第2話

 翌日の放課後、重い足を引き摺るようにして私は指定された教室へと向かった。ちなみにクーラーの効いている職員室や教科準備室は他の生徒から贔屓だと言われたら困るからと却下された。どうせならクーラーの効いた涼しい部屋でしたかったのに。仕方なく、ドアを開けた私はとぼとぼと教室へと足を踏み入れた。


「失礼しまーす……」

「お、ちゃんと来たな」


 そこには、教卓にもたれかかるようにして、藤堂先生が立っていた。スーツのジャケットを脱ぎワイシャツを肘まで捲るようにした藤堂先生は、この暑さの中でも涼しい顔をしていた。


「――んじゃ、はじめようか」


 席についた私に、藤堂先生は何枚かのプリントを渡すと、向かいの席に座った。


「どこまで出来るか確認したいから、今日はこれ解いてくれるか」

「はい」


 渡されたプリントを一枚ずつ進めていく。問題は高一の範囲からこの間の中間の分まで幅広く用意されていた。これを、皐月先生から頼まれてから今日までに作ってくれていたなんて……。


「すみません、私のせいで……」

「そんなこと気にするな。でも申し訳ないと思うなら、夏休み明けの期末試験でいい点数取ってくれると助かるかな」


 じゃないと俺も皐月先生に怒られるからさ、と藤堂先生はえくぼを浮かべて笑った。

 その笑顔につられて私も笑いそうになる、けれど……。


「良い点数、取れないかも……」

「ん?」

「私、本当に数学がダメで」

「――みたいだな」


 プリントを覗き込むと、藤堂先生は苦笑いを浮かべた。

 上から順に、全ての回答欄を答えで埋めているはずなのに、そんな顔をされてしまうということは余程酷いのだろう……。真面目に解いているはずなのに、どうしてか答えが合わない。公式が覚えられないわけでも解き方がわからないわけでもないのに……。

 居た堪れなくなって俯いた私の頭に、何かが触れた。


「え……?」

「まぁ、そんなに気負うことないよ」

「藤堂、先生……?」


 ポンポンと子供をあやすように私の頭を撫でると、藤堂先生は笑った。


「そのために俺がいるんだから。期末テストで皐月先生を驚かせてやろう」

「できるかな……?」

「できるさ。――その代わり、ビシバシいくからな」

「はい!」


 私の返事に、藤堂先生はニッと笑った。

 その笑顔に、黙っていると大人の顔をしているのに、笑ったときだけまるで少年のような表情をすることに気付いた。藤堂先生が授業を持っているクラスの子は、いつもこの笑顔を見ることができるのか。そう思うと、少しだけ羨ましくなる。私も、皐月先生のいかつい顔じゃなくて、藤堂先生を見ながらなら、数学の授業を楽しみに受けることができるかもしれないのに。


「奥村? 続き、やれよ?」

「っ……は、はい!」


 ボーッと見つめていた私を、怪訝そうに藤堂先生が眉をひそめるとプリントを指さした。その声に慌てて視線を下ろす。

 ……けれど、なんとなくもう一度顔を上げた私は、こちらを見ていた藤堂先生と目が合った。


「っ……」

「何、見てんだよ」


 そう言ってくしゃっと笑ったその顔に――ほんの少しだけ特別授業が楽しみになった。

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