第91話 或いは希望
エドアルトにはミハイルさんの居場所がわかると言うので、彼に先導されて城の中を走り抜ける。時折襲ってくる帝国兵もいたけれど、エドアルトとフェオドラさんが蹴散らしているうちにその数も減ってきた。代わりに死霊の数が増え始めると、瞬く間にレナートが消耗していった。いや、レナートだけじゃない。
「エドアルト、大丈夫? 調子が悪そうだけど……」
剣さばきに危なげはないのに、その表情には苦悶に歪んでいる。
「当主が消耗すれば僕にも影響が出る。というか、交戦しながら僕を維持するなんて無茶なんだよ」
確かに、それが可能ならフェリニでもネメスでもそうしていただろう……、プリヴィデーニでは戦っていなかったけど、それでもレイラを顕現させ続けることに疲れを見せていた。でも今はそれより長い時間エドアルトを顕現させ続けてる……
……本当にあの人は、自分の身を顧みることを知らなすぎる。
「嫌な感じだ。多分もう近いだろう……ミオ、お前はそろそろ身を隠した方がいいんじゃないか?」
肩で激しく息をつきながら、レナートが私に視線を投げる。
「お前が皇帝に捕まりでもしたらあいつもおれ達も立ち回りが難しくなる。何をするにせよ、おれが囮になるからお前はなるべく見つからないようにした方がいいだろう」
「そんな。そこまでしてもらうわけには」
「ならば私も陽動要因に加えてもらおうか。だいぶ役立たずになってきたんでな……」
否定しかけた私の声に被せて、フェオドラさんが悔しそうにぼやく。フェオドラさんの剣は死霊をすり抜けてしまう。だけど、リエーフさんがナイフを飛ばすと死霊は嫌がるように離れていくのだ。今も一体追い払ったリエーフさんを見て、レナートが解せない、という表情をする。
「……なあ、さっきからお前、ちょいちょい死霊を追い払ってるが……何でだ?」
「何ででしょうね? わたくしの武器が歴代当主の血を吸ってるからでしょうか。この八百年、当主に武芸を仕込んできたのはわたくしですから」
リエーフさん自身も不思議そうにナイフを見ながら物騒なことを言う。が、レナートは「なるほど」と呟いてから、フェオドラさんの剣をまじまじと見た。
「おい、ちょっと剣を貸せ」
「……?」
怪訝な顔で剣を差し出すフェオドラさんから、それを受け取りはせず、レナートは刀身に自分の人差し指と中指を触れさせた。淡い銀色の光が剣を包む。
「おれの力を剣に纏わせることで多少の影響を与えられるかもしれん。うまくいっても霊が嫌がる程度のものだろうし、気休めにもならんかもしれんが」
「いや、助かる。ありがとう」
フェオドラさんが嬉々として謝辞を述べたと同時くらいに、エドアルトの体が大きく体制を崩した。
「エドアルト!」
フェオドラさんとレナートが彼に走り寄って、今までエドアルトが相手をしていた死霊を二人がかりで散らす。床に膝をついたエドアルトに駆け寄ると、彼の体は薄く透き通っていた。その今にも消えそうな手が、すっと向こうの扉を指す。
「あの先にいる。……けど、もう限界みたい。ごめん、ミオ」
「ううん。ありがとう、エドアルト」
「……気を付けてね」
微笑みを残して、エドアルトの姿が消える。
「……私とレナートで先行する。ミハイルが窮地にいるなら私たちが時間を稼いでいる間に立て直してくれ」
「待って下さい。わたくしならば旦那様と会話で時間が稼げるかもしれません」
「私たちだけではいくらも持たん。状況によってそうしてくれ」
そう言って、フェオドラさんは辺りをぐるりと見まわした。
「天井裏に身を潜められそうだな。配管が邪魔だが君らの体型なら行けるだろう。レナート君も上から行くか? 私は胸が詰まって無理そうだから正面から行くが」
思わず、私たち三人の視線が彼女の示す場所に向いてしまい。慌てて逸らした私とレナートの視線が合って、気まずそうに互いに逸らす。
ごほん、とレナートが咳払いをして、首を横に振った。
「こそこそするのは性に合わん。おれも正面から行く」
「はは、私もだ。執事、そこの通気口を開けるから肩を貸せ」
「……貴女様の執事ではないのですが」
苦言を呈しながらも、リエーフさんが身を屈め、フェオドラさんがその肩に乗る。フェオドラさんは女性にしては長身だし、体格も良いんだけど、リエーフさんは軽々と立ち上がった。
「おっ、意外と逞しいな」
「鍛えておりますので。しかしいくら鍛えてもこの体型なんですよね。坊ちゃんのような男性らしさには憧れます」
「わかるぞ。私もミオのように小さくて可愛らしい女性には憧れる」
ミハイルさんはともかく、フェオドラさんが私に憧れる要素なんて一つもないと思うんだけど……、それに。
「私、しょっちゅう可愛げがないって言われるんですけど……」
「坊ちゃんにですか? それは可愛いの裏返しでしょう」
「そ、そんなこと……なんでリエーフさんにわかるんですか」
「私にもわかるぞ。いつも可愛くて仕方ないっていう目で見てるからな」
「どこがです――」
「よし、外れた」
フェオドラさんが通気口の蓋を外し終えて、リエーフさんの肩から飛び降りる。入口もできたことだし、どうせこの二人に反論しても無駄だし。釈然としないながらも口を閉ざす私を見て、フェオドラさんがククッと笑う。
「リエーフ。この件が終わったら、焦れったい君の主人達を肴に一杯やろうか」
「……それは楽しみですね」
にこっとリエーフさんが笑い、フェオドラさんが蓋を投げ捨てる。
……もし、皇帝を止められても。帝国は確実に混乱に陥るだろう。その要因である私たちが無事帝都を出られる保証もない。生命エネルギーで暮らしていた帝国、その帝国の庇護の元にいたロセリアの生活もどうなるかわからないし、この件が片付いたら死霊が消える、なんて都合のいい話もきっとない。
皇帝を倒せばそれで終わりではなく、始まるのだ。それも恐らくは、苦悩と混乱の日々が。
だけど、それがわからないフェオドラさんでもないだろうから……だから、私も不安を隠してそっぽを向く。
「勝手に人を肴にしないで下さい」
「ははは。ミオとはまた温泉に行きたいな」
多分来ない、いつかの話。それは儚い虚言にすぎない。しかし、或いは希望と呼ぶこともできる。
「レナート君は……さてどうするか」
「どうもなるか。そもそもここが上手く行っても、むぐ」
空気を読まないレナートの口を手で塞ぐと、リエーフさんは一際明るい声を上げた。
「みなさん、色々先の展望をお考えと思いますが……まずはぜひ! 当プリヴィデーニ家の結婚披露宴にいらして下さいね!」
満面の笑みで嬉々として言うリエーフさんに、私は脱力して溜め息をつき、レナートは呆れたように半眼でリエーフさんを見た。だけどそのうち、ふっと笑って腕を組む。
「ま、暇だったらな」
「安心しろ、私は暇を作ってでも出席するぞ。頭数に入れておけ」
「かしこまりました。……では」
和やかになった場は、だがその一言で温度が変わる。顔から笑みを綺麗に消したフェオドラさんが、剣を握りなおして答えた。
「ああ。行くぞ」
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