後日談(番外編)

「それでは、わたくしはフェオドラ様たちをお送りして参ります……うっぷ」


 蒼白な顔で告げるリエーフさんを、ミハイルさんがジト目で見下ろす。その後、彼はその視線をフェオドラさんへと移した。


「リエーフに酒を呑ませたな……」

「いや悪い。まさか下戸とは思わず」

「そっちの子供も」


 馬車の中で伸びているレナートを指して、ミハイルさんはなおも呆れた声を上げた。


「レナート君は十六だろう。帝国は十五で成人だ」

「ロセリアは十八なんだがな」

「まぁ彼はイスカ人だし関係ないだろう」

「そういう問題じゃない。誰彼構わず呑ませやがって」

「エフィル君には呑ませてないぞ」

「当然だ」


 ーーもうすぐ陽が暮れる。

 ささやかに行われるはずの結婚式は、街の人たちもひっきりなしに訪れる華やかな宴となっていた。その人たちに次々と酒を振る舞い、自らも飲み続けていたフェオドラさんは顔色一つ変わっていない。


「晴れの日に、固いことは言いっこなしだ。見ろ、ミオだってピンピンしてるじゃないか」

「私は酔ったことがないので……」


 昔からお酒には強かったりする。ほう、とフェオドラさんは楽し気に目を輝かせた。


「それなら遠慮するんじゃなかったな。主役を潰しては申し訳ないと手加減してしまった。また改めて呑もう」

「とくに手加減は感じなかったですが……」


 ちなみに彼女は、ミハイルさんにもグラスが空く傍からやってきて酒を注いでいた。少し気持ち悪そうな彼をチラ見して、一応つっこんでおく。


「まあいいじゃないか。とりあえず邪魔者はこれで去るのでゆっくりな」


 そう言って、フェオドラさんが意味ありげに目を細める。


「そうだ。リエーフも調子が悪そうだし、こっちで介抱しておくとしよう。もう陽も暮れるし、レナート君もこんなだ。今夜はプリヴィデーニの街で一泊する予定だからな」

「だったら、お屋敷に泊まっていったらいいのに」

「ははは、幽霊屋敷に泊まるのはごめん被る」


 なるほど……だから街の人も、夕方が近づいたら一気に引いていったのか。


「というわけで、リエーフはふん捕まえておくのでゆっくりと結婚初夜を満喫してくれたまえ」

「結婚は前からしてる」


 ぼそっとミハイルさんが訂正するが、やはりフェオドラさんは意に介さない。まぁ、私たちの勝てる相手ではない。


「細かいことはいいじゃないか。どうせまだ何にもしてないんだろ?」

「余計な世話だ」

「図星か。よしついでだ、この子も預かっておこう」


 言うなり、それまで黙って控えていたエフィルの襟首を、フェオドラさんがむんずと掴む。


「おい待て。勝手なことを……」

「旦那様、フェオドラさんもこう言ってますし、先生だけでは心配なのでボクも同行します」


 止めようとしたミハイルさんの声を遮って、エフィルは襟首を掴まれたままで片手を上げた。


