第90話 誰よりもわかるから
「なるほど、つまり……我らが皇帝陛下と、プリヴィデーニ家の祖先は同一人物であったということか」
半ばヤケクソ気味に、フェオドラさんがこのややこしい事態を一息でまとめる。
「まったくわからん。頭が痛くなってきた」
そしてまとめておいて、即座に否定する。
ミハイルさんもリエーフさんでもわからないと言っていたし、私だってわからないけれど。
髪をかき上げて唸るフェオドラさんに、少しフォローを入れる。
「ロセリア国王には、代々賢者の記憶と人格があったみたいです。だからそれと同じような感じなのかもしれません」
「そんな魔法のような話……」
言いかけてフェオドラさんは口を噤んだ。ロセリアが魔法王国だったのは周知の事実だ。そしてプリヴィデーニ伯爵はロセリアの人間だ。魔法のような話があってもなんら不思議ではない。
「確かに、旦那様には賢者に匹敵するほどの魔法の才がありました。あり得ない話ではないかと」
「しかし、件のプリヴィデーニ伯爵は千年近くも昔の人物なんだろう? 帝国皇帝は代々プリヴィデーニ伯だったとでも言うのか?」
「そこまでは……旦那様に直接お聞きしないと」
「そもそも、その千年前の人物とお前に何故接点がある?」
リエーフさんとフェオドラさんの会話に、レナートが口を挟む。リエーフさんはしばらく言葉を迷っていたが、やがて小さく息をついて口を開いた。
「……お仕えしていたからですよ。正確には千年は言い過ぎです。八百七十年ほど前でしょうか」
深紅の瞳が、どこか懐かしむように遠くを見る。すぐには理解できなかったのだろう。フェオドラさんとレナートがぽかんとした顔をする。だがレナートはすぐに訝しそうな声を上げた。
「馬鹿な。お前からは異質なものを何も感じない。ただの人間だ」
「ええ、今は。三年前、ミオ様が呪いを解いて下さいましたから」
「お前と皇帝……いや伯爵は一体何をした。何をしたらそこまでの呪いを受ける。尋常じゃないぞ」
「魔法を用いて死人を甦らせました。自らのお子を」
しん、と辺りが静まる。エドアルトは俯き、フェオドラさんは目を見開いて、レナートは顔をひきつらせていた。
「いくら魔法でも、そんなことができてたまるか!」
「ですが甦ってしまったのです。賢者は様々な要因が複雑に重なった結果だと言っておりました。その魔法を使うためには命が必要だと言われ、わたくしはこの命を。そのせいで不死の呪いを受けたわけですが……しかしそれだけではうまくいかず、逆上した旦那様は奥様も含めお屋敷中の者を殺害しました。当時プリヴィデーニ伯爵家には、魔法王国を作ろうとする賢者に背いた者たちが多数暮らしておりました。以前レナート様が屋敷から連れ出したレイラ、そこにいるエドアルトもその被害者です」
それは……私も知らなかった。じゃあ多分……アラムさんも。
レナートがひきつった顔のまま、おぞましそうに呻く。
「そうして甦った者の子孫があいつなんだな。信じたくはないが合点がいった。あの呪印は死そのもの……即ちあいつ自体が死そのもの、その意味が。あれは存在してはいけない証だ」
ぎゅっと。爪が刺さるくらいに固く手を握り締める。
その存在とその血こそが罪だというのはあまりに理不尽だ。彼自身が犯した罪ではないのに。
「……おい、だからってあいつに消えろと言ってるわけじゃないからな?」
少し焦ったような声が聞こえて、噛み締めていた唇を緩める。顔を上げると、気まずそうに私を見ていたレナートが目を背けて呟いた。
「行くんだろ? おれも連れていけ。多少なら死霊の相手もできる」
「え……?」
何を言われたのか本当にわからなかった。戸惑う私に、今度はフェオドラさんが苦笑する。
「あいつは怪我をした執事を抱えてミオを守りながら、私たちの退路まで確保した。文字通り身を削って、ひしめく死霊を散らしてな」
「頼んでないのにお人好しにも程がある。狙われてんのはそっちなんだぞ。おれだって少しくらいなら霊と戦えるのに」
レナートがフードを取りはらい、乱れた髪を縛り直す。悔しそうに言う様は、年よりも少し子供っぽく見えた。
「だが……悔しいが、おれだけの力ではどうにもならんのも事実だ。皮肉だが、どうにかできるとしたらあいつだけだろうとは思う。直接の戦力にはなれんだろうが、お前に手を貸すくらいならおれにもできる。このまま逃げ帰るのは癪なんでな」
