エピローグ

「さて、今日も張り切ってお掃除するぞ!!」


 あれから、瞬く間に半年が過ぎた。


 皇帝が崩御して、帝国は滅んだ。だけど国がなくなっても、そこに生きる人までなくなりはしない。


 ロセリアには広大な土地と豊かな資源がある。長く賢者によって守られてきたその土地に、帝国から移り住む人もいる。

 フェリニのように一部死霊のせいで関係が悪化した場所はあったものの、帝国は魔法を失って混乱するロセリアへの支援を惜しまなかったため、両国の関係はそこまで険悪ではなかった。余談だけど、ロセリアから略奪するのではなく、共存するように提唱したのはフェオドラさんの恋人――エノスさんだったらしい。


 ときおり、フェオドラさんは多忙の間を縫って手紙をくれる。帝国は民が指導者を選ぶ……いわゆる民主制へと移行するらしい。それに向けての問題はまだ山積みのようだけど、彼女は充実した日々を送っているみたいだ。


 レナートからは何の音沙汰もない。そのかわり、イスカも帝国やロセリアに色々と支援をしているようだとリエーフさんから聞いた。


 ミハイルさんは……

 傷も癒えないうちから、ロセリア国王から呼ばれたり、死霊の相手をしたり、プリヴィデーニ領の視察に行かなければならなかったりとすごく忙しそうだった。今では怪我も完治して、ますます多忙にしている。リエーフさんもその補佐でてんてこまいなので、私は主にエフィルと生活面で彼らを支えている。


 というわけで、今日も私は掃除を――



「ミオ様、こんなところで何をなさっているのですか!!」



 ――しようとしていた手が、悲鳴のようなリエーフさんの声にとめられる。


 ギクリとして、私は彼を振り返った。


「あ……おはようございますリエーフさん」

「今日が何の日かお忘れですか!?」

「わ、忘れてないですけど、少しお掃除する時間くらい……」

「さすがに今日くらいは掃除のことをお忘れ下さい!」


 リエーフさんは私からホウキを奪い取ると、ずるずると部屋の一室へ引きずられていった。


「そろそろ皆様もお着きになられますよ。フェオドラ様と、そうそう、結局レナート様もいらっしゃるとか。素直じゃないですねぇ、あの少年も」

「え、本当ですか!? 会いたい!」

「貴女様はご準備があるでしょう! 全くもう……ほら、そこにお座り下さい。髪を結ってお化粧して……、ああ、間に合うでしょうか」


 ぶつぶつと呟きながら、リエーフさんが私の髪を結い始める。


 それから、あれよあれよという間に髪を結いあげられ、化粧を施され、着替えさせられて。



「うう……感無量です。わたくし、この日をどれだけ楽しみにしていたか!!」



 まだつけていないヴェールを手に、リエーフさんが比喩ではなく、実際にボロボロ涙を流してワンワン泣き始める。


「そんなに泣かなくても……」

「うううっ、ずずっ、ご主人様を呼んで参りますのでヴェールは後にしましょうか。色々するのにお邪魔でしょうし」

「色々しません」

「……本当に黒で良かったのですか? こちらでは、白が一般的でございますが」

「いいんです。好きな色ですから」


 そう言うと、再びリエーフさんが泣き出す。めんどくさいな、もう。そして、ずびずび言いながら出ていった。


 改めて、姿見に自分の姿を映す。

 あれから半年……毎日リエーフさんにうるさく言われるから、というわけではないけど。


 ようやく、式を挙げることになった。ドレスは何色がいいかと聞かれたので黒と答えた。単に白は汚れやすいから苦手というのもあるんだけど、それとは別に、……ささやかな覚悟もあって。


 扉が開く音がして、緊張に胸がこわばる。

 リエーフさんがぐいぐいとミハイルさんの背中を押して部屋の中に入ってくる。


「どうですかご主人様、お綺麗でございましょう!!?」

「うるさい耳元で喚くな」


 いつも通りの不機嫌な声が聞こえて、ほっとしたのも束の間。顔を上げて……また下ろす。


 普段の礼服よりも少し豪華な装飾を纏って、髪もセットされてて……、いつも通りじゃない。直視できない。


「ではでは今少しお時間もありますゆえ、後は若い者同士でごゆっくり」


 なにやら年寄り臭い台詞を吐いて、リエーフさんが退室していく。

 パタンと扉が閉まると、部屋には静寂が訪れた。

 うう。気まずい。何を話せばいいのだろうか。わからないけど、ずっと黙ってるのも変だし。


「……すまんな。リエーフが我儘を言って」


 壁にもたれて、ミハイルさんがぼそりと呟く。多分、この気まずい空気に気を遣ってくれたのだろう。


「いえ、別に嫌なわけでは」

「取り繕わなくていい」

「本当に。ミハイルさんこそ、疲れてるんじゃないですか? いつも忙しそうですし」


 少し開いた距離で、ミハイルさんがじっと私を見る。

 うぅ、ダメだ恥ずかしい。やっぱりやめとけば良かったかもしれない。


 ちなみに……いまだに部屋も別だし、あれからも特に何もないのである。ミハイルさんなかなか怪我がよくならなかったし、いつも忙しそうだし。


 ……忙しそうで。なかなか、声を掛ける暇もなくて。ずっとゆっくり話もしていない。


「……すまんな。結局ちゃんと話もできなくて」

「いえ、いいんです! 気にしないで下さい。ミハイルさんが忙しいのわかってますし、私なら平気ですから」

「…………」


 確かに、帰ったら話すと言われていながら特に何も言われていないことには思うこともあるけど。少しほっとしているところがあるのも確かだからそう言うと、彼は複雑そうな顔をした。