「しかし……」

「ボクは元々プリヴィデーニの街で暮らしていましたから、迷子になることもありませんし、知り合いもたくさんいます。ですのでご心配なく」

「……そうか。だったらエフィ、いつ帰っても構わないんだぞ」


 ふと、ミハイルさんがそんなことを口にする。


 少し前に、エフィルはお母さんとの別れを済ませていた。その日だけエフィルは部屋から出てこなかったが、翌日からはいつも通りに過ごしている。


 エフィルはしっかりした子だ。街にはマクシムさんという理解者もいる。確かに、もうエフィルがこの屋敷にいる理由はないのかもしれない。


 ミハイルさんの言葉に、エフィルは少しだけ考える素振りを見せたあと、フェオドラさんの手を逃れ、ミハイルさんの前まで歩み寄って口を開いた。


「……この前先生は、ボクにこの屋敷の養子にならないかと言いました」

「それをお前が受けなければならない理由などない」

「理由はあります。ボクは旦那様や奥様、先生にまだご恩を返せていません」

「お前から何か返してもらうつもりはない。だがどうしてもと言うなら他の形でもいい」

「そうですね。ボクも、養子になることで恩が返せるのかどうか、実はよくわかりません」


 俯いてそう言ってから、チラリと彼は馬車を振り向いた。みんなもう馬車に乗り込み――リエーフさんはフェオドラさんに引きずりこまれていたが――エフィルを待っている。


「ボクは……できれば、このお屋敷にずっとお仕えしたいです。ボクが継ぐよりも、正式な跡継ぎがお生まれになって、その方を生涯お守りできたら一番いいと思ってます」

「エフィ……」


 ミハイルさんが腰を落とし、エフィルの両肩に自らの両手をおく。


「……リエーフの差し金か?」


 そしてぼそりと問いかけた。

 うん……私も同じこと思ったけど。


「……? いえ。確かに先生にも同じことを言いましたが、そしたら旦那様になるべく早く直接申し上げるようにとは」

「もういい、わかった。行ってこい。リエーフはほっといていいからお前は少しゆっくりしろ」

「あ、はい。では行って参ります」


 そう言うと、彼はペコリと会釈して、馬車に乗り込んだ。ほどなくしてガラガラと馬車が走り出す。

 その音はやがてすっかり遠くなり、あとには私とミハイルさんだけが残った。


「……レイラたち、いつの間にかいなくなっちゃいましたね」


 すっかり静まり返った中で、自分の声は思ったよりも大きく響いた。静かすぎると思ったら、レイラやエドアルト、アラムさんの姿もなくなっていた。


 ……姿が見えないと、少し不安になる。


 指輪はなくなってしまったけど、私はまだ彼女たちの姿を見ることができていた。ミハイルさんの血をもらっているからだろうとのことだったけど、それでも最初は見えなかったのだから、いつ見えなくなってもおかしくない。


