「あなたと……」

望月くらげ

第1話

 夏休みを一か月後に控えたその日の放課後、私は担任の皐月さつき先生に呼び出されていた。

 理由は――。


奥村おくむら。お前な、なんで俺の数学だけこんな点数なんだ?」

「すみません……」

「他の教科はいいのに、どうして……」


 皐月先生は机に肘をつき頭を抱えると、ため息をついた。

 机の上に置かれた成績表。中間テストの成績を見て、最下位すれすれな数学の順位に泣きたくなる。さすがに251人中230番はまずい。母親にも怒られるだろうし、このままじゃあ塾に通わされるかもしれない。

 でも、そんな私に皐月先生が告げたのはもっとショックな一言だった。


「このままじゃ卒業できないぞ」

「え……?」

「え、じゃない」


 皐月先生はもう一度ふかーいため息をつくと、隣に立つ私を見ながら言った。


「学年末で一つでも赤点があれば、進学が決まっていても卒業させてやれないんだぞ」

「ええー! そんなの酷い!」

「酷いのはお前の点数だ! ……そこでだ、奥村のこの状況はさすがにまずいので特別授業をしてもらうことにした」

「特別授業……?」

「ああ。――藤堂とうどう先生」


 皐月先生の言葉に、私たちの後ろに座っていた誰かを呼んだ。皐月先生につられるようにして後ろを振り返ると、そこにはふんわりとした猫っ毛が特徴的な若い男の人がいた。髪の毛は染めているのだろうか。真っ黒な皐月先生とは対照的にブラウンがかった色をしている。ずいぶんと若く見えるその先生は、何かを書き込んでいたノートを閉じると、こちらを向いた。


「知っているか? 藤堂先生」

「いえ……」

「そうか。まあ、お前らの学年は担当してないからな。春に新任の先生の紹介で挨拶があったけど、覚えてないか?」


 新任……。そういえば、始業式の時に新任挨拶で壇上に若い先生がいたような気もする。前の日の夜遅くまで春休みの宿題をしていたせいで、眠気との戦いだったからよく覚えていないけど。でも、その藤堂先生がどうしたというのだろう。

 そんな私の心の声が聞こえたかのように、皐月先生は続けた。


「本当は俺が教えたらいいんだろうけど、さすがに忙しい。けど藤堂先生なら教科担当だけだからな」

「それって……」

「夏休みまでの二週間、藤堂先生に数学を教えてもらえ」


 当たり前のように言う皐月先生に、藤堂先生は苦笑いを浮かべる。迷惑なのではないだろうか……。不安に思った私にちなみに、と皐月先生は続けた。


「こいつな、俺の教え子なんだ」

「え……?」


 40歳だと言っていた皐月先生よりもずいぶんと若く見えると思ったけれど、教え子……。それで、困ったような顔をしつつ、断れない雰囲気を出しているのか。

 いや、そんなことよりも!


「悪いですよ、そんなの! 藤堂先生だって忙しいでしょうし」

「そんなこと言ってたら、本当に卒業できなくなるぞ」

「うっ……」


 それは困る、凄く困るけど……。

 チラッと藤堂先生の方を見ると、私の視線に気付いてニッコリと笑った。あ、この先生、笑うとえくぼができるんだ、なんてことを考えていた私に藤堂先生は言った。


「俺のことなら気にしないで。俺も昔、皐月先生に教えてもらったから」

「え?」

「お前が赤点とったら俺の評価が下がるだろ! なんて言って、放課後付きっ切りで教えてくれたよ」

「そうなんですか……?」

「うん。だから君のことは、責任を持って俺が教えるよ」


 優しく微笑みながら、けれど嫌だとは言わせない口ぶりで藤堂先生は言った。

 この日から、藤堂先生による私のための特別授業が始まったのだ。

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