「私も同じだ。私は帝国の人間だが、もう皇帝には従えん。死霊とは戦えんが、皇帝を妄信する兵の相手ならできる」
「ま……待って下さい。どうして私に力を貸してくれるんですか? 私、一番何の力もないんですよ」
だから、あの人だって私を置いていったのに。
「でも君は行くつもりなんだろ? 一人でも」
「無謀じゃないですか。行っても無駄だと言わないんですか?」
「むしろお前にそれを言うのが時間の無駄だろ」
「……どうして」
平気だったはず。納得していたはずだった。なのにどうして今になって。
喉から込み上げる嗚咽が、体中が震えるのが、止められない。
「どうして二人でもわかってくれることを、あの人はわかってくれないんですか!」
絶対に取り乱したりしないって、思ってたのに。取り乱したりすれば連れていってもらえないと思っていたから。説得するためには、足手まといにならないためには、戦力になれることを示すにはどうしたらいいかって、ずっとずっと考えていたのに。
なのに誰も反対しないから、逆に悔しくて堪らなくなってしまった。
でも、だからって。こんなときに泣き崩れるほど、自分が弱くて情けなくて馬鹿だったなんて。
「……ミオ」
フェオドラさんが、私の名を呼んで肩を引き寄せる。
呆れていいのに。自分でも引いてる。優しさが辛くて彼女の手を避ける私の耳元で、彼女が囁いたのは、だけど叱咤でも激励でもなかった。
「さっき私の前に現れたのは、死んだ私の恋人だった。すまんな、こんな状況にした責任の一端は私にもある」
彼女が淡々と語ったことに、抗っていた力が抜けた。そのまま私をの肩を軽く抱いて、フェオドラさんが先を続ける。
「プリヴィデーニ侵攻以来皇帝の様子がおかしいことは、エノス……彼から聞いて知っていた。彼は自分に何かあれば私に軍を離れるようにとも言った。従うわけがないのにな。それでも言わずにはいられなかったんだろう。誰よりもわかっているからこそ、言わずにはいられないということもある」
「……、フェオドラさん……」
「君たちはまだ間に合う。会って存分に怒ればいい」
フェオドラさんが体を離して優しく微笑む。フェオドラさんが立ち上がって、私も涙を拭いて立ち上がった。
私が泣き崩れてから立ち上がるまで、リエーフさんもエドアルトも、レナートですらも、誰も咎めもせず、黙って待っていてくれた。
……だから、もう立ち止まってはいられない。
考えなきゃ。考えることはたくさんあるけど、全部一気に片づけられることじゃない。優先順序を決めるなら、まずは皇帝をどうにかしなければ。でも、リエーフさんのナイフを眉間に受けても、致命傷を与えられたようには見えなかった。
レナートの言う通り、皇帝をなんとかできるとしたらミハイルさんだけだろう。でも……
「……あの数の死霊を相手にしていたら、ミハイルさんはまともに皇帝と戦えません。指輪があれば死霊は私が消せます。でもミハイルさんに指輪を取られてしまいました」
「ネメスでお前がやったあれか。しかし何故だ? それならお前を連れて行った方が良かっただろう。身を案じたとしても、そんな道具があるなら持たせていた方が安全だろうに」
レナートの疑問に、私は答えを迷った。
どうしよう。正直に言っても二人は協力してくれるだろうか……、けれど私が答える前に、エドアルトが声を上げていた。
「それをすればミオの命が減る。だからプリヴィデーニ伯爵夫人は代々短命なんだ」
しばらく、フェオドラさんとレナートの二人は黙ったままだったが。ややあってフェオドラさんが顔を上げる。
「なるほどな。あいつがミオを置いていくわけだ……」
「でも、ミハイルさん一人じゃ無理です。まずはなんとかして指輪を取り戻します。だから……お願いです。私を彼のところまで連れていって下さい」
フェオドラさんとレナート、リエーフさん、そしてエドアルトがそれぞれ視線を交わし合う。
そんな中、ふとエドアルトがはっとしたように胸を押さえた。
「当主が交戦してる」
「……迷っている時間はありませんね。急ぎましょう」
ミハイルさんの力で顕現しているエドアルトにはわかるのだろう。
彼の言葉を聞いて、リエーフさんがみんなを促す。私たちはそれぞれうなずくと、扉の外へと飛び出した。
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