 それに……レイラは、私のウエディングドレス姿を見たら成仏すると言っていた。


「心配しなくても、屋敷のどこかには居る。気配は消えてない」


 そんな私の危惧を察しているのか、ミハイルさんがそう教えてくれる。


「……だが今夜は出てこないだろうな」


 それは……私もなんとなくそう思う。

 昼間はあんなに賑やかだったのに、今はとても静かだ。耳が痛いほど。


「とりあえず、入るか。冷えるだろう」


 少し前に、もうドレスは着替えていた。いつものメイド服一枚だと、確かに陽が落ちると肌寒い。


 だけど、なんとなく私はその場を動けないでいた。


「あの、ミハイルさん」

「なんだ」

「ミハイルさんは……やっぱりこのお屋敷を残す気はないんですか?」


 さっきエフィルがその話題を出したからというわけじゃないけど。ずっと気にはなっていた。


「……エフィを養子にすれば、こんな曰く付きの屋敷ではあいつが苦労するだろう」

「じゃあ、ミハイルさんはゆくゆくはエフィルを街に帰すつもりでいるんですか?」

「それは……まだちゃんと考えてないが。その方がいいだろうとは思っている」

「……よくわかりません。ミハイルさんがどうしたいのか」

「どう、とは? 今言った通りだが」


 ミハイルさんが怪訝そうに眉を寄せ、私を見下ろす。


「力があるから、曰く付きのお屋敷だから。そうじゃなかったら、ミハイルさん自身はどうしたいんですか?」


 問いかけると、彼は意表を突かれたような顔をした。予想していなかった問いだったのだろう。しばし間を置いてから、目を逸らして彼が答える。


「それとこれとは切り離せないだろ」

「じゃあ、もし切り離せるとしたら?」

「それを考えて何か意味があるか?」

「ありますよ。だって一番大事なのはミハイルさんの意志じゃないですか。貴方はいつも自分自身のことを後回しにする」


 目を逸らしたまま、ミハイルさんは溜め息を挟んで言葉を継いだ。


「お前に言われたくないな。一番大事なのは俺の意志だと? そう言うお前の意志はどうなんだ」

「だって、力のことやお屋敷のことですから、私には決められませんよ」

「いや、選択肢によってはお前も無関係ではないんだが……」


 少し不機嫌そうに述べて、彼は踵を返した。その後を追って、玄関の方へと向かう。だが彼はその手前で足を止めると、お屋敷全体を視界におさめるように顔を上げた。


「俺は……ずっとこの屋敷が嫌いだった。どうして俺は向こう側じゃなかったのかとずっと思っていた」


 そう言いながら、お屋敷を見ていた目を街の方へ向ける。


「今もですか?」

「……いや。鬱陶しいことこの上ないが、リエーフがいたから孤独ではなかった。レイラには随分手を焼いたが、あいつがいたから退屈しなかったのも確かだな。それに……お前がいる。ここに産まれなければ今以上に幸福だったのかと問われれば、今はそうでないと答えるだろう」


 ずいぶん持って回った言い方だけど、つまりは幸せってことなんだろう。


「だったら、貴方の子だって不幸になるとは限らないですよね?」

「他人事のように言うが、俺の母は俺のせいで病んだ」

「だから私も病むと思って気を遣ってるんですか?」

「そうは言っていない。……可能性の話だ」


 そういえば、ニーナさんも言っていた。自分の子が死霊使いになるのは耐えられないと。あなたは平気なのか、と。

 あのときは答えられなかった。だけど今なら迷わず言える。


「私、貴方のことも貴方の力も、怖いと思ったことないです。最初はそりゃ驚きましたけど、今は物語のヒーローみたいでかっこいいとすら思ってます」

「いや、その例えなら悪役だと思うんだが……」

「視点を敵サイドに置くかどうかじゃないですか?」

「力の性質だと思うぞ」

「それはともかくですね。貴方と同じ力だったら愛せると思うんです」

「……お前がそうでも、子は恨むかもしれん」


 ミハイルさんはあくまでも消極的だ。

 そうなるだけの事情があるのはわかる。


 だけど彼は知らない。

 呪われた力がなければ、誰もが幸せになれるわけでもない。

 逆に、どんな生い立ちだろうが、幸せになれないわけじゃない。


「力があろうがなかろうが、親の勝手で生まれてくるんだから、子が親を恨むなんて大なり小なりありますよ。それは受け止めるしかないと思います。受け止めて、向き合って、ちゃんと話して、その都度その子にとって最善の道を選べばいいじゃないですか。お屋敷を出たいと言うなら、そのときはお屋敷が潰れてもリエーフさんと戦ってでも送り出しますし。もちろん、自分を傷つけるような力を使わせないのは大前提として」

「……お前という奴は……」


 心底呆れたように、ミハイルさんが腕を組んでまじまじと私を見る。


「お前は本当に会ったときから少しも変わらん。どんな苦難を前にしても、いつだって少しも怯みやしない」

「ミハイルさんも変わりませんよね。何か困難があると、すぐに何もかも諦めて投げやりになるところ」

「悪かったな」

「どうせ散らかるから掃除しなくていいみたいな論理、好きじゃないんですよ、私。散らかっていたら片づけたいんです」

「なんでも掃除と同じにするな。だがまあ、それでこそお前だな」

「そうでしょう?」

「ああ。それはともかく、そこまで言うなら……」


 組んでいた腕をほどき、言葉半ばでミハイルさんがずいと私に詰め寄ってくる。


「今夜は別の部屋でとは言わないな?」

「……は、はい?」

「後継ぎは俺一人では作れないんだが。またよく考えもせずに喋っていただろ」

「いえ、その、私はゆくゆくの話をですね」


 じたばたともがいてみたところで抵抗むなしく、あっさりと抱き上げられて否応なしに部屋まで運ばれる。そして気が付いたらベッドの上に降ろされていて、悲鳴じみた声が出た。


