専門学校時代5 2014年04月06日(日)

 K11さんからは色々なことを聞いた。K11さんと社長は元々潰れた会社で同僚をしてたって話とか、社長だって月収30万円に届くか届かないかだと思うよ。って話とか、ここで働いてる主婦はみんな子供が高校に通えるようにとギリギリの生活を支える為に、働いてる人がほとんどだよ。とかである。



 私が暮らして来た世界とはやはり一段階下の生活だった。父は立派だったのだ。


 バブルの頃とは言え、準ゼネコンの建設会社に入社し勤続33年である。


 その間(かん)母と、家を建てれば、子供の教育が儘(まま)ならない。家を取るか子供を取るかで私たち子供を取って、兄弟3人とも東京の私立の大学に家賃と仕送り付きで通わせたのである。


 父も40代か50代を過ぎてからだったと言うが、役職をもらってからは年収一千万円を越える額を稼いだ時期だってあるそうだ。


 社長とは言え、自分の父親より格下なのである。ここで一生頑張るという気になれるような会社じゃなかったのだ。社長の嫌いな所はもう一つあった。もの凄い自信家なのである。


 自分を天才だと言って憚(はばか)らなかった。寝間着(ねまき)みたいなトレーナー着て、他の社員はスーツ姿に会社のジャンパーなんかを着てる中、一人だけそんな格好である。


 面接の時にアパレル関係なんだからスーツ着て行ったら逆に落とされるよな、とその頃の私の一番の私服コーディネートで面接に行ったのだ。


 でもそんなズボラな格好してる社長に「22才で私服は無いんじゃないか?」と面接後(めんせつご)即採用(そくさいよう)と言われたあと軽く諌(いさ)められた。


 元々縫製工場の跡取りとして生まれて、理数系の大学に通っていたが親が亡くなったのをきっかけに大学を中退して以後、縫製メーカーを運営するワンマン社長をずっとしてきたようである。


 K11さんが言うには社長は小さな頃から工場で働く工員さんの仕事を見ていたから、一発でミシンが扱えたらしい。社長が実際に縫ってる所を見た事は一度しかないが、私に話掛けながら、手元も見ないでスイスイ使いこなしていた。


 社長曰く、訓練するという作業は、入念な観察をした後(あと)の作業らしい。


 この社長が若い私には鼻につく存在だった。「みんなオレの事は天才だって言って従ってくれるがおまえはどうなんだ?」と聞かれたこともあった。こんなに悦(えつ)に入ってる恥知らずを見たこともなかった私は閉口したものだ。


 月収30万円風情が何言ってんだ?こいつ。そのときの本音はそうである。


 しかし、主婦の同僚たちは専門教育を受けて、自分たちのメーカーに入った私に「社長になれるかもしれないよ。」と、それはそれは期待を込めて励ましたものだ。


 また、社長は私とK11さんが似てると言った。デザイナーズブランドが好きで哲学に感(かま)けているところが似ていたらしい。


 社長は服が好きでも嫌いでもないようだった。


 ビジネスになるから好きだ。と言っていた。哲学じゃなくて歴史を読めともK11さん伝(づた)いに聞いたものだ。



 でも言うだけはあった。上代5万円の銀座に飾られるスカートの仕事を営業で取って来たり、服資材を多めに持って、どれだけ生産力があるかということを誇示しがちな縫製メーカーの中にあって、社長はミシンの糸代だけでも年間で節約すれば100万円以上浮くという経営をしていた。



 また最後、私が去りかけている頃には負債を抱えて行き場の無い気持ちで働いていた工員たちに、社長や役員の財布で工場を買い取るという決断まで下していた。


 私の雇用保険もちゃんと掛けてくれていて、仕事がなくてハローワーク通いしていた頃、この会社に連絡して業務履歴を送ってもらい、なんとか雇用保険を手に入れた時、良い会社だったんだなってそう思った。


 何より残業代が出て、交通費も全額ではないが出たし、皆勤手当も5,000円で付けてくれていた。理不尽に怒鳴られることもなかったし、終電に間に合うようには仕事を終わらせてくれていた。


 2社目の私が専門学校を卒業してからの就職先とはエラい違いである。


 まだ実家で母や姉と同居してた私はお金も30万円ぐらい貯めたものだ。これは未だに自己最高記録である。


 ただ、2時間以上かけての電車通勤で朝4時起きの生活は辛(つら)かった。終電で帰って来て家に着くのは22時頃だった。


 母が居たから朝起きれたのである。食事の心配もなかった。


 電車通勤だったから、ほとんどの月で皆勤手当がもらえるのが嬉しかった。


 仕事をしてると時間が経つのは早いものである。


 私も社会人ってのがどんなものなのか朧(おぼろ)げに分かってきて、O君とも会えることは段々なくなって行くんだなぁと朝の電車に揺られながら一筋涙が零れたのを今でもよく覚えている。


 電車は海沿いの風景を映し出し、朝日が眩しかった。


 私はT7先生に薦められた『道しるべ』というダグ・ハマーショルドと言う国連事務総長を務めた人の本をわからないながらに読んでいた。


 何か正しい心にさせられる内面世界を描いた詩集のような本だった。


 H7先生の言葉も胸に残っていた。人生の境地っていう恋愛の深奥ってなんだ?


