第92話 八百年の歳月

 思ってたよりも、天井裏は狭かった。私でも辛いから、リエーフさんなどはもっとギリだ。なのにリエーフさんの方が私よりすいすい進んで行く。


「大丈夫ですか、ミオ様」

「はい。もう少し動きやすい服なら良かったんですが」


 とはいえ、皇帝に会いに来るのにラフな格好というわけにもいかなかっただろう。言ってる側から、スカートの裾が配線に引っ掛かる。それを引っ張っていると、にわかに下が騒がしくなった。この声は、フェオドラさんと……皇帝? 


「……なぜ……殺した!」

「……から……」


 足元から聞こえてくる声は籠っていてよく聞きとれない。さらに身をかがめて、床にピッタリと耳をつける。


「……エノスは幽霊伯爵に会ってはならんと言って譲らなかった。私がその力を軍事利用するとでも思っていたのだろう」

「その方がまだいくらかマシだったと言わざるを得んな。今の私欲しかない陛下に比べれば」

「私欲? 私欲で動かない人間などいないだろう」


 きっぱりとした口調で皇帝が言い放つ。


「賢者とて自分が神になるためにロセリアを作った。それに比べたら私の欲などささやかなものではないか。いつか結界を壊し、私が失ったものを取り返すため……その目的はあれど、私がこの八百年帝国の発展に尽くしたのは事実だ」

「ならば、帝国は八百年も前から貴様の手の上で踊っていたというのか!」


 フェオドラさんの声には憤りがこもっていた。だけどこれは、怒っているというより時間を稼いでいるようにも思える。もしそうなら、聞き入ってる場合じゃない。

 だけど……ここじゃ表情も見えないし、状況もわからない。


「ミオ様」


 リエーフさんの囁き声に顔を上げると、少し離れたところからリエーフさんが手招きしていた。この薄暗さでそれがわかるのは、彼の足元から漏れ出す光があるからだ。


「ここから見えます」


 リエーフさんが指し示す一角は網状になっている。絡まっていたスカートを力ずくで引っ張って破き、リエーフさんのところまで這いずっていく。だいぶ視界は悪いが辛うじて下の様子が見えた。


「……まずいですね。ご主人様の姿が見えません。あの二人だけでは……」


 皇帝は遠くからでも自分の血で攻撃できるし、死霊も使う。戦いになれば、きっと長くは持たないだろう。あの二人の身も心配だけど、ミハイルさんの安否も気にかかる。かといって迂闊に動くこともできない。


「私の手で踊ることを選んだのは帝国だ。犯した罪ゆえか廻ることのできず漂う我が魂を、当時の皇帝が受け入れた。向上心のないイスカと違い、帝国は常に貪欲で、のし上がることに手段を選ばなかったからな」

「それが向上心だと? 笑わせる――ッ」


 祖国を貶められて黙っていられなかったのか、口を挟んだレナートの体が、突如前触れもなく崩れ落ちた。何か、光が弾けたように見えたけれど。力を使ったのだろうか?

 私の考えを読んだかのように、リエーフさんが小さく首を横に振る。


「あれは……魔法ですね」

「魔法!?」


 確かに、伯爵は賢者に劣らぬ魔法の使い手とは聞いていた。聞いていたけど……、ミハイルさんと同じ死霊使いとしての力を持つ上に、魔法まで使えるなんて。

 いよいよ勝算がないように思える。


「滅びゆく帝国を魔法だけで救うことは叶わず、私は外法を研究し続けてこの雪を生み出した。だからこそ帝国は栄え、ここまで永らえたのだ。感謝されても恨まれる理由はない」

「はっ。今の帝国の惨状で感謝しろと?」

「永遠に栄えるものなどない。ロセリアとてそれは同じであっただろう」


 つまらなそうに吐き捨て、皇帝がゆっくりとフェオドラさんに向かって手の平をかざす。その手に光が収束していく。


「……皇帝陛下ともあろうものが、遠くからなぶり殺して満足か? 剣で勝負しろ」

「はははっ、エノスと同じことを言うのだな。なぜ私がそのような原始的な武器で戦わねばならんのだ」


 ――なぜ、帝国は便利な資源を持ちながら剣で戦うのか。

 嘲るような皇帝の笑い声に、悔しげに歪むフェオドラさんの顔に、答えを見てしまった。


 きっと、自分にとって脅威となる存在を生み出さないため。


「だがエノスを殺したのは失敗だったな。大元帥不在のせいで私の負担が増え、余計に身動きが取れなくなってしまった。こうして君が連れてきてくれたことには感謝せねばな。レノヴァ少佐」

「……ッ、貴様ァ!!」


 挑発をまともに受けたフェオドラさんが、剣を振りかぶって皇帝へと走る。だが皇帝はその場から動くことなく、かざした手を横に振った。その軌跡が光を描き、刃となってフェオドラさんへと襲い掛かる。間一髪、フェオドラさんは大きく横に跳んでそれを避けたが、光もまた軌道を変えてフェオドラさんへと向かう。