「い、今からですか!?」

「むしろ今以外にいつなんだ。せっかくリエーフもいないのに」

「いや、そうですけど……ちょっと待って」

「もう三年待ったんだが」

「だったらあと一年くらいはよくないですか?」

「鬼か。嫌なら嫌だとはっきり言え」

「い、嫌では……ないですが。絶対がっかりすると思うので……」

「するか馬鹿。嫌なら殴って止めろ」

「馬鹿って――」


 文句の途中で肩を押されて、背中がベッドに落ちる。

 それを殴って止められるわけもなく。

 でも別に止めたいわけでもなく。


「馬鹿はそっちです。殴って止めたい相手にあんな話するほど私は馬鹿じゃありません」


 覆い被さるようにして私の頭の横に手をついた彼が、そこで初めて動きを止めた。

 それをいいことに、口の減らない私は文句を言うのをやめられない。


「今までほったらかしてたくせに、急になんなんですか」

「……すまん。いない方が気楽なのかと思ってた」

「私をなんだと思ってるんですか。寂しいに決まってるじゃないですか!」

「そうは見えないのでな……言わんとわからん、とは俺が言えることじゃないか」


 頬を撫でられて、顔にかかっていた髪が滑り落ちていく。


「……前に、なぜお前を花嫁にしたのかと聞いたな」


 それも、帰ったら話すと言っていたまま聞いていない。

 聞かなかった私も悪いのかもしれないけど。

 でもきっと、忘れてはいないのだろうと思ってた。だいぶ遅いけど、私だって素直じゃないから文句は言わない。



「お前が好きだから、以外の理由があるか?」


 

 ……あんなに、あんなに勿体つけておいて。

 このタイミングはズルい。


 だから、やっぱり文句は言わせてもらおう。


「どうせ言うなら、もう少し素直に言えないんですか?」

「口は減らんが、顔が赤いぞ」

「うっ……見ないで下さい……」

「断る」


 目を細めて、ミハイルさんが笑う。今までで一番優しい笑みで。

 額が触れ、近すぎてそれも見えなくなって――目を閉じる。


 

 ――――が。



 ガシャン、とけたたましい音が下の階から聞こえ、目を開ける。



「……あの……今、なにかすごい音が……」

「聞こえん」

「いや絶対聞こえてますよね!?」


 なんなら今もまだ、何かが割れる音や壊れる音がひっきりなしにしてるんだけど。このままではお屋敷が壊れてしまうのでは――と焦り出した頃、遠慮がちな声が外からかかる。


「おーいご当主。邪魔して悪いけど、下に何かやばそうな客が来てるんだよね。レイラみたいな能力のなんかやばそうな堕ちてる死霊で、ちょっとぼくらだけじゃ手に負えないね」


 アラムさんの申し訳なさそうな声に、ミハイルさんが舌打ちして体を起こす。


「くそっ。今行くからあと少し待ってろ!」

「あはは、いいところだった? 坊ってば呪われてんじゃないの」

「これ以上妙な呪いをかけられて堪るか!」


 毒づきながらミハイルさんが襟元を直す。私も起き上がって髪をまとめ直していると、ふと彼がこちらを見る。


「ミオ、お前はここに――」


 言いかけた言葉を途中で止めたのは、私の表情だけで察してくれたのだろう。

 彼は小さく溜め息をついて、手を差し出した。


「……一緒に来い。もう地獄の果てまで離さないから覚悟しろ」


 その手を取って、握り締める。

 嬉しかったけど、素直に返事をするには少し――まだ、顔が熱くて。


「よろしい」

「くっ、あとで覚えてろよ」

「……あんまり切らないで下さいね」


 悔しそうな顔を見て小さく笑ってから、そう付け足す。


「そう言われても――」

「続きができなくなるので」

「……ッ」

「顔赤いですよ。さ、行きましょうか」


 ささやかな仕返しは、どうやら大成功だったらしい。まともに動揺したミハイルさんの手を引いて、私は厄介ごとに向かって歩き出した。





 ちなみにその後――結局怪我だらけになったミハイルさんは何日か安静を強いられることとなり、続きはなかったりしたのだが。


 それからおよそ一年後、プリヴィデーニ家には新しい家族が増えることになる。




 だけどそれはまた、別のお話。

 



 



*****************


レビューにて後日談をというお声を頂きましたので書きました!

読んで下さってありがとうございます。

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いずれも生きる糧にします。

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死霊使いの花嫁~異世界にトリップしたけど魔法が使えないので幽霊屋敷をお掃除してたら花嫁にされました~(元タイトル:幽霊屋敷の掃除婦) 羽鳥紘 @hadorikou

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