専門学校時代4 2014年04月03日(木)
さて、大学での文化祭を終えて帰って来た私は、正直言って専門学校の通常授業に真剣に取り組めなかった。
また怠け癖が出ては答えの出ない焦燥感に苛(さいな)まれることになる。
私の心を埋めるのはインターネットでの架空の世界になって行く。
現実の授業は受けてもあまり意味がないと感じた私はもっと服作りに没頭できる環境を求めて、一年生の課外授業で訪れた縫製工場の求人を見つけ、そこに働きに出る決心をして、専門学校も中退した。
だが、このときの先生の対応がとても良かったんだ。
「あなたは特別に違う教育もずっと受けてるからと、この先のカリキュラムを受けてなくても、専門学校の方では1年生の課程は終了した扱いにするからね。」
とだけ言われ、私は仙台の自宅から仙石線を乗り継ぎ東松島駅で降りたところにある縫製工場に就職した。
私はその後(ご)、アパレル関係への就職に終(つい)ぞ拘り続け、三つの縫製工場と一つのお直しの会社に就職するが、どれも1年以上続けることはなかった。初めの1社であったがここが一番まともな会社だったと気づくのはずっと後(あと)のことである。
私は見たものを良いとか悪いとか批評する程の鑑賞くらいはできるのかもしれないが、洋裁や刺繍と言った類(たぐ)いの手を動かす職人的な作業が好きなわけではなかった。
私が欲したのはいつも最上級の技巧と最高のセンスだったのだ。オートクチュールやビスポークと呼ばれる世界の手仕事だった。
でもそんな服、身近(みじか)にあるわけじゃない。
私がファッションにのめり込むきっかけになったのはストリート雑誌である。
好きな服はジーパンにTシャツだった。半袖に長ズボンが好きだった。
無論スポーツブランドのスニーカーがお供(とも)する、中高生のみんなが通過儀礼のように通る、誰にでもできるファッションが好きだった。
帽子はキャップにして財布は後ろポケットに収まるものを、バイクではなくて自転車が好きだった。
その上に着るものがあるとすればパーカーである。
現在はその上に着るもので一張羅(いっちょうら)になってるものはオーバーサイズのニットジャケットだ。
まるでコートでも羽織るかのように着ている。ジップアップのついた手編みのセーターである。
ブランドものが好きだった私が最後に行き着いたのはやっぱり人の手仕事を着ているという感覚だった。
機械編みならきっと1万5千円から2万円ぐらいすればいい方のクオリティだと思う。
「えー、このセーターに3万円以上払ったの?」と着こなすのが私なら笑われてしまうかもしれない。
でも現在一番大事にしている1着は地元の古着屋で偶然見つけた手編みのニットジャケットなのだ。
脱線しているように思うかもしれないが、私が入った縫製メーカーでは、パンツとスカートのレディースを主に取り扱ってる工場だった。
つまり、ずっと勤めれば、パンツやスカートなら一人前になれるのだ。
でもジーパンが作れるようにはならないだろうってことだ。
メンズのシャツならシャツだけで20年30年って縫う職人もいる。
その人はシャツのことなら博士ってくらいシャツを知り尽くしてるかもしれないが、一揃いのスーツは作れないってことである。
私がそもそも目指していたのは、どんな服でも作れる人だから、どんな服の型紙でも作れるパターンメイカーになりたかった。
でも大手のアパレルメーカーの求人を待つには専門学校を卒業するしかないし、パターンメイカーという職業はパソコンの劇的な進歩で失われつつある職業でもある。
求人が少ないんだ。もちろん、優秀な人しか採らない。
まぁこういうことは全部経験して今になったから言えることではあるのだが、昔のようにほとんどの人が同じ服を着て、洋服のことはあそこの仕立て屋さんに任せましょうと、ご夫人方(ふじんがた)が通い詰めるサロンのような服作りって言うのは中々(なかなか)無いわけだ。
そういう職人になりたいという志はあっても、デザインするのはお客様で一生スーツ以外は作れない、というのも私の描く夢とは違っている気がした。
なんでも思い描いて、思い描いたまま作れるって言うのは、一人でできることじゃなかったんだ。
それは軽く失望に値する現実だった。
無論(むろん)当時の私が飲み込みよくそんなふうに考えたわけじゃない。
今やってることは自分の描く理想とは程遠いけど、なんの役にも立たないことをしてるわけじゃないと、会社では言われたことを疲れていてもやり続けた。普通に労働するってことの辛(つら)さ。
サービス業ではない一次産業の辛(つら)さを味わいながら、ミシンがうまくならないかな?とか、早く事務所に入って計画的な仕事に就きたいなぁとか、思いながらある時は一日中アイロンをかけて、ある時はロックミシンやサージングを頑張って、大卒のパソコンの作業をしてる社員に「オレは専門学校出てないし、スカートとパンツだけの工場だけど、ジャケットがどうなってるのかわかんないわけじゃないよ。作ろうと思えば作れる。」
なんて言ってた事とかを励みに部長に言われたことを黙々と熟(こな)す日々だった。
それにK11さんという兄貴分が居た。K11さんは文化服装学院が主催する日本の多くのデザイナーの登竜門とされる装園賞にノミネートされたことがある元居た専門学校の先輩に当たる人だった。
その人も仙台から電車通勤だったのでよく帰り道を共(とも)にして服飾談義に花を咲かせたものである。
K11さんはメーカーからの指示書を元にサンプルを作る作業にあたっていただけあって服作りに対する自信が私よりもあって、学生ではないもののデザイン画を描き続けコンテストに応募する毎日を送っていた。
「裏地や芯地の指示なんて出ないんだ。これだったらうまくいくかなって言って、工場の方で工夫するんだよ。」って話を聞けたのはすごく勉強になった。
パターンや型紙の道には進めなかったけど、そういう仕事をする人もわからないことは、工場が知っててそれが工場のレヴェルになるんだな、というのがわかって来たからだ。
それを身につけるというのは限りなく服職人になるには必要な事だったからだ。
逆にメーカーで設計してる人の技量のレヴェルも大したこと無いんだって事が分かったのは、アパレルを俯瞰する上で私が勇気を出して現場に飛び込まなきゃ見えて来ない視点だった。
まぁ、実際には私がサンプルを任されるところまで出世はしなかったのだし、途中から梱包に回されて、服作りからは縁遠(えんどお)いノルマを熟(こな)す日々になる。
そんな日々を支えたのは、終業間近を知らせる夕暮れの綺麗な色だった。
あぁ、今日も一日が無事に終わる。そんな安堵感を綺麗な夕景は私にもたらした。
自然の美しい中に在った工場ならではである。
そうして冬も深まって行った。
またしんしんと冷える空気に淡い恋心を揺らす季節がやって来るのだ。
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