである。太助というお店だった。


 こんなこと初めてである。相手も奢りだって言ったらいいよって言って来てくれた。


 しかし、行った事の無いお店で、した事の無いダブルデート、O君には彼女が居るし、私が主役だったはずなのに、どうしていいのかわからずに、無言で注文したものをただ、4人で食べるだけの会になってしまった。


 大失敗である。みんな気まずいまま、早く終わんないかなぁって牛タンを食べたのだ。今になれば良い思い出だけど、O君には悪かった。



 その後(ご)、私が気に入った方の女性は普通に付き合ってはくれた。だが、ただのお財布だったのだ。


 話をしてもそんなに盛り上がることはなく、私は下心で付き合っていた。交際では無いのだ。


 それでも、映画に一緒に行って、電車で見送りしたこともあったし、初売りでデートして、2万円くらい美容家電を買わされたこともあった。でも一緒に食事もできたし、少しは話もできた。美容に興味があったみたいで、メイクするのが好きだと言ってた。


 自分から人を好きになった事は無いとその女子高生は言ったし、好きだ好きだと何度も言われて、私も好きかなってくらいの気持ちはあると言っていた。


 告白されて付き合って、1日とか3日で別れることも結構あると言っていた。


 そんなの付き合ってないじゃないと言っても、付き合った事に変わりはないとその女子高生は言った。


 極端な話、3時間だけの付き合いだってある事にはあるそうだ。


 ちゃんと自分が何回告白されたのかを数えているようだった。何度かデートしたけど私との付き合いは交際に入るの?と聞いたら、そんなわけ無いと論外だった模様。



 そんな思い出しかなかった女性だが、今では良い思い出である。私にもそんな事があって良かったなぁって思ってる。お金は出したけど私に時間を割いて遊んでくれてありがとねってもう一度会えたら言ってみたい。


 大した付き合いじゃなかったけど、きっとその女子高生も今では立派なレディになってることだろう。私の事など思い出せないほどの恋愛をしただろう。


 それでも海で4人で花火をしただなんて青春映画みたいである。


 そんな思い出をくれた女子高生に感謝である。


 とまぁ、いつものように脱線しましたが、O君を電車で見送るのはなんだか少し歯切れの悪いものになった。私は新幹線の車内で読んで欲しくて、久々に長文の心を込めたありがとうメールを送った。


 なんだか、これで会えるのが最後になるような気がしたからだ。



 その予感はついに当たってしまうことになる。


 その後もO君と連絡を取り合い、長電話することも何度かあったが、ついに連絡を取らなくなって今に至る。



 私は見てしまったんだ。O君が家に泊まった夜、O君とSEXする夢を見てしまった。


 それから、O君に対して冷たい素振りも見せるようになったし、O君が家に遊びに来てくれたこともmixiの日記で公開した。SEXする夢を見たなんて書いてない。


 等身大のO君への親愛の情とO君と私の仲の良さを書いたものだった。


 でもなんだかそれをO君も見ていて、気持ちにギャップが生まれて行ったのかもしれない。それにこの後(あと)、私自体いい人生を送れなくなって行く。


 私の傲慢(ごうまん)な性格や、夢見がちなところ、それに子供っぽくて、意気地が無いところ、生意気で人を見下してるようなところ、ネット社会に増長されて悪くなって行く。


 そういう事で以前のようには私に好感を抱いてくれなくなったのかもしれない。



 私は子供染みた繋がりを求めたがる性格をしていた。男友達なのに、自分よりO君が仲良くしてる人がいると嫉妬したりもした。


 そもそも、友人っていうのを自分の言う事をなんでも聞いてくれる人だと勘違いしていた。


 人生に於(お)いて、家族以外で、いや、母を除いて次に同じ時間を共有したのはO君だろう。色んな話をした。夢も希望も人間としての考えも政治についても、女性についてもなんでも語り合った。そして、今はもうわからないがO君は私に特別扱いをしてくれて、精神的に守ってくれていたのは間違いないと思う。


 じゃなきゃ、O君と抱き合う夢なんて見ないだろう。O君以外であんな生々しいSEXの夢を見たのは母親だけである。


 誰でも男は初めて見るSEXの夢は母親だそうだ。


 しかも、そういうもんだって啓示を受けて、驚いたりしないと見ないんだろうと思う。


 O君は言い方はおかしくなるが、母親が私に尽くしてくれたように、愛を持って接してくれた唯一の人物だったんだろう。


 それは男女愛や性愛ではなくて、人間愛に近いものだった。



 今は川崎に住んでるらしい。家を飛び出して都会に移り住もうとした時、O君は横浜まで来てるとメールしたら、ずっと出てくれなかった電話に出てくれた。


 短い時間だったけど、今はアメリカンスピリットの黄緑のタバコを吸ってるらしくて、私もアメリカンスピリットの黄色を吸ったりしてて、お互いに違う銘柄に変えてたなんて、そんな些細な共通点が嬉しかったりした。


 でも今は、男一人、女一人とO君の三人でシェアハウスしてるそうだ。「俺はいいけど、俺だけの許可じゃお前を一緒に住ませられんのやって〜」と溜め息まじりに答えてくれてた。それっきりである。


 メモを見ればO君の電話番号もメールアドレスもわかるがO君ももう、新しい居場所があるんだなってことに過ぎた時間の長さを感じた。


 私は初めて、O君に伝えずに、携帯番号を変えたんだ。


 そして私にも、今現在、新しい居場所が、見つかりそうである。

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