「……!」


 光が彼女の脇腹を掠めて、血飛沫が舞う。


「フェオドラさん!」

「お待ちください、ミオ様。わたくしが行きます。もはや説得が通じるとは思えませんが、時間は稼げるはず。ミオ様はご主人様をお探し下さい!」


 身を乗り出した私の体を掴んで押し戻し、リエーフさんが金網を蹴破って飛び降りる。金網が床を叩く大きな音に、今まさにフェオドラさんに止めを刺そうとしていた皇帝が動きを止めてそちらを見やった。


「……リエーフか」

「もう終わりにしませんか。旦那様」

「誰に意見している」


 ぐっとリエーフさんが怯む。だが、なおも彼は言い募った。


「意見ではなく、お願いにございます。もうこれ以上、旦那様に罪を重ねてほしくありません」

「いつ私が罪を犯したというのだ?」


 心底わからない、という顔で皇帝が首を傾げる。


「愛する者を失いたくないということの、取り返そうとすることの何が罪だと言うのだ」

「奥様をその手にかけたのは旦那様ご自身でございましょう!」

「だからこそ、それを償うための八百年であった!!」


 今度こそ、リエーフさんが言葉を失う。


「私が逝けぬのは妻の呪いだ。それが具現化したものこそがあの指輪……代々の当主を縛り、屋敷の魂を統べる役目に導く呪い。それを解くためにも、私は償わねばならん」


 こんなことが、と。リエーフさんが呟く。

 私だって思う。世界を歪めて、魂を歪めて、こんなことが本当に償いになるのだろうか。だけど、それを決めるのは私じゃないから……わからない。


「そこにいるな、白石澪」


 皇帝が顔を上げ、咄嗟に顔を引っ込める。……いや、無駄か。もうばれてる。


「旦那様、いい加減目をお覚まし下さい! 奥様とミオ様は別の人格、別人でございます!」

「だが魂は同じだ。魂さえ同じなら記憶を引き出すことはできる。代償はいくらでも払える。この国に循環させている生命エネルギーからでも、それで足りなければ兵士も民もいくらでもいる」

「……貴方にとってひとつの命は、そこまで軽いものになってしまったのですね……」


 ……無理もない、と思う。

 だって失いたくない命を、この人は取り戻すことができたのだから。

 もう隠れていても意味はないだろう。改めて顔を出し、辺りを見回して……寒気がした。

 おびただしい血の跡。

 この僅かな時間で、フェオドラさんもレナートもボロボロだ。

 だけどあちこちに残るこの血の跡は……きっと。


「……今、そっちに行きます」

「馬鹿か! お前が来て何に」


 今までうずくまっていたレナートが、再びその場から弾き飛ばされる。


「やめて! 言うことを聞くと言ってるんです。それともこの体がどうなってもいいんですか? また時間をかけて、異世界まで魂を探しますか?」

「…………」


 ただのハッタリだ。言ったものの、私にはこの場で死ねるような覚悟などないし手段もない。多分皇帝にも見透かされてる。それでも彼は嘲るように笑いながら、手を下ろして少し後ずさった。


 下まで大した高さではないものの、私がここから飛び降りるには少し高い。それでもそろそろと足を下ろす。


「ミオ様――」

「動くなリエーフ」

「しかし、怪我をされるかもしれません!」

「この程度の高さで死にはしない。魂が無事ならばよい」


 歯を食い縛り、心配そうに見上げるリエーフさんに大丈夫だと目配せし、意を決して飛び降りる。

 でもやっぱり着地しきれず、足を捻って無様に転倒してしまう。


「ミオ……」

「大丈夫です」


 脇腹を押さえながら、フェオドラさんが私を見て唸る。

 なんとか起き上がったものの、あちこち痛い。床にはカップや窓ガラスが散乱してる。頬を何かが流れる感触がして、手で擦ると血で汚れた。

 立ち上がれば、捻った足首が痛んだ。でも歩けないほどじゃない。フェオドラさんもレナートも、もっと酷い怪我をしてる。

 それに……


「……ミハイルさんはどこですか?」


 問うと、皇帝は窓の外に視線を移した。

 最初にお茶を飲んでいた部屋。硝子張りの一角は見事に割れて、風が吹き込んでいる。


「外で死霊に食われている。見たければ見に行くがいい」

「……っ」


 痛みも忘れて窓へと駆け寄る。落ちれば無事にはすまない高さから、彼の姿を探す――いや探すまでもなかった。瓦礫のような城の一部に、大量の死霊が群がっている。


「ミハイルさん!!!」


 駆け寄りたくとも、ここから高さも距離もある。とても私には飛び移るのは無理だ。


「まだ生きてはいる。君が言うことを聞くなら、彼もこれ以上苦しむことはないだろう」


 今は、そうかもしれない。だけど、ここで私が皇帝に従っても、助けてくれる保証なんてない。

 それに、あの人はきっと諦めたりしない。リエーフさんも、フェオドラさんも、レナートだって、きっと。


 割れたガラスを踏みしめて、窓際ギリギリまで歩いていく。破れたスカートを、風が巻き上げる。


「もうハッタリはよせ。君にそこから飛び降りて死ぬ勇気などないだろう」


 確かにその通りだ。……だけど。

 一度だけ皇帝を振り返ってから、再び窓の外へと向き直る。そして息を吸って、吐き出す。


 大丈夫。怖くなんてない。


 そのまま私は床を蹴ると、風の吹きすさぶ外へと身を躍らせた。

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