専門学校時代6 2014年04月09日(水)

 今度は専門学校で2年生になる。担任も変わって、授業自体も指導中心というより作業中心に変わって行った。時間と課題に追われる毎日がまたやって来るのだ。


 しかし、もうサボることが常態化してうまくなっていた私は、知らないことだけメモに取って、後は授業には出ているが、中々手先の進まない劣等生に落ちこぼれて行った。


 指導自体も、生徒が困っていなきゃ指導が入らなくて、私はやる気が出なくて困っていて、わからないことがあって困っているわけじゃなかったから授業を受けるのもサボるのも勝手って感じで、大学の頃より不良染みた学生になる。一人だけ年嵩が増してたのも、孤立する原因だった。


 でも、新入生がいた。科は違うが喫煙所に集まるさらに年下の若者はみんなかわいい妹や弟に見えた。


 そのうち話すようになり、mixiでもマイミクになり、携帯番号もメールアドレスも交換して仲良くなっていく人たちが数人いた。



 課外授業で講演会を聞いたあとなんかは決まってファミレスに寄って語らった。


 Y3、T8、M4、この三人とは別々にも四人で集まっても遊んだことがある。


 学生らしさっていう交友関係にまた恵まれたのもこの時期だったのだ。


 勉強はうまくいかなかったけどプライベートが仙台でも充実した時期だったのだ。


 彼女の事に踏ん切りをつけたのが、もしかしたら私の閉ざした心を広げる良い機会になったのかもしれない。


 女性関係で言えば22と文通してたし、21にも会いに行くことはあったし、後輩の23という松島出身の女性にモデルになってくれないかと持ちかけて、あっさり撃沈したこともあった。松島出身と聞いて親近感が湧いたのかもしれない。


 少し膨よかだったが、日本人離れした顔立ちが、いつも私が好きになるタイプの女性だった。


 この頃になると私も、無自覚に人に好意を寄せるんじゃなくて、いつもだいたい同じタイプを好きになってるんだなって分かってきた。


 自分に気が多いことも、性欲をまだコントロールできてないことも、人を見た目で判断してる薄情さにも自覚的になっていく。


 しかしながら、その見た目に終生気を使う職業を選んでいたのだから適性としては間違いなかったのである。


 なんで人を好きになるのか、なんで服が好きなのか何段も掘り下げて自問自答する。


 私はデパートではなくて路面店が好きだった。


 購入する決め手は服自体よりも店員さんとのコミュニケーションが良かった店で買い物していた。


 私はきっと寂しかったのだ。どこか他人とは違って浮いている自分を慰(なぐさ)めてくれる人が好きだったのだ。格好が気になると言うよりは、人間関係が気になっているお年頃だった。


 自然に振る舞える人や自然に人の注目を集める人、自然に人が集まる人。


 そんな好感を抱かれる人にいつも憧れを抱いていて、私自身もそんなふうになりたいという願望がいつもあった。


 そりゃあ、性格が良くなきゃ人は寄り付かないだろうが、寄り付かれてる人はみんな美男美女に見えた。そつなくオシャレに着こなすし、ライフスタイルだってバランスの取れてる人が多い。


 オシャレの秘密が知りたかったんだ。そして私は人が好きだったのか、服が好きだったのか、思い出を愛してるのか、わからなくなっていった。それは今でもそうである。


 そして、オシャレとかファッションって呼ばれてるものは、どちらかと言うと好感の抱かれる人に必要なのではなくて、好感の抱かれない人に好感を抱かせる魔法なのだ。


 後者の方がレヴェルが高い。


 だから、ファッションはいつもマイノリティの人に優しいんだ。


 いろんな区別のないボーダレスでニュートラルなものだ。


 それでいて、個性や区別をつけるのに役立てられたり、片方の立場を応援している意思表示にも使われる。


 誠に不思議なものだった。ファッションは厳しいものだったり、ただ流行してるだけという浅薄な場合もある。


 現象学として論じられることもあり、歴史を紐解く材料にもなる。


 医学的見地から検証されることもあれば、哲学的に着ている人の内面を捉える事もある。



 簡単に言えば、着替える度、気分を変えてるだけだという人だっているだろう。



 私は壮大で高尚なものにも、身近で取り留めのないものにも、変わりうる、捉えどころのない所が、ファッションや洋服が好きな理由である。不思議なんだ。いつまでも私の知的欲求と美的欲求を刺激し続けるもの。それがファッションなのだ。



 と、そんなことはどうでもいいですね。


 でもまぁ、そんなこと考えてばっかりの時期って言うのもあるじゃないですか。


 私はずっとアパレルに身を置いて、街の人もウォッチングばかりしてきましたから、というより、学業できちんとした成績を修められなかったので、私的なメモと蘊蓄(うんちく)ばかりが私の服飾に対する夢や情熱を担保してつなぎ止めてる唯一切れなかった糸なのです。



 どうしてかって、そういう事してる時が純粋に楽しかったからです。



 ファッションが好きな人はだいたいが音楽も好きで映画も好きでクラブやダンスが好きで、お酒が好きでタバコも好きで、食事にも気が利いて、読書も好きでって、趣味として繋がってるんだってことも大学生や専門学校生になって分かりました。


 私の中でも、そういった趣味が広がった良い時期ではあったんです。


 もちろんのこと本分である服作りが存分にできなかったのは間違いで、趣味の世界を後回しにしてでもしゃにむに服作りだけに取り組んでいたなら、見える明日も変わっていたことでしょうね。

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