大学時代21 2014-03-06
実家に帰って来て、当時は仙台のアパートに母、父、姉の三人で暮らしてる中にポツネンと転がり込みました。何をする気力もなくて、覚えてるのはここに貯めてある貯金箱のお金は使っていいからね。タバコ吸うでしょ?と姉が優しく言ってくれたことだけでした。
ほんとうに何もしませんでした。タバコを吸うだけでした。
食事が出されて食べる。それだけです。
みるみるうちに太りました。20kg増です。人間というより、犬や猫に近かったと思います。
そんな私もテレビは見ました。さんまさんが私を笑かして救ってくれたんです。
勝手にですが、命の恩人だと思ってます。
さんまさんが『恋のから騒ぎ』で、女の頭をピコピコハンマーでぶっ叩くの見て大笑いしてたんです。
説教部屋に連れてかれる女の察しはだいたいつきました。九分九厘、プロデューサーと同意見です。
人間らしかった部分はそのくらいです。社会とは隔絶して引き蘢(こも)って暮らしてました。
父に、「犬や猫みたいに飯だけ食って。」
と言われた時は正直ムッと来ました。自分だってそうなりたくてなってるわけじゃなかったのにと、父の言う事は当然でした。見たままを言っただけでしょうし、悪気も無いんでしょう。
父とは生まれてこの方、親しくする機会もなかなか恵まれずに育ったのは自分の中でコンプレックスです。
エロい話なんてしたことありません。みんなうちの家族の男どもはムッツリスケベの外弁慶内味噌(そとべんけいうちみそ)なんです。父はおろか兄ともそういう話にはなりません。
思春期からずっと自分で性の知識は身につけてきました。
所謂(いわゆる)アットホームな家庭ではありません。父は仕事以外は自分の趣味に没頭してる人でした。
主に囲碁です。たまにゴルフ。ほんと絵に描いたような凡庸な父でした。
でも、私と違って甲斐性がありました。責任は果たしてる人だから、何の反論もできません。
いびつに歪(ゆが)んだ父への気持ちと同じように、兄にも似たような感情しか持てずにいました。
兄は自論があって頑固で自信家でした。私の反論には絶対に譲歩する姿勢は見せない人でした。
思春期を過ぎてからはたまに会えば喧嘩して、言葉で虐(しいた)げられるような思いばかりしてました。
姉は姉で自分の世界のある人でしたから、普段から滅多に話もしない仲でした。
ですが、姉が時折り見せる優しさには感心したもんです。
別に仲良くべったり和気藹々(わきあいあい)とするわけじゃないけど、血のつながった兄弟なんだよな。
私の事嫌いなわけじゃないんだな。って思える人でした。
まぁ、家族構成はこのくらいでいいでしょう。
ある時、父がこう言ったんです。
「自動車学校にでも行かないか?社会復帰だ。」って。
「昔の人は免許取れば一人前だって言ったんだぞ。」って。
こんなこと言ってくれる優しい父をなんで嫌いなんでしょう?甘ったれんなと思う人の方が多いでしょうね。
でもそうなもんはそうなんです。
そういう良いとこだけは簡単に受け取って、普段から感謝することはありませんでした。
父は言葉にするのが苦手な人です。外面(そとづら)ばっかり良くて、家では黙(だんま)りだから、染み付いた性質上、嫌いなんですね。今でも葛藤があります。
自動車免許を取りに行って、私は初日、そのロビーに彼女の幻を見ました。
今、勝手口の側(そば)の席で座ってたのは、と思って彼女を振り返った時には居ないのです。
こういうことが、これからしばしば起こり始めます。
いよいよ、精神障害の兆候が見え隠れする時期に入って参ります。
たまに、街に出かけた時や、地下鉄で彼女を見かけました。
私を追って仙台に来てくれやしたんじゃないかと錯覚します。まぁ時系列で言うともう少し後(あと)のことです。彼女が大学を卒業してからのことです。
自動車学校では誰かと友達になれないかなぁなんて淡い期待もあったのですが、自分から話かけに行く勇気なんてもうありませんでしたから、なんにもなかったです。
ただ、マニュアル免許で通い始めたのに、オートマに切り替えました。
教官が乗れって言って、次には運転してみろ。という乱暴な人でした。
普通、見本を見せるとか、クラッチの説明とかもっとなんかあると思います。
私は試されるようにそう言われ、訳も分からずアクセルを踏んで、止め方も分からず一人で動転してパニクってしまったのです。恐いから、とそんな理由でオートマに切り替えたんです。これが後々(のちのち)、就職活動の妨(さまた)げになるなんて思いもしませんでした。
私は世間を知らな過ぎでした。今でもそうかもしれませんがいつもなってみないとわからないんです。
それに、自動車学校では性格検査をやらされました。人生で何度目かでしたが、普通結果は言われないのが性格検査ですが、受付のおばちゃんに「あなた悪かったけど免許は取れるからね。」と、余計なこと言われました。
それじゃあ、全く、私の性格は悪いと理論的に証明されたようなもんじゃないですか。
少なくとも事故を起こす割合が高い部類の人間にランク分けされたわけで免許をとっても車を持とうと言う気にはなりませんでした。
とにかく喚き散らして叱ってしか来ない偏屈な教官もいたし、自衛隊上がりの上官もいました。今考えると、天下りズブズブのブラックな巣窟だったんです。
でも、自衛隊の上官は性格検査の理論にも精通してるだけあって、彼だけ唯一運転最中に世間話できた人でした。
「大丈夫、大丈夫。」って声を掛けてくれて優しかったのも覚えてます。
日本の免許は世界水準でも高く、世界一周だかヨーロッパ一周も日本の免許で出来たとかいい話も聞けました。
頭が悪くは無いだけあって、ペーパーの本試験は一発合格でした。
程なくして、私は免許を受け取ります。身分証明書として役に立つだけでしたが、そんなことがあったんです。
その後(ご)私は、大学の教授に電話したりしました。大学のみんなは私にみんなで一言ずつ書いて、絵葉書(えはがき)をくれたりしました。
T7先生の話をもっと聞きたいっていうのはあったし、まだデザイナーや職人になる夢を捨て去ったわけじゃありませんでした。
また何かするなら洋服でって思ってたんです。それで、仙台の自宅から通える専門学校に入り直すことになります。
仕送りの額を考慮したら、自宅から通えば大学に4年間通わせるのとたいして支出は変わらないと言われて、また学生生活を送ることになります。
親の収入に余裕があったんです。そこだけは恵まれてました。
その手続きにとまた大学を訪れるし、彼女の卒業式も、私はまだここの生徒なんだって見に行きます。
彼女に未練たらたらだったんです。卒業式までのことをまた次回書きますね。
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