 私は芸術的な感受性が100%になると言う話が引っかかってた。センスを磨きたかったから。


 知りたい、恋愛を知りたい。自分はこれ以上の恋愛があるのか?という片想いをしたつもりでいたし、K11さんともそんな話をした。


 K11さんは学生時代知り合った彼女と同棲していた。ほんわかした二人だって、そんなふうに言ってた。K11さんは社会人だし、何年も付き合ってる彼女さんだし、同棲してるぐらいだったから、もしかして恋愛の深奥に辿り着いてる人かも知れないと思ったのだ。


 K11さんはこう答えた。それはね、憎たらしいけど愛しいって感情だよ。っと即答だった。


 私は彼女に怒りを感じたのは軽くあしらわれたメールでのやりとりの一度だけだったし、その頃の私は仕事もまともに始めて、良い心を取り戻していた。


 時間が解決してくれるんじゃないか、彼女を愛しい気持ちはいつか彼女に届きはしないかと、諦めがつかずにいたのである。


 そんな人の事、憎たらしいって思うなんてのは想像だにできなかった。



 私の視点から書いているから、私が振られたのをかわいそうだって思う人はいるだろうか?


 当時はここまで達観はできなかったが、彼女からしてみれば至極(しごく)当然の振る舞いだったと思っている。


 半年も見ないうちにブクブク太って、まるで自分のせいで心を病んでしまった青年がそれでも近づいて来る。


 自分には結婚を見通している彼がいるのに。


 怖いだろう。邪魔だろう。なるたけ関わらないだろう。当然のことだった。


 この頃の私はAqua Timezが流行(はや)っているのを知って、『千の夜を越えて』という曲を仕事終わりにいつも聴いていた。


 いったい彼女が私の前から居なくなってからどのくらいの夜を越えたんだろう。


 千の夜を越えたのか、越えてないのか自分で自分のことを数えていた。



 就学が困難になって大学の3年時、後期日程は就学しなかったから私は9月頃には仙台に帰省していたのだ。


 するとそこから自動車学校、専門学校と通って18ヶ月。丁度一年と半年くらい過ぎていた。


 365日と183日で548日かぁ、千の夜には半分しか届いてませんね、(笑)


 でもそのくらい気持ちは遠のいたんです。諦(あきら)めが迫っていたけれどまだ若かった。


 何よりお金をきちんと貯めて、色遊びなんてしないで真面目に働いて正しい気持ちで辛(つら)い毎日を熟(こな)すことで彼女への気持ちが蘇っていた。


 決してもう交わることがなくても伝えたい気持ちがあった。


 携帯の未送信メールは200件を越えて、彼女への愛の言葉で埋め尽くされていた。


 後悔していた。取り戻せなくても、取り戻したかった。



 私は全神経と今までの年月とを総動員して、彼女への最期の手紙を認(したた)めた。


 もう後悔しないように、決別の手紙である。手紙の前に前置きの手紙まであった。


 7枚半~9枚くらいの力作だった。


 大したこと無い男だけど、精一杯の気持ちを込めて書いたんだ。もし、第三者が読んでも、笑われはしないものだったと思う。


 ありったけを込めた、最期のラブレターだった。もう手紙を書いて彼女への愛を表現するのは終わりにしなきゃって、自分も変わらなきゃって、諦(あきら)めなきゃって、そういうものだった。


 簡単に言えばこうである。紳介さんの番組に3行ラブレターってのがあったけど…



 ごめんね。さよなら。ありがとう。


 一度でいいから言ってみたかった。


 あなたを好きだと、愛してると。



 まぁこういう内容だった。バレンタインデーが近づいている彼女の心境に、心のズレなんて生じさせたくなかったけど、書き終わってその日の内にポストに投函した。


 その手紙は戻っては来なかった。だから彼女に届きはしたんだと今でも信じている。



 そんなこんなあって私は会社を辞めて専門学校に復学することになる。


 辞める決め手になったのは梱包作業を一生懸命してる姿をメーカーの人が見たら、パターンメイカーになれるかもしれないじゃないか?誘われるかもしれないぞ。と社長に言われたからである。


 そんなおとぎ話あるわけないだろ。って思った。マジになってそんなことを言う社長にも嫌気が差してた。


 幸いなことに2学年からスタートで復学できると学校側とも話が着いた所で、私は初めての社会人生活を終えて、また学生やれる。なんて喜んでいたのだ。

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