高校時代7 2014-01-19

 ただいま帰りました。もう、質素な夕食を食べてあとは寝るだけですね。


 ここ2日、更新できずにいました。申し訳ないです。


 ランキングもアクセス数も下り坂です。結構気にしてるんですよね。


 上がると嬉しくなって書いちゃうっていうかね。


 一日一回更新したいですけど、なかなかコンスタントにはいかないです。


 でも、明日は休みなんで、だいぶ気分は楽です。少し頭が痛いですが高校3年生の頃の話ですね。バイトや文化祭のことは書いたんで3年生であった書いておきたいことをいくつか書きたいと思います。



 まず、部活ですね。サッカー部で私はFWをやってました。


 MFの選手が多くて、競争しないようにスライドしたっていうか、碌(ろく)に点の取れないFWだったんですけど、高い位置でタメを作るには役立ったかなと思います。


 予選は1位で突破したんです。利府高校っていうスポーツ科があって、県選抜とかいるチームを後輩の取った1点を死守して勝ち抜き、シードを獲得しました。


 このとき、うちのチームに初めてコーチがついたんです。


 定時制の先生をしてる人で県の代表チームも指導したことがある人でした。


 最後の最後に、DFラインの上げ下げとか、戦術的なことを習いました。



 そのコーチが仕事で見に来れない日に、DFラインが崩壊してキーパーの頭越えのシュートで3失点もして、シード1回戦で負けてしまいました。


 悪い試合をしてたわけじゃないのに、残念な負け方しました。


 キーパーが出過ぎていたりして、コーチが見に来てくれて修正してたらあんなにあっさり点を取られることは無かったんじゃないかな。



 善戦空(むな)しく、2回戦で敗退しました。



 そのことをメールで12に送って、もう一度会ってくれないかと頼みました。


 前回のブログに書いた通り、後ろめたいこともあったのですが12に対する気持ちに変わりはありませんでした。若いっていいですよね。


 どんなに挫けても、立ち直りも早くって…(笑)


 それに、何か頑張って節目を迎えると、心は浄化されて、まだ好きだってこと伝えたい、そういう気持ちの方が強くなっていくんです。



 12のマンションの駐輪場で12を待ちました。


 制服姿の12が自転車で帰って来ます。足の先から頭の先まで格好は変えました。


 12に、こう告げます。


 「今でも好きなんです。遊びじゃなくて真剣な気持ちだから付き合ってください。」


 って言って手を差し伸べ頭を下げました。


 ですが、数秒の間も無くごめんなさい。でした。


 その一声を聞いて私は歩いて立ち去りましたが、ごめんなさいの後(あと)に、何か12が言いかけてるような仕草を横目でみました。


 歩いて立ち去る私に少し驚いたような…



 だから、ごめんなさいって言われたからってすぐに帰ることなんてなく余裕を持って12の言葉に耳を傾(かたむ)ければ、少し違う結果があったのかもしれません。


 まぁ、今頃そう思い至ったところでどうしようもありませんがね。



 それでも、12のことが好きでした。学校のM3も12と同じ高校の人が好きで


 H5までそうだったんです。仲良し三人組は三人揃って同じ高校の互いに別々のマドンナに片想いでした。


 この頃、部活も終わって、打ち上げだなんだって高校生なのに、吞んだりしてました。



 もちろん、この年の文化祭は三人が恋する人のいる高校に、三人で行くことになります。


 なんか文化祭の実行委員長をやってる人をM3は好きで、そのM3の好きな人と12は仲が良くて、副委員長をやってるだかなんだかで驚きました。


 M3の好きな人に案内されて、お化け屋敷なんかを回りましたっけ。



 で、その夜は三人でやけ酒でした。焼き肉屋でたらふく食ってチューハイ何度もおかわりしてベロンベロンに酔って、自転車に乗って、好きな人の名前を冬の乾いた空に叫んでいました。



 そうだ、海まで行こうぜ、って言い出したのは私だったと思います。


 いいなぁ、それ。と乗って来たM3。H5は先に帰っちゃいましたが二人で荒浜海岸まで自転車漕ぎました。途中酒が切れて来てコンビニで補充したりして海についてしばらくは砂浜で飛んだり跳ねたりして、12が好きだとかなんでH5は来なかったんだ。とか、とにかく一番気持ちのいい酔いで、星空も綺麗でした。M3もにこやかに私を見つめていました。


