第89話 花嫁の決意

「……ミオ様」


 足音と気配が遠のいて、しばらく経った頃。

 エドアルトはただじっと私を見ていたけれど、リエーフさんがしびれを切らしたように声を上げる。私の名を呼びながらもその先を迷う彼に、こっちから問いかける。


「確認したいことがあります。皇帝はお屋敷が呪われる原因となったミハイルさんのご先祖で、リエーフさんの最初のご主人様……という解釈で合っていますか?」

「え、ええ。何故そういう事態になっているのかはわたくしにもわかりかねますが」


 自分で思っていたより、ずっとしっかりした声が出た。そんな私の様子が意外だったのだろう。リエーフさんが気圧されたように肯定する。


「怒っておられますか?」

「別に。少し呆れてはいますけど」


 それでも一つだけ良かったと思えることは、急な展開のオンパレードで混乱した頭が、ようやくマトモに動き出したということだろうか。目の前で開いた手は震えていない。うん。冷静だ。


「……待って、皇帝が当主の先祖ってどういうこと?」


 今まで黙って成り行きを見守っていたエドアルトが耐えかねたように口を挟む。


「エドアルトはその人を知っているの?」

「知ってるもなにも、僕がこんな体になったのは――」


 ちらりとリエーフさんが扉に視線を走らせる。エドアルトも口を閉じ、剣に手を掛けると、扉の方に歩いていった。それより少し遅れて、扉の外が騒がしくなる。


「この声。フェオドラ様とレナート様ですね。交戦中のようですが……」


 エドアルトが目配せして、リエーフさんが私の前に立ちナイフを構える。それを確認してから、エドアルトは少しだけ扉を開けて外の様子をうかがった。


「死霊ですか?」

「ううん。帝国の兵士みたいだね」

「……どうしてフェオドラさんと帝国兵が?」

「皇帝に逆らえばそうなるでしょう。……わたくしは手負いですし、エドアルトもいつまで保つかわかりません。合流した方がいいでしょうか」

「そうですね。向こうの情報も聞きたいですし」


 迷わず答えた私を見て、リエーフさんが小さく息を吐く。


「エドアルト、行けますか?」

「わかった。敵を片付けてあの二人を連れてくればいいんだね」

「ごめんね、危ないことばかり任せて。気を付けて」


 ちょっとそこまで、という感じで出ていこうとするエドアルトの袖を引く。いつものぼんやりした顔で私を見下ろし、エドアルトが首をかしげてみせる。


「ミオは変わってるね。死人の心配をするなんて」

「傷つくのを見るのは辛いもの。それにエドアルト、戦うの好きじゃないでしょう?」

「…………」


 ぱさ、と髪に何かが触れる。見ると、エドアルトが手を伸ばして私の髪に触れていた。


「……エドアルト。ご主人様に言いつけますよ」

「あ、ごめん。なんだか……懐かしい気がして。大丈夫、あの程度の奴らにどうにかされやしないから」


 エドアルトらしくない……と言ったら失礼だけど。頼もしい言葉を残して、エドアルトが扉の向こうに体を滑らせる。

 それにしても……懐かしい、か。それは三年前の私のことなんだろうか。

 ……違う気がする。幽霊のエドアルトには三年なんてそんなに長い時間じゃないだろう。


「リエーフさんやエドアルト達が私に良くしてくれるのは……三年前にあったことじゃなく、私の魂のせいなのかもしれませんね」

「否定する根拠もございませんが。理由もなく馬が合うなどといったことは往々にしてあることでございます。それが前世で魂に関わりがあったからとして、その本人に興味がないなどということもございませんよ」

「いえ、それを気にしているわけじゃなく……少し不思議だっただけです。みんなが良くしてくれる理由なんて、とっくにどうでもいいんですよ」


 少なくとも、レイラが堕ちかけたあのときには。

 たとえ皆が見てるのが私自身じゃなかったとしても。たとえ今後裏切られるようなことがあっても。

 私が皆を好きな気持ちはもう変わらないから。


 そう、たとえ――


 拒絶されて、背を向けられても。


「魂とか運命とかも、どうでもいいんです。私は……私だから」


 騒がしかった扉の外が静かになる。こちらに向かってくる三種類の足音を聞きながら、私はリエーフさんを見た。それだけで感じ取ってくれたのだろうか。困ったようにリエーフさんが笑う。


「ミオ様のお心は決まっているのでございますね。それならどうしてさっき、ご主人様に何も言わなかったんです?」

「言わせてくれなかったのは向こうです。でもあの様子じゃ、説得しても無駄だったでしょう。それに、あのまま着いて行っても足を引っ張るだけです」

「ではミオ様はこれからどうなさるおつもりですか」

「わかりません。でも少なくとも逃げません」

「さて困りましたねぇ。わたくしはご主人様から貴女を逃がすよう命じられているのですが」

「いえ、ミハイルさんは『頼む』と言っただけです。命令はしていません」


 私を見つめる、リエーフさんの深紅の目から笑みが消える。それだけで、この人の印象が酷く変わってしまうことを私は知っている。

 リエーフさんは優しいけれど、怖い人だ。守りたいもののためなら何をも厭わない一面がある。でもだからこそ、私は怯まずに先を続ける。


「リエーフさんは私に仕えると言ってくれましたよね。だったら私はプリヴィデーニ家の花嫁としてあなたに命じます。私に力を貸して下さい」

「……貴女はずるい人です。そして……優しい方ですね。本当にミハイル様とよく似ていらっしゃる」

「私、あんなにいつも不機嫌ですか?」

「あの方が不機嫌でないことくらい、もうわたくしよりも貴女の方がご存じでしょう」

「……すみません。リエーフさん、怪我してるのに」

「いえ、ありがとうございます。わたくしがご主人様を放っておけないこと、後を追いたくて仕方ないということも、貴女は見抜いていらっしゃる」


 ですからお気になさらず、とリエーフさんがいつもの笑顔を見せたとき、扉が開いた。

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