花より団子のワタシ

 金曜日、午後5時30分、真希は、パソコンの電源を落とし、机の周りを

片付けた。ルーティンワークをこなし、不備のある書類はにっこり笑って

突き返し、後輩のミスはカバーして、今週も目一杯働いた。

周りのみんなに声を掛け、更衣室に向かう。


 真希の勤めている商社は、一般職と受付嬢は事務服が支給されている。

更衣室は、退社を急ぐ女子社員で混雑していた。皆それぞれに目的が

あるのだろう、楽しそうだったり、焦っていたり、何故か怒っていたり、

苛ついていたりいろいろだ。


 真希もこの後のことを考えると知らないうちに鼻歌を口ずさんでいた。

月曜日、eauのマスターが例の新酒が今日あたり届くのではないかといって

いたのだ。上手くいけば、今日、それにありつけるかも知れない。去年

その存在を知って、一年待った、新酒が。


「高木さん、ご機嫌ね。デート?」


経理の先輩社員が、声を掛けてきた。


「いいえ、残念ながら女子会ですぅ。友達の奢りでおいしいものです。」


実際は、お一人様なんだけど、そんなこと馬鹿正直にいっても仕方がないので、

そこは、適当に。


「いいわねぇ、食べ過ぎないようにね。」


「はーい、ありがとございまーす。」


真希は、いそいそと更衣室を出て行った。


 会社を出た真希は、最寄り駅ナカの大型書店へ向かう。そこで目当ての本を

2,3冊買うと、小腹を満たしにカフェに入った。サンドイッチとカフェラテを

注文し、店内のソファに落ち着く、ここで、ちょっと時間調整。

 eauの開店は、18時だ。退勤してすぐに足を向ければ、18時15分過ぎには、

カウンターの前に座れる。本当は、会社から直行したいぐらいだが、eauは、

美味しい料理はあるが、あくまでも酒肴で食事ができる店ではない。

空きっ腹に、日本酒はいくら好きでも、流石にキツいので軽食で小腹を

満たしてから向かうことにしている。


「隣、いい?」


19時30分過ぎ、カフェで時間調整をし、万全の体制(?)でeauの

カウンター前に座り、待ちに待った新酒を堪能している。

真希を日本酒の道に踏み入れさせた女性杜氏が醸したお酒、「菫青」。

その発泡酒が新酒の時期に少しだけでると聞いたのは1年前。聞いた時は、

既にその年の分は全部出てしまっていて飲み逃したのだ。1年待って、やっと今、憧れのお酒に出会えた。

 至福の時を味わっている最中の真希に声を掛けてきたのは、悠人だった。 

返事をまたず、悠人は、真希の隣に腰を下ろすと、


「俺にも、同じものもらえる?」


とマスターに声を掛ける。マスターは、無言で頷き、フルートグラスに新酒を

注ぎ、悠人の前に差し出した。悠人は、真希に視線を向け、グラスを持ち上げ、

軽く会釈して口にした。それを横目でみていた真希は、会釈は返したが、

話しかけるのはやめた。


 実際、何を話していいのかわからないというのが正直なところだった。

でもまあ、イケメンが、スマートに日本酒を嗜んでいるというのは、眼福である。

せっかくのチャンスだ、堪能させてもらおうと考え静かにゆっくり自分の

グラスを傾けた。


 その夜、真希は、もう一杯、「菫青」を味わうとお会計を済ませ、お先にと

悠人に声を掛け、20時過ぎに店をでた。悠人も隣に座ったのに、真希になにを

言うのでもなく自分のペースでグラスを重ね、店を出る真希の挨拶に軽く

頷くだけだった。

 帰宅途中の電車の中で、「菫青」の発砲しの味を思い出しながら

もう一回ぐらい楽しめるといいなぁと考えていた。今日は、隣に人が居たので、今一お酒に集中できなかった。眼福ではあったけど、菫青の発泡酒には

1年に1,2回巡り会えるか会えないかなのだ。そちらに集中したい。

来週は、独りでいられればいいな、と思った。


 翌週、ルーティンワークにいそしんでいる真希は、小首を傾げた。

気のせいだろうか、自意識過剰気味ではないだろうか。それとも、今までと

同じ頻度だが、単に自分が気が付いていなかっただけなのかも知れない。

 今も、急ぎの仕事をやっつけようと、書類をバサバサ捲りながらPCに

打ち込んでいると、目の端に人影が映った。ふと顔を上げると悠人だった。

目が合う。仕方がないので、会釈する。そしてまた、書類に意識を向ける。


「また、市川さん来ていましたね。」


独り言のように、隣席の奈々子がいう。気のせいじゃなかったようだ。しかし、

気のない素振りで返事をする。


「そうお? 」


「そうですよ。ただ、書類を持ってくるだけに今週、もう何回来たと思います?」


「えっ、何回?」


「8回ですよ、8回。1日2回は来てますよ。」


「奈々ちゃん、それ数えてたの?」


引き気味に、真希が聞いた。


「ええ、でも、それって、私が離席していた時に来ていた分は含まれていません

から、もっときているかも知れませんね。」


「そっ、そなの?」


「しかも、必ず、真希さんに挨拶していくし。」


「えっ、挨拶なんかされてないし。」


「いや、いや、ちゃんと、今さっきだって挨拶してたじゃないですか。」


「いやそれ、挨拶は言い過ぎ、会釈だよ、会釈。」


「はぁ、何寝ぼけたことを…。真希さん、市川さんは総務に来て必ず、真希さんの

視界に入るように歩いて、顔を上げたまきさんの視界を捉え、会釈して

行くじゃないですか。」


「へ?」


「はぁ、なんか、市川さんがなんか気の毒に…。もういいです。」


「ゴメンナサイ。」


よくわからないが、取りあえず、真希は謝った。 

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