 朝の日の出まで見て帰ろうとしてたんですけど、もう寒くなって来てバーベキューしてた福祉大の兄(あん)ちゃんたちに混ぜてもらい、火に当ててもらってM3と相撲とらされたりしました。M3はすごく気に入られたんだけど私はちょっと厄介者って感じでしたかね。



 まぁそんなこんなグダグダでしたが朝が来たんです。


 まだ寝てるM3を起こして自転車で帰りました。



 M3はラグビー部で巨漢だったんで、相撲をしたとき右手の拳(こぶし)を折ってしまって


 右手が動かないしパンパンでした。(笑)



 その後(ご)、学生生活は左手でしばらく板書して、先生方にも頑張ってるなぁなんて言われてましたっけ。


 病院では、誰か殴ったの?なんて聞かれるし、でも治れば絵も描けるって言われたんでそれだけはほっとしたのを覚えています。



 まるで自転車で夜の海と星空を駆けたみたいで、二人の心は一つでした。


 こんなに仲良くなったのはコイツらしか居ないなってそんなふうに、M3やH5のことを思っていたんです。



 後日、文化祭に来てくれてありがとう。と12から電話がありましたが、交際には発展しませんでした。モデルになってくれない?なんて言ったんですが、それも却下でした。


 部活に恋に友人に、高校時代は目紛(めまぐる)しく色々なことがあったんですが、後(あと)はもう受験を残すのみです。


 夏に受けたAO入試では自分で作ったパンツを履いて行ったんですがそれをアピールしたところ、脱いで見せてくれる?って言われて脱げませんでした。


 それでか、なんでか、落選でした。推薦入試に必要な3.5以上の評定は取れていたんですが推薦入試で受かる気はせず、出願自体しませんでした。



 ですから、10月頃から、必死で英語の勉強を始めて、センター試験で140点前後取るくらいまで頑張ります。代々木の判定では受験者中23位でA判定なんですがセンター利用者の定員は5人なんで、25人を取る、受験校での筆記テストに備えました。すごく簡単なテストなんですけどその分、馬鹿な人とも開きが少なくなるので油断はできませんでした。



 全ての試験を終えて補欠合格の通知が届きます。補欠だったのかと落胆したし進学できないことも見据えて、海外のアントワープのサイトを見たりしてました。


 浪人するんだったら、海外に挑戦しようかなぁなんて…(笑)


 忘れもしません。バレンタインデーに合格の通知が電話で来て、母が私より喜んでたのを覚えています。私は炬燵(こたつ)で眠ってました。母が気を遣って仕事を休んでくれたようで間一髪で通知を受け取れました。私は心の底から安心してまた眠ってしまいます。



 ずっと図書室で勉強していたので、現代文の勉強は読書でしたね。


 芥川賞受賞作品集なんかを読んだりして、池澤夏樹さんの『スティル・ライフ』なんかを読んでたのを覚えています。思えば私の読書生活はこの頃から始まりました。


 吉本ばななさんの『哀しい予感』に始まり『TUGUMI』、山本文緒さんの『プラナリア』なんかをテスト問題で出て来た続きを興味を持って読むと言った感じでしたね。



 これが私の高校生活です。大学までの時間、服作りに当てて、12とM3に向けて手紙を書きました。東京に行くからです。M3とは10年後の自分と相手に向けて書いてお互い持っとこうとあの海まで走った夜に誓いを立てたんです。


 今思えば、H5にも書けばよかった。ただ、前日の夜一息に書いて用意したものでH5も見送りに来てくれることは分かってたんだけど、時間がなくて用意できなかったんです。



 M3とH5に見送られて、長町駅の改札で別れました。


 今の長町駅になる前の昔の駅舎です。


 あの頃はほんと、夢と希望に満ちていて、明日にしか興味が無い。


 そんな弾む若い心で毎日がキラキラしていて、こんなふうになるなんて1ミリも思っていなかったです。

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