「……いつまで」

「え?」

「そんな他人行儀な話し方をしてるんだ? 使用人というわけでもなし」

「あ……そうですね。すみません……」

「敬語じゃなくていいし、呼び捨てで構わん」


 いや、そう言われても。年上に対してはそうしてきたから……リエーフさんにもフェオドラさんにも敬語だし。

 でも、焦れたように見られて仕方なく口を開く。


「わ、わかりました。ミハイル…………さん」

「……別に無理はしなくていい」


 諦めたように言う、その目には少し呆れが見える。


「あの……ごめんなさい」

「気にしなくていい。ただ、少し羨ましかっただけだ。レイラやエドアルトと話すように気楽にしてくれればと思ってな」

「レイラたちは年下ですので……でも、そうなれるように頑張ります」

「そんな気負うことじゃない。……座るか」

「あ、私はこのままでいいです。ドレスが重くて動きづらいので」

「手伝おう」

「いえ、ほんとに。多分もうすぐリエーフさんも来ますし。ミハイルさんは座ってて下さい」

「……なぜ、黒に?」


 突然問われて、答えに困る。


「黒は嫌いですか?」

「……あまり」

「自分だって真っ黒なのに?」

「俺はどうにも白が合わん。とリエーフが。他は自前だ」

「私だって、髪も目も黒ですよ」

「そうか? お前のは少し茶に近い……」


 ミハイルさんが髪に触れようとするので、反射的に身を引いてしまった。


「……」

「あ、ごめんなさい。ええと」


 何か言いたげに見られて、慌てて言い訳を探す。


「笑わないで下さいね……?」

「何が」

「黒にした理由です」


 結局うまい言い訳なんてないから、本当のことを言うしかないんだけど。


「白って何色にも染まるじゃないですか。私はそんなに無垢じゃないので。……あなた以外には染まらないという……意味で……」

「……それのどこに笑える要素があるんだ」


 いや、そんな大真面目に聞き返されても。だめだ死ぬほど恥ずかしい。


「わ……忘れて下さい……」

「断る」


 今度は抵抗する暇もなく。

 腕を引かれて抱き寄せられる。

 ……やっぱり慣れる気はしないんだけど。だけど悔しいほど、その腕の中は心地良い。

 

「……やっぱりちゃんと言っておく」


 少し心音が早まる。


「俺は――」


 例え残された時間が同じだとしても、絶対ではなく限りがあるからこそ。その先を決して聞き逃さないよう、息さえ止めて待った――


 のだけど。


 ズダン! 


 という激しい音にかき消されて見事に聞き逃した。黙って振り向いた彼の視線の先で、扉が外れて倒れていた。

 その上にリエーフさんが、レナート、エフィル、フェオドラさんが積み重なって倒れている。さらにその後ろには、レイラとエドアルトとアラムさんがいた。


「くそっ、誰だ押した奴!!」

「お、重いです……ッ」

「リエーフがドアを圧迫しすぎたのでは?」

「い、いいところにございましたのにいいいぃぃ!!!!」

「レイラは見ちゃ駄目だよ。まだ早い」

「あたしはもう子供じゃないですお兄様!」

「レイラが見れないとこまで漕ぎ着けるのにまだ時間掛かりそうだけどねぇ」


 それぞれ思い思いのことを言い、ミハイルさんがふるふると体を震わせる。それに気付いてか、リエーフさんが慌てて居ずまいを正す。


「失礼しました。どうぞ先を」

「やかましいわ!!!」


 屋敷を揺らすほどのミハイルさんの怒声に、声をかける間もなく野次馬たちがぱっと退散していく。それを後目に、足元に弾け飛んで落ちている留め具を見て嘆息する。


「直るかな、これ……」

「ですからミオ様、今日くらいは屋敷の修繕や掃除のことは忘れて、坊ちゃんのことを考えてあげてください」

「まずお前が考えろ!」


 ミハイルさんに首を絞められながらハンカチを目頭に当てるリエーフさんに、ミハイルさんが突っ込む。 


「うう……ではわたくしも退散しますゆえ。あ、準備はできておりますので、済んだら来て下さいね!」


 そう言って、リエーフさんも壊れた扉からそそくさと出ていく。


「ちょっと待っ……」


 来い言われても、ドレスとヒールのせいで一人で歩けそうにないんだけど。呼び止めようとした私の体が突然浮いた。私を抱き上げて、不機嫌そうにミハイルさんが歩き出す。


「くそ。続きは今夜だ」

「こっ……」


 今夜ってその。

 帰ったら覚えてろと言った声を思い出して、慌ててそれを思考から追いやる。のぼせそうになる顔を精一杯隠しながら、必死で何でもないような声を取り繕う。


「多分、今夜もさっきの二の舞ですよ」

「さっさと全員帰してエフィは寝かせてリエーフは監禁する」

「時間掛かりそう。じゃあ私は扉直してます」

「リエーフじゃないが、少しは掃除より俺のことも考えてくれ。もう三年以上だ。このままじゃ先に寿命が来る」

「考えてますよ、掃除の次に」

「お前は本当に可愛いげがない」

「仕方ないでしょう。それが貴方の花嫁です」


 呆れたように溜め息をついて、ミハイルさんが立ち止まる。そして私を見下ろしてふっと笑った。


「……まあいい。なら、ずっと俺の傍で掃除でもしててくれ」

「はい!!」


 その首に両腕を回して、満面の笑みで返事をする。




 病めるときも、健やかなるときも。


 今度こそ、最期の時まであなたの傍に。






 死霊使いの花嫁・完







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