専門学校時代2 2014年03月24日(月)

 専門学校時代が陰鬱(いんうつ)なものになったのは私に原因があった。


 こんなはずじゃなかったのに、と思いながらいつも東京での生活と彼女のことを引きずっていた。


 かわいい子だって綺麗な人だってたくさんいた。でも大学中退して入ったし、全員年下だった。


 私の通う科は男子が私を含め2人しか居なかった。他20数名全員年下女性である。


 2学年の専門学校生活だったが、先輩に当たる学年でも二つ年下である。


 おまけにネクラで引き蘢(こも)ってたもんだから、素直に心を開けなかった。


 今から考えるとだいぶ勿体(もったい)ない。楽しそうに声をかけてくれる人も、いつも元気に挨拶してくれた同窓生もいた。なのに、心が開けなかった。


 どっかで見比べてる自分がいて、どうしていいかわからなかったんだ。


 入って半年ぐらいは普通に頑張った。2年半のアドバンテージがあったから成績も最初は良かった。


 初めて納得できるスカートを作って大学時代の14にあげたりした。


 14はスタイルが良かったから、作った女性服はみんな14にあげることになる。


 モデルも目的もなくて、ただ、女性服を作るのは空しいもんだ。


 学習内容がレディースだったから、いつも14にあげようって思って作ってた。



 でも2年間居て、勉強になったなぁとか、知らない話聞けたというのは2回くらいだったな。


 大学に比べればレベルはやっぱ低かった。それでも後半は怠け癖が出て授業についていけなくなる。



 それでも、10着はいくかな、いかないかなぁ?まぁ、洋服作りはしたわけで、ジャケットの袖付けの仕組みは分かるようになった。でも未だに襟作りはどうなってるのかはっきりわかってないし、こんな形で作りたいってイメージ通りに作る事は困難だ。


 でも資格は取れた。問題なく取れた。それは2年半大学で勉強してたからだ。ほぼ無勉強で取れた。


 ファッションビジネス検定2級、ファッションカラーコーディネート検定2級、洋裁技術検定中級、ファッションパターン技能検定3級、かな?


 でもこんな資格金払って貰(もら)っただけで、実際のところ、就活で武器になるものではなかった。


 どれも1級じゃないし、ファッションに特化したアパレル業界の人しか取ってない検定で、アパレル業界に居る人はみんな持ってる資格かと言ったら違った。


 どこも名の通った大学の新卒で見た目の良い人なんかを採用する。販売員は特にそうだ。


 私の取った資格は、専門学校で専門教育をちゃんと受けましたっていう印付(しるしづ)けみたいなもので、大卒に見劣らないための学校側の苦肉の策でしかなかった。世間を知らなすぎた。


 資格どうこうよりも英語が出来るかの方が大事である。


 なんににもならないのである。普通のAmerica屋とかジーンズメイトとかに販売員で面接に行ったこともあるが、採用担当の店長よりやや高学歴の人材なんて求めてない。


 GAPなんかは何度面接に行っても駄目だった。面接でスニーカー履いて行くだけで落とされるんだ。


 デブになって見てくれも悪かったし、なんでファッションやってんの?それでもファッションやってんの?って感じだった。


 でも、仙台に戻って来たのは私だけじゃなかった。東京の大学に進学して戻って来たのはH5だった。


 M3と三人で吞みに行ったこともあったし、H5の服を買いに行く時、見立てを頼まれたこともあった。


 帰り際、マクドナルドに寄って話したんだ。俺んち金持ちなんだよってH5は言った。


 銀行に行ったら、○○様って頭下げられて別の窓口に案内されるそうだ。


 H5の父さんは一級建築士で自分で家を建てたそうだ。


 爺さんは戦争に行って死ぬと思ったら爺さんの母さんが出て来て、まだこっちに来るなと言われて日本に帰還できたそうだ。



 「なぁ、このままなんにもできなかったら離れで一生遊んで暮らそうぜ。」なんて言ってた。


 「家賃取らないのか?」って聞いたら、いいよいいよそんなのって


 H5ん家でゲームして遊んで、出前呼んで二人で食べて、mixiもH5に紹介されて始めたんだった。そのうち、私は大学時代の友達とmixi上で繋がるようになってパソコンに齧(かじ)りつくようになってった。


 H5もプールでアルバイトを始めてて、「おまえ来いよ、一緒に泳ごうぜ。」なんて言われてたのに、専門学校もあったからついにH5の誘いに乗ることはなかった。


 私はmixi上でどんどん交友関係を広げて行くことになる。


 憧れのブランド、コム・デ・ギャルソンで働いてる人やアントワープを卒業した人なんかとマイミクになれたのが嬉しかったんだ。メッセージも始めのうちは丁寧に返してくれたりしてた。


 そのうち、私の方がネットストーカーみたいになって彼らの交友関係にまで踏み込むようになり、2、3年でその交流は終わるんですが、みんな海外に出て有名ブランドで働くようになって、凄い人になって行くのを間近(まぢか)で見させて貰(もら)っていたんだ。


 一年生も後半に近づいた頃、文化祭があった。


 そのとき、高校の同級生が2、3人私の姿を見に来てくれた。


 サッカー部のメンバーである。みんな大学の4回生か3回生だった。


 私は出し物があって、なかなか来てくれたのにおもてなしはできなかったが、「アイツの成績どうなんですか?」って先生に聞いてくれたみたいで、私の成績は「トップクラスですよ。」と先生が答えてくれたっていうのを後で聞いて驚いた。


 自分だけ専門の大学に進学し、デザイナーになるなんて夢を追ってる私の事、少しでも気にかけていてくれたんだ。早く私の作ったブランドの服が着たいなんてmixiの紹介欄に書いてくれてた。今ではもう、すっかり連絡の手だてもなくなったが、友達のほうも私のほうも微笑(ほほえ)ましいもんである。


 専門学校の文化祭が終わると、私は母に無理を言って、元居た大学の文化祭に遊びに行くことにした。mixi上でそのことを伝えて、デブになってから着る服もまともな物がなくなってて、母に一揃い全部買って貰った。


 みんなにまた会えると嬉しかった。O君にも会う予定だった。

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