第24-5話 過ぎた願い
昼下がり。天気の良さも手伝って眠くなる時間帯。
睡魔と戦いながら、私は掃除に精を出していた。きっとお昼寝してても誰も咎めやしないんだろうけど……だからといって掃除の手を抜くわけにはいかない。することはいくらでもある。
何しろこんなに広いお屋敷で、使用人は私一人しかいないのだ。まだ全く手をつけられていない部屋も無数にある。水の入った桶を持ってその中の一つに手を掛けると、ガタッと音がして扉が傾いた。
見れば、上部の蝶番が外れている。
「うそ……また壊しちゃった」
経年劣化ではあると思うけど、こないだ椅子を壊したばかりだし、気まずい。
……これくらいなら、工具さえあれば直せるかな。
ひとまずそっと扉を閉めて、桶をその場に置き、私はリエーフさんを探すことにした。これからもこういうことはあるだろう。もし工具箱とかがあるなら借りておきたい。
しかしこんな時に限って、部屋にも庭にもキッチンにもリエーフさんの姿は見当たらなかった。
「リエーフさーん? どこですかー?」
思い当たるところは大体探した。もしかして街にでも出掛けたのだろうか? でもだとしたら、いつも必ず私に声を掛けてくれるのに。
もう他に心当たりがある場所は――
「ここだけ、なんだけど……」
ミハイルさんの部屋の前に立ち、私はノックをためらっていた。
もしリエーフさんがここにいるなら、声が聞こえてもいいはずだ。何の用もなく主人の部屋に居座るようにも思えない。いないなら訪ねても仕方ないし……もう一度今探した場所を当たってみよう。
そう思って手を下ろした瞬間、音を立てて扉が開いた。
「何か用か」
驚いてのけぞる私を見下ろして、ミハイルさんが無愛想に短く問う。どうやら部屋の前にいたこと、気付かれていたみたい。突然扉が開いた驚きに顔をひきつらせてのけぞったまま、問いかけに答える。
「い、いえ。ちょっとリエーフさんを探していて。ミハイルさんに用はないです」
「ほう……」
動揺のあまり余計な一言まで口走ってしまった。私を見る、ただでさえ目つきがいいとは言えない目が、ギロリとさらに吊り上がる。
「口のきき方を知らないと見える」
「雇い主の影響でしょうか」
「ッ、この……」
半眼で呻きながらミハイルさんが手を上げて、反射的に目を閉じ、首を竦める。
「――そんなに脅えなくてもいいだろ。別に殴ったりしない」
呆れたような声が降ってくる。その声に苛立ちや怒りのようなものは感じられなかったけれど、私は咄嗟に顔を覆った両腕を、まだどけられないでいる。
殴られるなんて思ってない。
もし触れられたら。これ以上近づかれたら。
そう思うだけで顔が火照りそうなのに気付かれたくなかっただけ。
「……リエーフに何の用だ」
ミハイルさんがそれた話を元に戻す。
「別に大したことじゃないです」
「俺には言えないのか」
「そういうわけじゃないですが……リエーフさんがどこにいるのか知ってるんですか?」
もちろん、ミハイルさんに言えないようなことじゃないんだけど。
はぐらかしたことは気付かれただろう。短い溜め息を挟むと、部屋の中に引き返しながらミハイルさんがそっけなく答える。
「恐らく裏の墓地だろう。今日は先代の命日だからな」
――閉じられかけた扉に、咄嗟に手をかけていた。
勢いよく閉じかけた扉から、ミハイルさんがひきつった顔で手を離す。
「ばっ……危ないだろうが!」
「ミハイルさんは行かないんですか?」
「行かん」
「どうして? 先代って、ミハイルさんのお父さんですよね?」
鋭い瞳がこちらを射抜く。さっきの睨みとは全然質が違う。泣く子も黙るどころか笑う子が泣くような冷たい顔をされても、だけど不思議なほどに怖いとは感じない。
「ミハイルさんがご両親とあまり関わりがなかったことは聞きましたが。でも命日くらいは顔を見せてもいいんじゃないですか?」
「俺の顔を見ても両親は喜ばん」
無表情で即答される。少し胸が痛んだがそれは表に出さず、扉を閉めたそうにしているのを隠しもしない彼の腕を掴んで阻止する。
「じゃあ嫌がらせに行きましょう」
「あのなぁ」
「その様子じゃ、ずっと行ってないんでしょう? 家族なのに寂しいじゃないですか」
「墓などただの記号に過ぎん。死人は何も思わない」
幽霊屋敷の当主とも思えない発言だけど。
「なら行っても支障ありませんよね?」
私の屁理屈に対し、ミハイルさんが鬱陶しそうに前髪を掻き上げる。……さすがに、少し調子に乗りすぎたか。
「すみません。……どうしても嫌なら、無理にとは。でも私は行きたいので場所を教えてもらえませんか」
予想外の返答だったのだろう。怪訝そうな眼差しを向ける彼に、理由を答える。
「私、ここで働けて良かったとおもってるので。お礼を言いたくて」
「雇っているのは俺なんだが」
「だから、ミハイルさんには感謝してるって言ってるじゃないですか」
「……感謝してる態度じゃないな」
呆れた声をその場に残して、扉を開け放したまま彼は部屋のなかに引っ込んだ。調子に乗ってしまったことを謝った直後にこれだ。彼が相手だと、どうにも取り繕うのを忘れてしまう。
再び謝るために開きかけた口を――ミハイルさんが椅子にかけてあった上着を羽織るのを見て――閉じる。
「……何を笑っている」
「いえ」
また睨まれて、慌てて口元に手をやる。彼は黙ったままだったが、部屋を出ると外から扉を閉め、歩き出した。
その後ろを黙ってついていく。
玄関を出るとお屋敷を迂回するようにミハイルさんは歩いて行く。こっちの方には来たことがなかったな。手入れされずに生い茂る木々や草のずっと向こうに、揺れる銀色の尻尾が見える。
「リエ……」
「馬鹿、呼ぶな」
名前を呼び掛けた私の口を押さえて、ミハイルさんに引っ張られ木の影に隠れる。
「俺が先代の墓に来たことがバレたら泣いて喜ばれる。面倒だからあいつが帰るまで……」
声が近すぎて、逆に何を言ってるのかわからない。
耳に直に届く声、口を覆う大きな手、後頭部に触れる硬い体が、全身の血を沸騰させる。
「は、離し……」
「あ、すまん」
ようやく少し手の力が緩まった隙をついて、なんとかそれだけ訴える。今までリエーフさんをガン見していたミハイルさんが、それでようやく私の様子に気づいて手を離してくれる。それから、リエーフさんに注意を向けながらも少し距離を取ってくれた。
「……慣れないな、お前」
「すみません! さ、三人も婚約者がいたりしなかったので!」
「静かにしろ、リエーフに気づかれる。……三人同時にいたみたいな言い方やめろ。全部破談だぞ、嫌味か」
「破談でもいただけマシじゃないですか。私なんて一度も」
「それは良かった」
「嫌味ですか!?」
私が声を荒げそうになる度、ミハイルさんが焦ったように視線を伸ばす。
「もう少しだけ静かにしててくれ。こんなところを見つかれば余計にめんどくさいことになる」
「それは……困ります」
「聞き分けが良くて何よりだ」
声を潜め、身を縮めた私を見て、まるで子供でも褒めるような口調でミハイルさんが目を細める。しばらく黙って座っていたけど、一向にミハイルさんが動き出す様子はない。
まだリエーフさんはお墓にいるんだろうか。私がリエーフさんを探し始めて結構経つ気がするんだけど、お参りってそんなに時間が掛かるものなのかな。お経でも上げるのか?
気になったし、いい加減間がもたなくなってきたので、声の音量に注意しながら隣に向かって聞いてみる。
「リエーフさんて、お墓で何してるんですか?」
「俺の不甲斐なさの報告でもしてるんだろう」
「なるほど……それは時間がかかりそうですね」
「口塞ぐぞお前」
「あ、ち、違いますよ、ミハイルさんを貶したわけじゃないです。……家族のことを報告するのは大事なことだからって言いたかったんです。本当ですよ」
慌てて弁明すると、何故か余計に彼は渋面になった。
「家族家族と。お前はよほど家族に恵まれているんだろうな」
「別にそういうわけじゃないですけど」
「俺なら、他の世界から屋敷に戻りたいなどとは思わん……いや、環境によるな。この屋敷にいるくらいならばそりゃ帰りたいだろう」
「それも、そういうわけじゃないです。私……このお屋敷好きですよ。みんな私が掃除をしたら喜んでくれるから。だからこそ帰らなきゃいけないと思うんです」
「……? どういうことだ」
怪訝そうに私を見るミハイルさんを、ちらりと横目で見る。
……ミハイルさんが自分のことをほとんど語らない以上に、私も自分のことはほとんど何も話してこなかった。ミハイルさんも私が言わないことは聞かなかった。
「父は仕事をしてなくて。弟も部屋から出てこないし、私が家族を支えないと母が泣くから……帰らなきゃ」
「…………そうか」
ミハイルさんは何も言わない。時に失礼なことを言ったりはするけど、否定したり、追及したりはしてこない。
だからつい……甘えてしまう。
「それでは、何もしていない俺が屋敷を出たい、戻りたくないなどとは言えんな」
恥じるようにそう言ったミハイルさんを見上げて、少しだけ、私は笑った。
「ミハイルさんがもし私のように、お屋敷から急に離れるようなことがあっても……きっと戻ろうとしますよ」
「何故そう思う」
「優しいから、ミハイルさんは」
「下手な世辞だ。リエーフしか頼らないくせに」
不貞腐れたような返事に、綻びそうになる口元を引き締める。
……ミハイルさんはわかってない。
扉が壊れているから直すと言えば、きっと自分ですると言い出すだろう。私の身長では椅子か何かに乗らないと修理の難しい場所だし、掃除の仕事ともちょっと違う。
だけどそんなこと、使用人を押し退けて屋敷当主のやることじゃない。
本人にそのつもりはなくとも、もう充分頼ってしまってる。助けてもらったのも一度や二度じゃない。
庭の果実を欲しいとせがんだとき。
アラムさんたちがおかしくなったとき。
挫けそうだったとき泣きたければ泣けと言ってくれたときも。
椅子から落ちたとき、パンを焦がしてしまったとき。そんな些細なことでさえも。
その自覚のない優しさに、これ以上甘えてはいけない気がする。
「……ようやくリエーフが帰ったな。さ、行くぞ」
だから……差し出された手は取らない。
黙って立ち上がる私に何を言うでもなく、ミハイルさんも歩き出す。
彼が何も言わないのは、ただ人と深く関わりたくないだけ。それが私には心地好いだけだ。彼も、私はいつかいなくなるから楽だと言っていた。
これは、この距離だから保てている心地好さ。
だとしても……ここにこられて良かったと。会えて良かったと。そう彼の家族に伝えてお礼を言いたいと思ったのだ。例え意味なんかなくても。
それもきっと、私には過ぎた願い事。
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